七五三の日 | 中央委員会

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子供の頃、お祝いの日に食べてた定番は?

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七五三

 

子供の頃、

お祝いの日に食べてた定番は?

 

定番は「赤飯」でしたね。

赤飯 + 主役の(姉弟の)好物

 

ワタシの場合は

赤飯 プラス

「うなぎの蒲焼」でした。

 

お赤飯の上に

うなぎを乗せたらひどく怒られました。

「バカもん、うな丼じゃない」

 

ハイ、別皿で食べました。

別皿のうなぎって、

なんか美味しくないですよ。

ご飯の上じゃないから、

すぐに冷めるし…

 

しかしながら、

岐阜県大垣市には

笹巻鰻赤飯なるものがある

(ふるさと納税の返礼対象品

興味のある人はググって!)

 

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七五三かぁ

[自分の七五三]

 

全く覚えていないが、

写真が残っているのでなにかやったのだろう。

 

家族写真だから、

誰が撮ったのかよくわからないが、

工業デザイナーの叔父だろう。

このひとは、冠婚葬祭に

カメラを持参して撮ってくれたものだ。

 

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それ以前に

ウチは4人姉弟なので

こういう行事の数も多かった

(ような気がします)。

毎年、七五三をやっていたのでは…

 

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 [ブロニカ]

 

ブロニカとは、

今はなき「ゼンザブロニカ社」のカメラで、

中判といって普通のフイルムサイズより

大きなフイルムを使うカメラ。

↓こんなの

 

フイルムの比較

右の黄色いのが

一般的な「35mm判」のフイルム。

左の白いのが「中判」のフイルム。

え、「35mm判」がわからない?

 

もういいや、忘れて下さい。

 

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今どき中判のフイルムカメラを

使うやつはいない

 

このカメラを使うと

フォーマットの関係上、

背景がボケて

人物がよく撮れると(勝手に)思っており、

これを持って、東京・経堂

(きょうどう・小田急線)に住んでいた

甥や姪の七五三の撮影に行った。

 

近所のスーパーに

「七五三撮影特設会場」ができて、

とりあえずそこでプロ(多分アルバイト)が

撮影した。

 

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そのあと「世田谷八幡宮」に移動

スーパーで撮影したものより、

私が神社で撮ったほうが、

うまく撮れたと(これも、勝手に)思っている。

 

少なくとも『エモい』

(↑もうすでに死語)写真が撮れた。

 

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 [スマホ]

 

今じゃ七五三の撮影風景も変わって、

みんなスマホで撮っている。

親戚一同で撮り合っている。

時代が変わったものだ。

 

そんなにスマホがよく撮れるように

出来ているのかどうか、

さっぱりわからないが、

一眼、せめてコンパクトデジカメ

こういう人も見なくなったような気がする

(別に調べたわけじゃないけれど…)

 

 

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[スマホ持ち込み]

 

なんて考えていたら

「写真スタジオ」だけど

「スマホ持ち込み可」です、

なんていう間抜けなスタジオがあった。

これなら

「写真スタジオ」だけ貸して

「あとは自前のスマホで撮ってください」

という商売にしたほうがいい。

カメラマンなんていらない

 

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[写真好きのおじさん]

 

親戚にいるであろうカメラ好きのおじさん、

(おばさんでもいい)

 

こういう人に撮ってもらったほうがいい

(ような気がする)

 

Canonでも

OLYMPUSでも

ライカでもいい

ライカを持っているおじさんは

かなりマニアかお金持ち。

 

なぜなら

「本人」も「カメラおじさん」も

思い出に浸れるから。

本人は忘れても「カメラおじさん」

覚えているから。

 

スタジオで撮ったとした場合、

馴染みの写真館は別として、

寫眞館イメージ

(「写真店」<「写真館」<「寫眞館」

というワタシの個人的イメージ)

 

量販型のスタジオの場合

こっちはスタジオのことを覚えていても、

スタジオはこっちのことを、

多分覚えちゃいないから。

 

というわけで、

ワタシは、姪や甥の七五三について

よーく覚えていますけれど

本人たちは、覚えていないだろうな~

 

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[スタジオのバイト]

 

某カメラ屋(中古カメラ屋?)の系列店で

スタジオ某というのがある。

 

七五三のシーズンで、

兵力が足りないというので、

申し込んでみた。

(イメージ)

 

働いているのはバイトの

お姉ちゃんやおばちゃんばかり。

(イメージ)

みんな優しそうだ、

ま、子供相手だもんな。

 

貸衣装も自由に取り替えできるというが、

陳腐。

 

背景の巨大なロールも陳腐。

 

おまけに、写真のプリント渡しは、

すぐにやってくれるが、

CD焼きは半年だったか一年後

(当時、今は知らない)。

 

なんだよ、

データ送って工場でやってるんじゃん。

 

なーんて、

悪口を書いているのも、

そのバイトに落ちたからです。

 

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[七五三の起源]

 

いつからはじまったの?

