人ってどうしてコイバナをしたがるんでしょうね。
そりゃあ、他の人から「◎◎の好きな人って誰?」と聞くのは好奇心だけでしょうが、
その本人に「あなたの好きな人だれ?」と聞くのは好奇心だけじゃない気がします。
それにもし相手がこたえた場合自分も好きな人を言うことになりますからね。
ましてや、このような不特定多数の人が見るブログにコイバナを書くなんて、信じられません。
仮にそれによって自分の好きな人がばれてしまったとしても、それで相手も言う必要もないわけですし、自分で勝手にそのブログを更新しているわけですし。
じゃあ何のためにその自分の好きな人を仄めかすような発言ってするんですかね。
言いたいんでしょうか?自分で。
結局自己満足じゃないんでしょうかね。
>ぴゅうです
長ったらしい冒頭でしたね、特に意味はありません
さて、街道のほうを進めていきましょうか。
三文橋こと川間橋を渡ります。
昔は川を渡ってすぐに左折、すぐ右折とし、現存の道に戻っていたようですが、今は残っていません。
川間橋から184m進むと右に道が分かれます。
これが旧道です。
51m進むと十字路に出て、直進しますが渡れないので左に迂回。まあ、あまり交通量が多くないのでそのまま渡っても・・・(※安全は保障しません)
また、その十字路の左前にあるのが「田中屋マート」です。
ここは三代将軍徳川家光を治療したといわれるマムシ治療薬を販売した田中屋の跡地だそうです。
※コラム:徳川将軍※
1代・・・家康
2代・・・秀忠
3代・・・家光
4代・・・家綱
5代・・・綱吉
6代・・・家宣
7代・・・家継
8代・・・吉宗
9代・・・家重
10代・・・家治
11代・・・家斉
12代・・・家慶
13代・・・家定
14代・・・家茂
15代・・・慶喜
さて、進んでいきましょうか。
写真はありませんが、ここら辺は「大難の辻」と呼ばれていたそうです。
大雨が降るたびに坂の上の醫藥神社方面から土砂崩れがドバババ~ンと来たそうで。
今では宅地造成であまり急な坂ではありません。
ここら辺には一里塚の名残である「一里榎」があるそうですが、2度行っても見つけられず
113m進むと突き当たって旧道は消えてしまうので、左へ。
64m先で右に曲がり、196m進むと右手に見えてくるのが醫藥神社。
漢字は「医薬」の旧字体です。
医王山薬師院東光寺が神仏分離した際に作られたそうです。寺自体は安土桃山時代、神社は明治時代に作られました。「醫藥神社」の名前は珍しく、病気を治した神様を祀っている、ということでやはり健康祈願に効くそうです。
ここは地神塔・石仏もあります。
「左リ大山道」などと刻まれていて、道標としても使われていたことが分かります。
これは区画整理とともにここに移設されたもので、元々の場所は分かりません。
それでは、今回はここまでとしましょうか。
あ、そうだ、あさってくらいに出かけようかな、橋本→伊勢原の八王子通り大山街道に。
地図です!
なんだか知りませんがコメントを書いたのに消えてしまったので内容はブログで確認お願いします
