【報告】7・17木の根プール開き①
7・17三里塚・木の根プール開き①
開会の乾杯をする柳川秀夫さん(三里塚芝山連合空港反対同盟代表世話人)
挨拶する加瀬勉さん(大地共有委員会Ⅱ代表、ペンションの土地の所有者)
7月17日、三里塚・木の根ペンションで20年ぶりのプール開きが開かれた。全国から80人が集まった。
木の根プールは故・小川源さんの提唱で1980年代半ばに造られた。プールが造られた頃、子どもで泳いでいた
大森武徳さんらの呼びかけで「続・木の根物語プロジェクト」が発足。多くの人々の参加と協力で、プール補修、清掃、整備が続けられ、プール開きにこぎつけた。
この日、ペンション裏のステージには大きく「2011・7・17まさかの復活!木の根プール開き」の看板が。
相川陽一さんの司会で開会し、大森武徳さん(続・木の根物語プロジェクト)があいさつ。「昨年夏、泥かき・枝拾いから始めて、皆さんの大きな力を借りてプール開きを実現することができた。
木の根は小川源さんたちが木の根を掘り起こして開拓した由緒ある土地。1980年代、三里塚子ども共和国に参加し木の根プールで泳いだ。
その木の根プールの現状を知って、なんとか再開しようと思った。若者も、30年前の若者も力を貸してくれて、喧々諤々だったが、ようやくプール開きにこぎつけた。
しかし、プール開きで終わりではない。空港の真ん中で自給自足の生活も含めていろいろと実験していきたい。
先日成田空港の歴史館ができたが、ここには展示物ではない生きた歴史がある。
私たち若い人間は長い三里塚闘争の歴史をまだ知りませんが、生活しながら肌身で感じていく。ここで何をできるかを考えていく場にしていきたい。今後も注目してください」
柳川秀夫さん(三里塚芝山連合空港反対同盟代表世話人)の音頭で参加者全体で「乾杯」。
柳川さんは「前は汚かったが、大森君たちの努力でプールがきれいになり、よみがえった。ここは空港の真ん中にあり、人が近づきづらい場所だが、闘争が始まって四十年以上経って時代が変わった。今日も多くの人が集まってくれた。長く続くことを願っている。
ここがあるということは、少数になっても空港反対している現実があるということ。福島原発事故が深刻になっている。三里塚空港闘争の結論として、この社会を見直し、『腹八分目の社会』をめざしていく」
この日のプールの水温は二六度。七月二日に注水を開始し、子ども向けに水位一〇〇センチとした。
ヘルメットをかぶった大森さんをプールに放り込んだのを合図に遊泳開始。猛暑の中、大人も子どもも、次々とプールに入っていく。水泳、水球遊びなどで水しぶきをあげていた。
並行して、バンド演奏、環境問題の○×クイズ大会、チャンググループ「ウリト」の演奏が行われた。
屋台では、焼きそば、バーベキュー、カキ氷、石井紀子さんたちの有機無農薬野菜料理、カレー、中川憲一さんのビヤホールなどが出店。木漏れ日農園のりんごジュース、三里塚物産らっきょう、シソジュースの物販、上関原発反対署名への協力も呼びかけられた。
プールの土地を一坪共有地として提供した加瀬勉さん(三里塚大地共有委員会Ⅱ代表)は、「長年三里塚を闘ってきたが、今日は新しい命がよみがえった思いがしている。闘争が好きで楽しいというのが私の人生だった。子どもたちに未来を託してと言えるような闘いの内容を創っていく。私が提供したこの共有地は全国千百人の共有者。日本人民の土地だ。闘争の楽しさを無限大に広げていくような三里塚闘争を構築していこう」
閉会の挨拶をした平野靖識さん(三里塚物産)は「木の根ペンションは二百メートル先にあったのを、二〇〇〇年に木の根の地権者が村を去ったので、建物をここに移動した。
プールを造った世代が歳をとったが、若い世代がこの地に命を吹き込んでくれて、ペンションとプールが一体で息づいた。今日、続・木の根物語が始めいこうとしている。若い人たちのパワーにお礼を言いたい。
演奏してくれた『ウリト』とは韓国語で私たちの土地。ここの『ウリト』をずっと大事にしていきたい」
夜には映画の上映会が行われた。