こちらのパリ・オペラ座バレエ「白鳥の湖」の紹介記事で、振付を手掛けたルドルフ・ヌレエフ自身が、キーパーソンである家庭教師とロットバルトの2役を演じた公演がある、とご紹介しました。

 

 

 

この白黒写真だけでも、引き込まれませんか?

怪しげなオーラが溢れ出ていて、この家庭教師になら、闇に落とされてもいいかも(え?😅)

 

 

流石に、映像はないと思っていたのですが、見つかりました!!!

 

 

 

 

1989年、アテネフェスティバルで「白鳥の湖」が上演された際の映像と思われます。

 

オデット/オディールは、パリ・オペラ座バレエのイザベル・ゲラン、ジークフリート王子はケネス・グレーヴ、そしてヌレエフ本人が、家庭教師/ロットバルトを演じました。

 

ヌレエフは、1984年からAIDSを発症しており、1993年1月に亡くなっていますから、これは彼の晩年の舞台姿。

もちろん、体調も優れない状態で、テクニックの衰えは否定できません。

事実、彼の絶頂期を知っている観客の中には、1980年代後半からの彼のパフォーマンスに失望を隠さない人も多かったそうです。

 

それでも、彼のロットバルトが映像の中で生き続けていること、この事実が重要だと思います。

そして、やはり圧倒的なオーラ!

 

アダージョの途中で、オデットが窓辺に現れた時、ジークフリートの目線を巧みに逸らし、「お前は、愛を誓ったことを覚えているだろう?ほら、自分の目でよく見てごらん」とでも言うように、オディールの方へ誘う表情!

ここまで、圧倒的な悪の存在としてロットバルトを見せつけたダンサーが、他にいたかと思ってしまいます。

 

 

余談ですが、王子役ケネス・グレーヴは、当時19歳。

デンマークを代表するダンサーの1人として台頭してきたところを、ヌレエフが目をつけ、パリ・オペラ座バレエでの「白鳥の湖」で王子に抜擢。

 

↓有意義な情報を沢山発信してくださっている、舞踊ジャーナリスト森菜穂美さんからご教示いただいた、リチャード・アヴェドンが撮影したケネス・グレーヴ。

 

ヌレエフの伝記「A Life」にも掲載されていたそうです。

「ベニスに死す」のタッジオを思わせる美貌!

 

ところが、この配役にオペラ座のダンサーたちが怒り心頭。

イザベル・ゲランは、渋々彼と組むことを承知した一方、エリザベット・プラテルは、彼のパートナーになることを拒否。

グレーヴをエトワールにしようとしたことも合わさって、ヌレエフが個人的嗜好で、若いダンサーを配役したと批判殺到したそうです。

 

ヌレエフのロットバルトに食われてますが、このバージョンのジークフリート王子としては、役柄には合っているかも?😅

 

 

 

そして、ヌレエフのロットバルト、まさかの全幕映像も見つけました。

 

1990年7月7日、ミラノ・スカラ座バレエで、ヌレエフの「白鳥の湖」が初演された際の映像。

オデット/オディール、イザベル・セアーブラ、ジークフリート王子シャルル・ジュド、そしてロットバルトにヌレエフ。

 

引きの映像が多いですが、シャルル・ジュドとヌレエフのパ・ド・ドゥ、そしてヌレエフが踊るロットバルトのヴァリエーションが観られるという超貴重映像です。

 

プロローグでロットバルトが舞台を横切っただけで大きな拍手、そしてカーテンコールで大喝采を浴びるヌレエフの姿を見て、やはり彼は愛されていたのだとしみじみ。

 

 

ミラノ・スカラ座のアーカイブで、この日の写真も沢山見られますよ。