格差と戦争にNO! -23ページ目

【報告】日本軍「慰安婦」被害者に正義を!日本全国、世界各地で同時に行う『韓国水曜デモ1000回ア

12月14日

日本軍「慰安婦」被害者に正義を!日本全国、世界各地で同時に行う『韓国水曜デモ1000回アクション』 外務省を「人間の鎖」で包囲しよう!



格差と戦争にNO!

格差と戦争にNO!

格差と戦争にNO!

格差と戦争にNO!
あいさつする元「慰安婦」宋神道さん



格差と戦争にNO!

格差と戦争にNO!

格差と戦争にNO!

【報告】全国から電力会社・経産省を包囲しよう!12・11デモ

全国から電力会社・経産省を包囲しよう!12・11デモ
11・11―12・11再稼働反対!全国アクション実行委員会


格差と戦争にNO!
出発前の集会で発言する福島の佐々木慶子さん


格差と戦争にNO!

格差と戦争にNO!
東電前アクションによる寸劇



格差と戦争にNO!

格差と戦争にNO!

8電力会社へデモ

【報告】「緑の党」の登場――政治はどう変わるか

「緑の党」の登場――政治はどう変わるか


12月9日、グローカル座標塾第8期第3回「「緑の党」の登場――政治はどう変わるか」が開講された。


前半では、80年代初めから日本での「緑の党」的なものの必要性を主張してきた白川真澄さん(ピープルズ・プラン研究所)が、ドイツ緑の党から何を学ぶか、緑の党と社会運動の関係、日本での試みはなぜ失敗してきたのか、現段階での課題などについて講演。


最初にドイツ緑の党の出現への経過について述べ、「1968年」、「ヴィールの森の人民大学」、プロクドルフ原発反対運動など議会外の運動から、「緑のリスト」による地方進出から連邦政党「緑の党」結成、連邦議会進出、「反政党的政党」として「緑の党」。「緑の党」を担った「68年世代」の活動家たちの4つの流れへの分化したこと。


その後の議会政党としての緑の党の成熟=変質について述べ、ユーゴ空爆賛成を経て、02年「新綱領」で制定し、4つの基本価値から「非暴力」を外し、「われわれは、『反政党的政党』ではなく政党システム内部におけるオルタナティブ」と自己規定した。資本主義批判を弱め、「エコロジー的社会的市場経済」を提唱したこと。そして、今年に入り、3・11をきっかけにした脱原発での大きく躍進した。


さらに社会運動と「緑の党」の関係としては、議会に「緑の党」が参入することで社会運動の主張を政治争点化する役割を担うこと。そして、「緑の党」が選挙や議会で無視しがたい勢力となることが「普通の政党」に傾斜させていくジレンマを指摘した。


続いて、日本における「緑の党」形成をめざす試みの歴史について述べ、1970~90年代以降の社会運動の展開について説明。


そして、「市民派・エコロジー(緑)派」としての国政選挙への挑戦が、1983年「無党派市民連合」、89年「原発いらない人びと」、95年「平和・市民」、04年「みどりの会議」などで失敗したこと。市民派・緑派の地域や東京選挙区での挑戦は一定程度成功したこと。

さらに「みどりの未来」結成の経過、2011年の統一地方選挙で市民派・緑派がぶつかった大きな壁などについて説明。


日本では、なぜ「緑の党」が登場できなかったのかについて、1つはドイツに比べると、人びとの社会意識や政治文化の変化は底が浅く、「責任をとる、とらせる」文化が不在のままであること。


そして、政党間競争システムに参入できる空間は、限られていたが存在した。

問題は主体の側にあったと指摘。
それは、社会運動と政党の間の大きな壁と、市民派・緑派の地方議員も「緑の党」よりも「無所属」で立つ方を選ぶこと。

その上で「緑の党」の登場を阻んできた最大の主体的要因は、党の形成を担う人材の不足であったと指摘。日本の「68~69年世代」の新左翼のなかで「緑の党」形成に努力したのは、ひじょうに少数に限られてきた。


しかし、3・11以降、日本社会で「緑の党」を登場させる歴史的「好機」が訪れている。タイミングを逃してはならない。期待と関心の高まりを基盤にして、現にある人材と力量を最大限に集め、有機的に結合し、主体的力量を高める以外に道はないと結んだ。



格差と戦争にNO!

議論では、反政党的政党についての維新の会など首長新党との違いについてや、日本で「緑の党」が実現できなかった主体的の問題、「緑」は貧困・格差の問題をもっと出さなければならないのではないかなどの意見が出されていた。


次回第4回
3・11で社会はどう変わったか
講師 白川真澄
会場 文京シビックセンター3階
参加費 1000円・要申込み