格差と戦争にNO! -209ページ目

7月29日 川田龍平さん当選

729日 川田龍平さん当選


参院選東京選挙で、川田龍平さんは5位 68万3629票で見事当選を果たした。
「戦後レジームからの脱却」を掲げ、国家主義・市場原理主義路線を推し進めてきた安倍政権与党=自公は大敗した。

川田龍平の勝利は、日本社会の変革に向けて大きな意義を持つ。


当選時の様子については

川田龍平を応援するブログ

http://ryuheikawada.seesaa.net/






※選挙応援した人からの投稿


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選挙運動をしてみました

 7月21日と22日の週末,わたしは参議院東京選挙区の川田龍平候補の選挙運動を応援するため,街頭での宣伝に参加した。

 21日土曜日の午後3時。4時からの演説があるということで,少し早く3時すぎに東横線の学芸大学駅に着いた。「龍」という文字のはいったそろいのTシャツを着ている人たちがいたので、声をかけるとスタッフの人たちだった。よく見ると候補者の名前のはいったのぼり旗とビラを持っているが,あまりよく見えないようにしているので,どうしてなのかと訊ねると,候補者が到着するまでは公選法により宣伝ができないのだそうだ。法律で保護されているはずの選挙運動だが、実はいろいろと規制があって不自由なんだと思った。

 ビラは配らずに見せるだけならいいらしく,見せながら声をだして宣伝するという方法もあるとのことだが,旗もたてず,ビラも渡さずに声だけで宣伝するのは、スタッフがいない泡沫候補のように思われたり、やる気がないように見られたりするので,しないということだった。候補者が到着する直前から集中的にのぼり旗と拡声器を使っての演説を始め,法定ビラをまくというのが選挙での街頭宣伝のやりかたなのだと知った。


 ビラを撒いていると、さすがに受け取りがよい。候補者が到着し、握手をして回ると、更によく受け取ってくれる。車も入れない小さな駅の前のスペースだが、人通りは良く、通る人たちの印象には残りやすかったのではないだろうか。


 三十分ほどで学芸大学駅からは撤収し,わたしは電車で、次の合流地点である自由が丘駅に向かった。今度はかなり広い駅前広場がある。広場の真ん中に選挙カーを止めて声を出し、そこから道路を挟んだ駅の入り口で候補者が回ったり、ビラを撒いたりすることになった。

 この駅での人々の反応がとてもよかったので,予定時間をオーバーして宣伝をすることになった。駅から出てくる人たちと駅に吸い込まれる人たちの速度にまけないように歩き回りながらビラまきをしていると,ふと、私の名前を呼んで声をかける人がいた。何年かぶりに会う高校の同級生だった。いまは有名企業の社員だが、元は運動仲間で、後で酒を飲む約束をした。


 むかしはかなり有名だったというフォーク歌手の人が応援に来ていた。それで、歌ってくれた。持ち歌を歌わないのは,そうすると「利益供与」で違法になるかららしいとあとから知った。それで憲法九条を歌にしたものとか,平和をうったえる歌を歌っていたようだ。私は暫く、ビラまきを休んで、選挙カーの前で、その歌手と川田龍平氏たちが曲にあわせて手をうごかしているのを見ていたのだが、後ろにいた若者二人が,「どうも,選挙で歌を歌うっていうと,『ショーコーショーコー、アサハラショーコー』というのを思い出しちゃって、いやなんだよな」と話しているのが聞こえた.事実は歌で選挙運動をしているわけじゃなくて、歌手が応援に来てくれたから、そういうことになったのだけれど,世の中の人たちはいろんな感じ方をするものなのだと思った。

 22日は午後4時から銀座で宣伝を行うということで、銀座に向かったのだが、詳しい場所を聞いていなかった。そこで,早めについたので歩行者天国を歩いてみたのだが,直前に安倍晋三が来ていたようで、大声で何かをさけんでいる女性の親子を公安がとりかこんでいたりした。のちの新聞の報道によれば,ここで安倍晋三はSPをひきつれて車からおりて演説会場に向かい、途中、菓子を投げつけられたらしい。それでも安倍を見にホコテンの人たちが近寄ってきて人だかりができたらしいが、川田龍平と議席を争っている丸川珠代は、その後ろをとぼとぼと歩くだけだったという。わたしが到着した頃には、その現場では国民新党の比例代表の候補者が一人で立って演説をしており、さながら荒れ地のあとにのどかな風景が生じたといった感じであった。歩行者天国の反対側の一角では、民主党の候補を応援する人たちがひとかたまりになっていた。だが,まだ候補者が到着していないからか、ただ、集まっているだけという感じで、何をしているのか、はた目にはよくわからなかった。


