こんにちは!
ぴゅうです。
今回から、探索記を始めます。では宜しくです。
2010年8月13日
夏休みの自由研究として鎌倉~藤沢・村岡を歩きました。![]()
10時ごろ家を出て、鎌倉のマック
で昼食。小町通りを歩いて、
へ。 12:49
鶴岡八幡宮のことは書き始めると止まらないのでパス。
などを参照してください。
駅方面から来て、舞殿の手前、社務所の角を左右に通るのが
この流鏑馬道(やぶさめみち)です。 この流鏑馬道はすべての鎌倉街道の起点とされています。もちろん上道もここが起点。
上道ですが、鎌倉周辺は特にたくさんのルートがあって、化粧坂経由、大仏坂~遊行寺経由、稲村ケ崎経由、巨福呂坂(こぶくろざか)経由などです。このうち、僕が歩いたのは化粧坂経由の道。
で、その流鏑馬道を駅方面から見て左折します。すると鳥居に出て県道21号鎌倉街道に出ます。
この県道の鎌倉街道は途中の小袋谷(大船の手前)までは中道に沿っているものの、それ以降は上大岡を経て横浜へ向かいます。
さて、21号を左折すると、136mで県道は左に曲がってしまいますが、そのまままっすぐ、小町通りを進みます。そして35mすると、右に分かれる細い道があるのでそこへ。
この道は岩窟/巖窟(いわや)小路といいます。先ほどの八幡宮のにぎわいがウソみたいに静かな風景が広がっています。時折観光客が通りますけどね…。
191m進むと、右手にcoffee shopがあります。その敷地内にあるのが
この「巖窟不動尊」。 12:58 お察しの通り、道の名前はこの不動様から付けられました。
この巖窟不動ですが、吾妻鏡にも記されていて、とっても歴史のある不動様です。「窟」の名にもあるようにもともとは洞窟の中にある不動様でした。鎌倉にはこのような洞窟のの中にあるお堂がとても多いようです。因みに、横にあるcoffee shopは「不動茶屋」というもっとも名前。
桁下の低い横須賀線ガードをくぐり、不動から92m、突き当たりを右に曲がります。
臨済宗建長寺派亀谷山(きこくさん)寿福寺。 13:00
鎌倉五山の第三位!で、左上写真は名碑、右上写真は源氏山の石碑、下写真は案内板。
開基はなんと北条政子
因みに、この寿福寺の裏にある源氏山には北条政子と源実朝のお墓があります。
詳しくはWikipedia:寿福寺 へ。
寿福寺を過ぎ、街道を進み、一つ目の角を右に行くと、浄光明寺と護国寺がありますが僕は行きませんでした。
…と思っていたのですが、旧街道はその浄光明寺方面でした…orz
浄土宗東光山英勝寺があります。
ここは鎌倉唯一の尼寺で、江戸城を建立した太田道灌の邸跡と言われています。
拝観料が架かるので中へは行かず。
詳しくはWikipedia:英勝寺
へ。
英勝寺から130m進むと、左手に
英勝寺のお稲荷様
があり、さらに132m進むと、この道はJR横須賀線沿いではなくなります。そこで右からガードをくぐって出てくる道が旧街道です。
もし旧街道を通っていた場合…
寿福寺の先、60m歩くと右前に踏切をわたる細い道があるのでそちらへ。
護国寺を右に見、118m進むと突き当たりに出るので左折します。因みに右折すると浄光明寺を経て、巨福呂坂を通る鎌倉街道へ出ます。そしてすぐ道なりに右折。
200m進むと丁字路の脇に岩船地蔵があります。
そしてすぐ僕が通ってしまった道に合流します。
そして209m進むと標識がある三差路に出ます。標識とは、
「
化粧坂 海蔵寺![]()
寿福寺
」
というもの。街道は化粧坂のほうですが、まずは海蔵寺へ。
矢印の通りに219m進むと、
臨済宗建長寺派扇谷山海蔵寺に。 13:21 ここは「水の寺」とも呼ばれています。
どうでもいー話ですが、僕はここでカメラを落としました…壊れなくてよかった(笑)
さて、今回はここら辺で終了。ありがとうございましたm(_ _ )m










