
ブログネタ:マスクしてる?
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ズドラーズドヴィーチェっだけか、ロシア語のこんにちは?→ズドラーストヴィーチェでしたorz
遂にテストが終わりました!色々と…笑
ぴゅうです
あ、でも明日はtoeicですね…。意外と難しい…。
マスクですか、最近ずっとしてますね。
八王子の花粉の多さといったら地獄級…。
でもマスクで肌が荒れたこともあるんですよね…。
まあ、最近は顔の肌がめっちゃ荒れてから、やっぱした方がいい、と医者に言われまして付けております
そういえばpcの方はお気づきでしょうが、デザインを変えました
CSS編集って難しいですね
さて、では、街道の方、進めていきましょうかね。
めっちゃ久しぶりやw
江田からスタートですね。
ああ、追記しなきゃ
昔はここを少し左に膨らみながら旧道は進んでいましたが、今は田園都市線&246で残っていません。
食品館あおばを右に見ながら497m進むと道なりに右に曲がるのでそちらへ。
道なりに行かずにまっすぐ行くと84m先で道が右に進みます。
これが旧道っぽくもあるのですが、古地図で見ると…微妙です。
多分僕が進んだ方でいいと思うんですが…。
意外に太い道を左に曲がりつつ410m進むと市ヶ尾小学校南交差点に出るので、右斜前へ進みます。
162m進むと地蔵堂下交差点に出ます。その名の通り地蔵堂が近くにあるのですが…
どこやねん!
交差点のすぐ近くに見えているのかと思ったら、少し手前、町内会館の前の道を上った少し奥まった所にあります。
だから初めに来た時は見つけられなかったのか…。
市ヶ尾竹下地蔵堂です。
延命地蔵尊を祀っていて、江戸時代中期に作られたそうです。
江戸時代から「お十夜」という念仏行事が開催されていて、今でも11月30日に行われています。
境内への階段の下には地蔵堂の名の通り石地蔵が10体ありました。
交差点から旧道を81m進むと、
左に分かれる下り坂があります。まるで枡形のように曲がっています。
ここは「猿田坂」といって、現在地蔵堂にある庚申塔があったことから名付けられたそうです。また、「猿」は「去る」につながる、ということで嫁入り行列の際は通らなかったんだそう。
庚申は「かのえ・さる」ですもんね。
前来た時はこれさえも知らずに太い道を快走()ww
坂を208m下ると太い道に交差します。
そこにあるのが旅籠(はたご)の綿屋。
旅籠…江戸時代、旅人が宿泊させ、食事も提供するところ。
「客を綿のように暖かく」から名付けられ、明治15年創業、明治末まで営業を行っていたそうです。
また、はす向かいには同じく旅籠「石橋屋」「小石橋屋」がありました(明治15年焼失)。
ここを左右に通るのは旧県道13号、古くは「日野往還」でありました。
神奈川、川和方面から市ヶ尾、小野路を通って甲州街道日野宿に至る街道で、絹の道とも言われたとか!
やっぱり宿場みたいですね。
旅籠が「はたご」じゃ変換できなく、「たびかご」で変換するしかないこのPC…。辞書登録したのにぃ
更に細くなった小路を113m進むと現在の県道13号にぶつかります。
昔はそのまま直進して川を渡っていましたが、今では残っていません、右に迂回します。
42m先、総合庁舎入口を左に曲がり、川間橋で鶴見川を渡ります。
総合庁舎入口というからには、ここ市ヶ尾には青葉区の区役所があります。
が、市ヶ尾駅には急行が止まらないんですよねぇ…。東急は古い町があまり好きではないですからね。
自社開発命! w
この付近では「谷本川」とも呼ばれている鶴見川ですが、その名の通り鶴見区から新横浜、川和、市ヶ尾、鶴川を通って小野路周辺が源流です。
旧橋は少し下流(写真方向)にあったようですが、川間橋、のほかに「三文橋」とも呼ばれていました。
それは、渡る人が3文、つまり約25円を払わなければならなかったから、だそうです。
それでは、今日はここで終わりとしましょうか。
ピアノ行かなきゃ
地図です!
なんだか知りませんがコメントを書いたのに消えてしまったので内容はブログで確認お願いします