 実は、川田龍平の宣伝は,歩行者天国ではなく,マリオンと地下鉄銀座駅の入り口の間で行われた。ここも人通りは多いが,人が動いているので,無関心に通り過ぎていく人も多い。心なしか,自由が丘駅前と比べて、人々の反応が冷たいように感じた。だが、人が流れていく分、多くの人に訴えることができたとも言える。

 『日刊ゲンダイ』は川田龍平の演説がいいと書いてくれていたが,それは,「薬害と年金の問題は根がつながっている」ということをシンプルに訴えるもので、近くで繰り返しきいていると,別の話も聞きたくなったりもする。だが,道を通り過ぎる人々に訴えるには,同じことを何度でも語るということが大切なのだろう。応援に来てくれた人は「龍平が31歳まで生きられた」ということの重みを語り,そこから,いのちを大切にする政治というところに話をすすめようとしていた。ことによったら,そんな話し方が,悪意のある一部の週刊誌で「涙で訴える」という点で川田が丸川といっしょにくくられる材料にされたかもしれず,心配になった。両者の違いは,ちゃんと聞く人にはわかるだろう。だが,短い言葉しか聞き止めない通行人に対してはどうか。選挙というものの難しさを感じる。


 午後5時半、新宿三丁目の伊勢丹前に集合し,そこから候補者とともに新宿の歩行者天国を大集合地である新宿駅東口アルタ前へと行進する。伊勢丹前では、その直前、レズビアンであることを公言して民主党から比例代表に立候補した候補がパレードをしていた。性的マイノリティーたちを象徴する虹色の旗をたてたパレードには、いろいろな風体の人たちがいて、おもしろかった。そして気がつくと、そのパレードの中にいた人の一人が,こんどは川田龍平の行進についてきていた。選挙をテレビや新聞で見る視点からは,こうした体験は票の動きとは関係のないこととして切りすてられてしまうだろう。だが,選挙中の日曜日の歩行者天国は,結構、この国の政治にじかに接し,ナマで体験できる貴重な空間であるようだ。


 アルタ前でビラをまきながら、ふと,「このビラまきがおわれば、すぐにわたしも、いま、目の前を通り過ぎていく通行人たちの一人になるんだ」と思った。ビラをまいている自分には,その距離はあまり大きなものだとは思わないが,はたして通行人となった自分は、ビラを撒いている人たちをどう見るだろう。政治活動をしたことがある人間でも,いったん通行人のなかにはいってしまうと,活動をしている人がとても遠くにいる人間のように感じてしまうのではなかろうか。ましてや全くそのような体験のない人なら、なおさら無視すべき対象になってしまうことだろう。しかし、ちょっと週末に選挙運動をしてみようかなと思い立って,手伝ってみたら,その距離は、ほんの一歩だ。それがほんの一歩だということに気がつく人が少しでもふえることが,われわれの選挙戦におけるほんとうの勝利なのかもしれないと思う。だからこそSPと公安と、交通規制と機動隊の装甲車をひきつれた人間にくっついてまわるような候補者に負けるわけにはいかない、とは感じた。 (7月23日)

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7・28川田龍平最後の訴え

7月28日、川田龍平 渋谷で最後の訴え


参院選挙運動最終日の7月28日、川田龍平さんは立川を皮切りに都内十カ所で最後の訴え




6時過ぎ、川田龍平候補が渋谷駅宮益坂口に到着

1000人を前に「あと一歩のところまできた」「今の政治を変えられるのは薬害エイズをたたかった川田龍平です」と訴え



応援に駆けつけた滝田栄さん(俳優)、永六輔さん、上川あやさん(世田谷区議)、広河隆一さんなどが次々と「川田龍平こそ参議院へ」と訴えた。






応援する滝田栄さん(右)




応援に駆けつけた永六輔さん




応援演説する上川あやさん



応援する広河隆一さん

演説する福士よし子共同代表(都議)






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