3-4 大和・下鶴間‐2 ~県内でも数少ない!更に当時の写真や游相日記まで!下鶴間ふるさと館~ | 徒然風

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こんにちわーみー
ぴゅうです

今日、修了式がありました~

いやぁ、1年って早いものですねぇ、本当に。
学校に入って、合唱祭が終わって、夏休み過ごして、文化祭と体育祭が続いて、移動教室して…
振り返ると、長かったようでやっぱりすぐ終わってしまった気がしますね。
2年生になっても頑張らなきゃ


おつぎー
つい最近まで間違えて使っていた言葉…
自慢じゃありませんが指摘する方が多くてまあ気にはしてるんですが、思い当たったのは『焦燥感(しょうそうかん)』を「しゅうそうかん」って呼んでいましたね

焦点とかなら普通に「しょう」って呼んでたのになぁ…。
小説書きで打とうとしたら出てこなかったので気づきました


All About 「暮らしの歳時記」実は間違い? 日本語常識チェック
All About 「暮らしの歳時記」「いただきます」本当の意味


おつぎー
ではでは、街道の方に入っていきましょうか。
今日は、大和市下鶴間は小倉家・下鶴間ふるさと館の前の高札場からですね。
横の道を入って行って、下鶴間ふるさと館の中へ。


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受付をして、中に入っていくと案内板がずらずらと。

ここから全ての案内板は拡大できます!
まず、矢倉沢往還・大山街道について。
江戸時代は矢倉沢往還ではなく「相模中道通」「足柄海道」「青山海道」などと言われていたそうですね!はじめて知りました

終点は沼津が一般的なんですが、これには三島が終点と書かれています。
確かにそのルートもあったようですが…。

次は

 下鶴間と宿場の歴史。
そういえばこの小倉家の前の十字路は八王子道との交差点でしたね。
周りの村々と比べてさまざまな方面で発展していた下鶴間、っと。


これは近代の下鶴間と大和市についてですね。
よくある感じですね、大きな和があるように、っていう。


 そして小倉家についてです。
「明治四年の写真」はすぐに出てきますので


 案内板たちの下には川崎国道事務所の案内地図がありました
がここでは配ってないそうで。
大山街道ふるさと館(溝口)で配ってんのかな?

その左には資料などが展示されていました。

 これは昔の小倉家ですね。
市指定重要文化財で、母屋は1856年に建築されたもので、県内でも珍しいものです。
土蔵は1918年に再建されたものだそうです。



 その近くにあったのは何と游相日記
渡辺崋山が下鶴間宿で宿泊した「まんじゅう屋」の説明がイラストとともに描かれています。


その左にあるのが江戸時代の色々なもの。
番傘…位しか何があったか覚えていませんorz


 これは松屋という旅館の写真・説明です。
小倉家の近くにあったそうで。
昭和初期まではあったそうですね。

 これが前述の下鶴間宿の写真です。
写真の下が厚木方面、上が長津田方面です。
外国人用に作られた新聞に貼ってあったもので、明治4年に撮られました。

相変わらず街道としては全然進んでいませんが今日はここまでとしましょうか。

お先にアランドロン


こりこりももも。

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