どうも、ぴゅうです。
今回は、僕の歩いた上道について紹介していきま~す。
鎌倉街道の中で上道(かみつみち)は、歴史も古く、さらに有名でもあります。
その理由としては…
周辺に古戦場や街道遺跡などが多い
新田義貞が鎌倉幕府滅亡のために使った
があります。
鎌倉街道以前にも…
「東山道武蔵路」として、鎌倉時代以前にも官道として同じようなルートの道がありました。(府中~所沢付近?)
上道のルート…
鎌倉~飯田~町田~府中~東村山~所沢~狭山~武蔵高萩~西大家~鳩山~嵐山~用土~児玉~藤岡~高崎 です。実際は高崎以北も信濃・越後(長野・新潟)方面へと続いていましたが、資料が少ないのでここまでとします。
地図も高崎止まりとしてあります。
鎌倉街道の大まかなルート (yahoo! ルートラボ)
鎌倉街道上道のルートについては
も参照のこと。
。
(以前略)吹送由井の浜音たてて、しきりによする浦波を、なを顧常葉山、かわらぬ松の緑の、千年もとをき行末、分過秋の叢、小萱刈萱露ながら、沢辺の道を朝立て、袖打払唐衣、きつつなれにしといひし人の、干飯たうべし古も、かかりし井手の沢辺かとよ、小山田の里にきにけらし、過ぎこし方をへだつれば、霞の関と今ぞしる、おもひきや、我につれなき人をこひ、かく程袖をぬらすべしとは、久米河の逢瀬をたどる苦しさ、武蔵野はかぎりもしらずはてもなし、千草の花の色々、うつろひやすき露の下に、よはるか虫の声々、草の原のより出月の尾花が末に入までにほのかに残晨明の、光も細き暁、尋ても見ばや堀難の出難かりし瑞籬の、久跡や是ならん、あだながらむすぶ契の名残をも、ふかくや思入間川、あの此里にいざ又とまらば、誰にか早敷妙の、枕ならべんとおもへども、婦にうはすのもりてしも、おつる涙のしがらみは、げに大蔵に槻河">の、流れもはやく比企野が原、秋風はげし吹上の、稍もさびしくならぬ梨、 打渡す早瀬に駒やなづむらん、たぎりておつる浪の荒河行過て、下にながるる見馴川、見なれぬ渡をたどるらし、朝市の里動まで立さわぐ、是やは児玉玉鉾の、道行人に事とわん、者の武の弓影にさはぐ雉が岡、矢竝にみゆる鏑河、今宵はさても山な越ぞ、いざ倉賀野にととまらん、夕陽西に廻て、嵐も寒衣沢、末野を過て指出や、豊岡かけて見わたせば、ふみとどろかす、乱橋の、しどろに違板鼻、誰松井田にとまるらん、(以下略)
それでは、地名を紹介していきます。
由井の浜…鎌倉市由比ヶ浜
常葉山…鎌倉市大仏坂北西の常葉
叢、小萱(くさむら、おかや)…藤沢市村岡
がら、沢…藤沢市柄沢
飯た…横浜市泉区飯田
井出の沢…町田市本町田・菅原神社
小山田の里…町田市小野路
霞の関…多摩市関戸
こひ、かく程(こい、かくほど)…国分寺市恋ヶ窪
久米河…東村山市~所沢市にかけて
武蔵野…所沢市一帯
堀難(ほりかね)…狭山市堀兼
瑞籬(みつぎ?)…狭山市三ツ木
入間川…入間川(そのまんま
)
にか早敷(にかはやしき)…毛呂山町苦林
大蔵…嵐山町大蔵
槻河…嵐山町菅谷を流れる川
比企野が原・・・嵐山町菅谷
ならぬ梨…小川町奈良梨
荒河…荒川
見馴川(みなれがわ)…児玉町を流れる現在の小山川
見なれぬ渡…見馴川の渡し
児玉…児玉町児玉
雉が岡…児玉町八幡山
鏑川(かぶらがわ)…藤岡・高崎の境の川
山な…高崎市山名町
倉賀野…高崎市倉賀野町
衣沢…高崎市寺尾町
指出…高崎市石原町付近
豊岡…高崎市上・中・下豊岡町
板鼻…安中市板鼻
松井田…松井田町
参考サイト:wikipedia:鎌倉街道
それでは、今回はこれで終了。
次回からは探索記に入りますのでよろしくお願いします![]()