
フィンランド語で始まりましたが、なんか最近いいブログネタがないですねぇ。
あ、そうだ、これにしよう。
パソコンの脇には、iPod用の接続ケーブルが聳え立っています
結び目で支えてるのか何なのかw
汚いな、掃除しなきゃ…。
では、街道の方を進めていきましょうか。
今日は、海老名と座間の境の相鉄線の踏切からスタートですね。
85m進むと左から大和方面の道が合流してきて、488m進むと
大塚本町交差点に出ます。
ここは「ホントに歩く大山街道」【中平龍二郎氏著】には「大塚宿」として紹介されていた気がします。古地図で見ても柴胡が原の平原の中にポツンとある大きめの村にはなっているのですが、他のサイトでもあまり宿場とはされてないので宿場とは扱わないことにします。
ところでホントに―の本は用賀や鶴間(町田側)も宿場として紹介していたので、基準が低いのかもしれません。
地名の由来は古墳があったことだそうですが、今では残っていません。
ちょっと寄り道して、交差点を右折、県道42号線をほんの少し進むと右手の
廃屋…ではないな、骨董的な家の前に庚申塔らしき何かがあります。
情報が何もありませぇん…。何かご存知の方はコメントお願いしますm(u_u)m
因みに一度目の探索ではこれは分からず、2011年10月23日に行ったものの写真です。
交差点に戻り、大山街道を進んでいきましょうか。
今度は綾瀬市と海老名市の境になった道を進んでいきます。
交通量は多い割に歩道もせまく、進みにくいです。
1357m進むと右に道が分かれます。
そこへ寄り道。
途中で畑の脇の未舗装道になりますが265m進むと
道祖神に出ます。
ここは富士山の火山灰で作った富士塚で、庚申塔は1816年に作られたものです。
画像が小さくてあれですが、塚感を出したかったんです…w
これも2011年度版の探索です!
街道に戻り、159m進むと左の角に
赤坂不動明王道標があります。
下の道標には「左 江戸」等と刻まれているようですが、風化していて分かりにくいです。
112m進むと左に道が分かれます。
それが古東海道であるという案内板が立っています。
下のは道標で、「右 国分 厚木」「左 大塚 原町田」「向テ右 小園 早川 あや瀬村」等と刻まれているようです。
古東海道へ進むのは後でとして、とりあえずは大山街道を進みます。
旧246号&大山街道&矢倉沢往還を535m進むと望地交差点に出ます。
この名は、諸兄の予想通り、「大山が望めるところだから」ということに由来しています。
ここからは番外編?で古東海道のレポートになるので、今日はここまでとしましょうか。