今日は安部公房のテープを聴いた。
もちろんYoutube経由なのであるが
小説を生む発送 箱男について
とのテープであるが、講演後半にて話していたキーワードが気に入ってしまったのでここに紹介したい。
充足した独房 と 欠乏した自由
意味は、今から展開する自分の視点視野から推測して各々で解釈して欲しい。
まだ不透明だった時代、未知数さ、手探りだったあの頃、わからないが故にワクワクしたあの瞬間。きっと、物事の初まりや新しい概念、既存ベースでの真でなく真であること。
そういった類のものが、今現代では失われている気がする。それは実生活から精神性まで。約束された快楽、枠の中での単純な消費、ある程度安心を優先し担保された未来。飛び込もうとせず、ただただら与えられた、見えるの範疇での有意義しか求めず、枠にいることへの抵抗と違和感が生まれない中で、無意識に依存と化している。
定位置での安定が悪いわけではない。
しかし、それ故に発展性や本当の意味での新しさが目に見えない。見ようとも思えない。
安部公房も問いた。充足した独房と欠乏した自由。よほどでない限りは、大半は欠乏した自由を選ぶであろうと。
さて今、あなたの生活は、精神は、人生は
どちらであろうか?
個人レベルではわからないにせよ、
今の日本は充足した独房側ではないだろうか?
我を振り返り、刹那的にでも思う節があるのならなんでもいい。一歩踏み出してみよう。
約束された充足の心地よさから抜け出す時、
違う世界や喜びが見えるはず。
安堵せず、歩を止めぬ。
そんな人生でありたい。