 

七五三の起源については、

複数の説がありますが、

小さな子どもの成長を祝うという習わしは

平安時代にはじまったとされています。

 

その後、時代ごとの影響を受けて

変化を繰り返し、

江戸時代の徳川家によって形が整えられ、

明治や大正といった時代を経て、

庶民にとっても馴染み深い行事となり、

現在の形に定着したと言われています。

 

 

このように、

七五三は主に関東地方で盛んに行われ、

全国へと広がっていきました。

 

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[江戸幕府]

 

江戸時代の徳川家。

江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の長男である

徳川徳松の健康を願い「11月15日」

公式にお祝いをしたことを皮切りに

「七五三」という風習は武家や商人の間で

急速に広まっていきました。

 

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[浮世絵]

 

こっちは

『七五三祝ひの図』(二代歌川豊国)
弘化頃(1844-1848)

 

先頭は三歳髪置きの娘で、

髪を結い赤い振袖を着て

抱え帯をした母におぶられている。

 

次は七歳帯解きの姉娘で、

この日から付紐を用いない振袖を着て、

頭には長寿の願いを込めた綿帽子を着けている。

 

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[各地の七五三]

 

北海道編

 

七五三の正式な日程は、

11月15日ですが、

日本の北部である北海道では

11月半ばには既に雪が降り始めるため、

10月15日頃に行うのが一般的です。

 

この日程には、

しっかりとした由来があります。

1949年に、

札幌の神職たちが寒さを考慮して、

北海道全土で10月15日

七五三の日とすることを決定しました。

 

 

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関西編

 

関西地方でも七五三は行われていますが、

関東圏に比べると熱心ではない

地域が

多いと言われています。

これは、七五三の発祥が

関東地方であるため、

そこから広がってきたという背景があると

考えられます。

 

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土着の祭礼がある地域

 

(例)

新潟県編

 

新潟県にある松苧(まつお)神社は、

国の重要文化財に指定されており、

坂上田村麻呂が創建したとされています。

 

この神社では、独自の風習である

「七ツ詣り」と呼ばれる行事が

行われています。

 

この行事では、7歳になる男の子が、

神社がある松苧山の山頂まで

登ってお参りをします。

 

松苧山は標高360メートルあり、

登山の途中には鎖場などの険しい箇所もあり、

7歳の子どもにとっては容易ではありません。

 

無事登頂に成功したら、

神社でご祈祷を受けた後に、

家族や親戚と一緒に

宴会の席でお祝いを受けます。

 

 

 

 

 

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鹿児島県編

 

鹿児島県の「七草祝い」

 

七草祝いは、薩摩藩の時代から

伝統的に続いている儀式です。

 

数えで7歳(満6歳)の男女が、

1月7日に晴れ着を着て

神社で御祈祷を受けます。

 

神社でお参りしたあと、

重箱やお椀をのせた膳を持って

近所の家を7軒まわり

七草粥をもらい歩くという

風習がありましたが、

ここ最近では

なかなか7軒まわるのも難しいため、

ご祈祷後に親族だけで会食を開いたり、

神社によってはご祈祷後に

お粥の授与があるそうです。

 

七草粥の別名、

ナナトコズシ(七所雑炊)

 

(こんな様子)

祖父母宅にピンポン。

ご挨拶。

ズシをもらう。

 

 

すごい風習。

お粥ですよ、お粥!

それを7軒も回って、もらい歩く。

難儀だなぁ。

 

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神聖な七五三の話はここまで。

 

以下、七五三をいつ祝ったのか、

おそらく忘れているか、

「戦後の混乱期」であったため、

始めから執り行っていないか、

よくわからない、

クソババアとその取り巻きである

オバサンとねーちゃんの話

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[今日のババアども]

 

帰宅したら、ドアポストに

今度の土曜日の定例役員会

開催通知が入っていた。

 

まず見て、嘲笑ってしまった。

右上にある会議の招集者

ここではクソババアの会長名が入るのだが、

(いつもは「会長 〇〇 〇〇」という具合)

今回のものは、

「会長 〇〇さん」だって。

明らかに別の人が作成したとわかる。

 

 

しかし、作成を依頼された方も、

「会長 〇〇さん」なんて書くかねぇ?

常識的には「会長 〇〇 〇〇」でしょ?

 

これ、一度も社会人として

働いたことがない証拠でしょう。

 

もう、ノリが「懇親会」というか、

午後に誰かの家に集まってお茶をするノリ。

決して「会議」のノリではない。

(今に始まったことではないが…)

 

しかも、用紙がA4ではなくB5判。

 

管理人室横の事務機器置き場には、

コピー機が置いてあり、

備え付けの用紙はA4しかないはず。

これをB5でよこすということは、

コンビニかなんかで

自腹でコピーしたということ。

 

ま、事務機器置き場のキーと

コピー機の利用磁気カードは

クソババア会長しか持っていないし…。

 

クソババアに妨害されたか?

 

それ以前に、クソババアは

誰に作成を言いつけたのだろう?

 

いつもは、自分で作成するくせに。

 

また、ヒステリーを起こして

誰かに命令し、

コピー機も使わせないという

意地悪に出たか?

 

言いつけられた方も

「会長 〇〇さん」と記し、

さらに、B5でコピーして

反抗心を暗に示しているとかね。

 

もう、やめてくれよ、クソババア

 

ワタシは、

こんな「会議」という名の

「懇親会」は嫌なんだよ。

 

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というわけで、

ババア共の間での「内ゲバ」が

愉快であるのと同時に

週末の「会議」という名の「懇親会」が

不愉快なのですが、

くさくさしてても仕方がないので、

もう寝ます。

 

本日も

最後までお読みいただき

有難うございました。

 

おやすみなさい