南怡島の名前にもなった南怡将軍とはどんな人だったのか | 韓国語&韓国旅行 てんこ盛り日記♪

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島の名前にもなった南怡島(ナミソム) にある南怡(ナム・イ)将軍の墓













簡単な日本語の説明もありました








ちょっと気になる人物なので少し調べてみることにしました



朝鮮3代王・太宗の公女がナム家に嫁ぎ その孫がナム・イ

つまり太宗の外孫に当たります


17歳で武科に首席合格すると次々と功績をあげ 

25歳で工事や建築を担当する工曹判書と軍事担当の兵曹判書を歴任するまでになりました

どちらも位が正二品のトップです


余談ですが韓国時代劇に若い高官が登場することもあり

勝手に『その若さじゃ無理だろ――』と思っていましたが あながち嘘ではなかったんですね


もとい

そんな優秀だった彼がなぜ早くに処刑されてしまったのか

柳子光(ユ・ジャグァン)の策略とは何なのか


どうやらナム・イは7代王・世祖に可愛がられていたようなのですが 

世祖が亡くなり睿宗(イェジョン)の時代になると冷遇され降格されてしまいます

ふと漏らした言葉だったのか詩なのか とにかくユ・ジャグァンに謀反だと告発されてしまうのです


結果 ナム・イは多くの武官らと共に処刑されてしまいました


この事件はナム・イ派とハン・ミョンフェ等の派対立が影響しているのでは

という見方が強いようです


後にユ・ジャグァンの告発は捏造だと指摘され

数百年後の純祖の時代 子孫によってナム・イの名誉は回復されたのでした







この南怡島にある将軍の墓は言い伝えによるもので 確定されていないのですが

華城市にある南怡将軍の墓は京畿道記念物に指定されています


남이장군에 대새 좀 알아봤어요





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