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進化・進歩を感じることは?

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ダーウィンの日

 

進化・進歩を感じることは?

 

 

たくさんあります。

日々、感じています。

 

これは、人間を取り巻く環境に

(環境の多様性に)適合していくためには

進化・進歩を続けなければならない、

適合できなければ

最悪の場合、生きていけない

という

これは、否定できない事実。

 

 

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[必要多様性の法則]

 

「複雑多様な環境に

対応するには、

それに対応する組織も

同じ程度の多様性を

持っていなければならない」

という法則。

(アシュビーの法則)

 

提唱したのはこの人。

ウィリアム・ロス・アシュビー

医学者・精神科医

「複雑系」とか「一般システム理論」とか

「サイバネティクス」をかじると、

登場する研究者。

(興味がある人はググってください)

 

ざっくり言えば、

「組織」は、

それを取り巻く環境と

適合しなければ、

「組織」は、死んじゃいますよ。

環境が多様化するなら、

「組織」もそれに合わせて、

多様性を持たなくては

なりませんよ。

という感じですかね。

 

ここで、組織というのは

「会社」でも「学校」でも

「政府」でも

もっと大きく「国家」や「地球環境」

でもいいわけです。

逆に小さく「個々の人間」でも同じ。

 

例えば「大学」

この教育機関は、

生き残るためには、

それを取り巻く環境に

敏感に反応しなければならない。

 

というわけで、例えば、

慶應義塾大学における、

藤沢のSFCなんか

その顕著な例で、大学を取り巻く環境へ、

ここでちゃんと組み手を用意してある。

 

早稲田大学だって、

所沢でやっている(のかな)。

 

東京大学

ここでは、なにをやっているのか?

 

よく考えたら、東大は

「環境に適合する」

ことを考えるより、

「環境自体を作り出す側」

なのかもしれない。

 

つまり、人間には

「環境を作り出す」

少数エリートと

 

「その作り出された環境に

適応することを強いられる」

その他大勢がいるのだろう、

たぶん。

 

慶應義塾大学レベルだと

「少数エリート」

「その他大勢」

が混在するかもしれない。

 

少数エリート『三田』の芦田愛菜

 

 

エキストラ『SFC』の鈴木福

 

この差である。

 

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ワタシの母校は、

早慶よりはるか下の

「MARCH(マーチ)」と呼ばれる

大学群のひとつであり、

当然ここには

「少数エリート層」は存在しない。

「環境に適合して生き残る」

だけの学生しか存在しない。

 

となると、大学は

そういう学生のニーズに

答えなければならない。

 

「MARCH」の中の

「M」の明治大学と、

「A」の青山学院大学は

そのあたりをうまくやっていて、

社会環境の多様化に対応した新学部も

色々設置されている。

 

明治大学

「情報コミュニケーション学部」

「学域横断」を実現する

多彩な教養・研究科目群

 

「国際日本学部」

日本と世界の文化・社会を学び、

「日本と世界をつなぐ」力を身につける

 

「総合数理学部」

基礎力・応用力・実践力を養うカリキュラム

 

こんなところ。

 

*********

青山学院大学

 

「総合文化政策学部」

文化やアートをプロデュースし

マネジメントする力が身につけられる

 

「社会情報学部」

現実の問題発見を通して、

現代の社会人に不可欠な力が磨ける

 

「地球社会共生学部」

卒業後の進路に合わせ、

4つの専門分野からオーダーメイドで

カリキュラムを組める

 

「コミュニティ人間科学部」

5つの専門領域で学べる

 

こんな感じ。

 

ハッキリ言って、学部名からでは

何を勉強しているのかよくわからない。

 

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しかしながら、

ワタシの母校はひどいもので、

40年前に都会の喧騒を離れ、

八王子という田舎に引っ越しました。

 

これは、

大学を取り巻く

環境の多様化との

"組み手"を拒否し、

山の中で何の刺激もない

「隠遁生活」を

始めたようなもの。

 

ワタシも、この大学で

緊張感のない学生生活を

おくりました。

実家が吉祥寺だったため、

刺激がないということはなかったのですが、

地方から出てきて、

大学の近所にアパートを借りて、

通学していた学生にとっては退屈だった

(と、もらす友人もいた)。

 

喧騒に飢えたら、

京王線の特急に乗り30分、

新宿に向かうしかない。

 

「勉強に集中できるから

いい環境」

という人もいました。

しかし、知識を磨くのは、

山の中ではなく

都会の喧騒の中でしかできない、

とワタシは思っています。

「知行合一」というやつ。

 

数字は正直で、

偏差値は少しずつ

下がり続けていて、

法学部や商学部の

国家試験合格者数も減少。

 

司法試験を目指す

法科大学院への進学においては、

ここの法学部を出た学生は

なんと慶応のロースクールに

入るという。

 

慶応のロースクールにおいては、

慶応の卒業生より、

こちらの出身者のほうが多い

というのは

どういうこっちゃ!

 

司法試験に合格すれば、

慶応の出身者として

カウントされるわけです。

 

これっていわゆる

「学歴ロンダリング」じゃないの?

 

「これじゃアカン」と

(大学のトップが考えたのか)

40年ぶりに法学部が

山から都会に戻ってきましたけれど、

どうなることやら。

 

40年前より、環境は

多様化していますけれどね。

 

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こういう、環境への適合は、

組織だけじゃなく、

個々の人間にも言えること。

 

毎日ネタにしている

『デキる猫は今日も憂鬱』の諭吉

 

「人間の進化」の図のごとく

2足歩行を始めて、

飼い主である福澤幸来(28歳 会社員)の

弁当を作ったり、洗濯したり、掃除したり、

買い物に行ったり、そういう進化をしている。

 

これも「環境への適合」の

必要性からのものだろう。

「おにぎり」をにぎらなければ、

幸来は死んでいたのだから。

 

しかし、飼い主の幸来が

進化しない、むしろ諭吉が関与することによって

退化している、となると

 

 

結局、2人合わせて

「プラスマイナスゼロ」

諭吉がいなくなったら、

幸来には確実に生命の危機が

訪れるはず。

(ま、アニメの世界だから

ムキになることはありませんが…)

 

**************

はい、今日はここまでです

 

最後までお読みいただき、

有難うございました。

 

おやすみなさい