3‐6 大和・下鶴間‐4 ~あまり知られてない?滝山街道&何故正面だけ!?古い庚申塔~ | 徒然風

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こんにちわーみー。

今日は、出かけないと精神的に崩壊する状況に遭ったので中途半端に遠いB○○K‐○FFに行ってきました!
え、なに、伏字になってないそんなんしらんがなw
色々買いたいのはあったんですが結局何もなく…。
こち亀の999巻立ち読みしただけで終わっちゃいました。
自転車で片道30分…。
びみょーな時間を過ごしたぴゅうでした。

では、街道の方に入っていきましょうか。
更新する気が起きなくて時間が遅くなったので少なめにします
スイマセンm(_ _ )m

今日は、下鶴間・まんじゅう屋跡よりスタートですね。

まだ下鶴間宿は続いていますが、ここら辺からは崋山が名づけた「柴胡(さいこ)が原」となっていたようです。
游相日記には「鶴間原出つ。この原、縦十三里、横一里。柴胡多し。よって柴胡の原とも呼ふ。」と書かれています。
柴胡、というのは、セリ科の多年草で、漢方にもなるようです。詳しくはWikipediaへ。

147m進むと二股に出て、そこに

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子育地蔵がありますが、年代などは不明です。
左にある石碑には「常夜灯」と書かれていますが…。

下鶴間宿も終わりに近づいてきます。

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307m進むと十字路に出て、そこにあるのが

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日枝神社(山王神社とも)。
祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、国常立神(くにのとこのたちのみこと)、伊弉冉神(きざなみのみこと)で、近くの諏訪神社の末社だそうで。

また、ここには

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かなり古い庚申塔・青面金剛もあります。
庚申塔(大きい方)は正面は見てわかるようにとっても風化していますが、側面はあまり風化しておらず、蓮の絵が残っています。建立年は不明です。
右の青面金剛(とは言っても庚申塔ですが)も建立年は不明で、表面がはがれるように風化していますが、「右 大山み」まで読み取れます。

さらに

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新しい道標もあります。
これにあるように、この十字路は滝山街道との交差地点です。
(標柱に書いてないことを説明すると)滝山街道は今で言うと国道467号、国道16号に沿っていた道で、左岸の鎌倉街道上道本道と対になるようにあります。
しかし江戸~明治に至ると浜街道や小倉家の前で交差する八王子道の登場などもあって廃れていき、古地図にも下鶴間周辺はあまり書いてありません。
ところで滝山街道というと多摩地区の人は国道411号(八王子~青梅)を思い浮かべると思いますが、滝山という地名が何を指しているのかは同じですが、大した関係はない…はずです。
あまり情報がないので逆に歩いてみたくはありますね。

さて、今回はここら辺までとしましょうか。

あ、タイトルつけて思ったけど下鶴間長すぎやわΣ\( ̄ー ̄;)

明日…何処か行こうかなぁ?

ではでは、お先にアランドロン。

こりこりももも。

地図…ルートラボへ(^o^)/