こんにちは、児島です。
休暇をもらって日本に帰国していたが、5月30日にまたアフガニスタンに戻ってきた。
アフガニスタンを出発した頃は、寒暖の差が激しかったが、今はすっかり暑くなっている。
今回の休暇に出る前は、
少し長期間の現地連続滞在だったので、かなり消耗・疲労していた。
恥ずかしい話だが、私は赴任して6年以上経つにも関わらず、
未だに、現地に長期間滞在していると、徐々に、業務に著しい能率低下が現れてくる。
そんなときは、
水資源調査事業の遂行、治安対策、人事、会計管理など現地事務所のアドミニストレーション業務、
ロジスティクス業務、対外業務、
全てがリズムを無くしていく感じがしてくる。
まず、疲労が蓄積する背景を説明してみる。
オフィスと、スタッフの居住部屋と、私の居住部屋が、同じ小さい建物にあり、
始終、現地スタッフとの合宿生活であるのは、まあいいとしても、
私と現地スタッフの関係が、常に色々な側面をもっていることは、やはりなかなかタフである。
私とスタッフの関係は、時として友人であるけれど、
当然ながら、私が上司として彼らを叱咤激励することは多いし、
人事権を担う私は常にスタッフの生殺与奪の舵取りの権利を持つわけだから、
時に労使の関係が強烈に溝を作ることがあるし、
往々にして、日本人というよそ者と現地の人間という垣根がどうしても大きく立ちはだかるときもある。
もし日本人など国際スタッフが複数いれば、
現地スタッフに対して、悪役、仲介役、味方役をそれぞれ役割分担できるけれど、
私は一人なので、それを一人でやらねばならなければならず、これは分裂気味な気分にもなる。
この上に、治安の悪化で判断を迫られたり、事業遂行上の障害が多発してくると、
なかなかタフな状態になる。
貧乏NGOとは、どんな団体も、蓋を開ければ、そんな状況で四苦八苦してるのではないかと思う。
私は、心の負担をなんでもかんでも”ストレス”という言葉で言い表すのは適当ではないと思っているので、
この疲労状態を敢えて違う言葉で表すなら、
”心技体がバラバラな状態”、とでもいえようか。
上記のようなバラバラな状況というのは、
唐突な例えだが、ゴール型競技でたとえると、
ミスが続いて自らの得意な流れを見失っているうちに、
相手の勝ちパターンにはまっていき、
それを立て直す手段が講じれないままに時間が経過していくイメージである。
また、スキーでたとえて言うなら、
難しい急斜面を、自分の意図する方向にターンできないままに
重力だけに従って滑降しているような気分であり、
加重はスキー板に上手く乗らないでスーッと上滑りをして、
身体は後に傾き、視界は直前数mしか捕らえていない、
そして、目の前にはコブ斜面が迫り、突如アイスバーンが現れるかもしれない不安におびえている、
そんな、バラバラな感覚である。
上記の役回りを、スムーズにこなす人間もいるだろう、
そんな人を、私は、支援業界のトップアスリートと呼びたいくらいである。
***
さて
私の能率低下というのが、具体的にどのように現れてくるか、というと、
だいたい、以下の症状が以下の順序のままで現れてくることが多い。
①鍵束のなかから、必要な鍵を見つけるのに時間がかかるようになる
私は、現地オフィスの重要な部屋の鍵23個(大きさ・形状は様々)を、
まとめて鍵束にしていつも持ち歩いている。
たいして疲労していないときは、
鍵束から、必要な鍵をすぐにとりだせるのだが、
疲労が蓄積してくると、どれだけ分かりやすい鍵でも、なかなか見つけられないのである。
ドアの前で、イライラと鍵束をこねくり回しだすと、疲労の第一段階である。
写真:いつも持ち歩いている鍵束。調子のいいときは、モーパイで取り出せるのだが・・・。
②メモを書くときに、単語を逆から書いてしまう
さらに疲労してくると、会議中や、スタッフとのMtg中に メモを上手くノートできなくなる。
一番ひどいときは、カナやスペルを逆に書いてしまう。
これは、例えば、”あいうえお”と書こうとすると、
どうしても”おえういあ”と書いてしまう症状である。
2,3度トライしても、常に”おえういあ”と書いてしまうので、
イライラしながらノートの書き損じた部分を塗りつぶしている。
これが続くと、ちょっと軽いノイローゼかなあ、などと自己判断する。
③足し算、引き算が出来なくなる
最終的には、簡単な計算が出来なくなる。
ここまでくると自分でも笑えるくらいであり、事業遂行に支障がでていると考えて間違いない。
④脈絡なく、過去の情けない思い出が蘇る
仕事中や現場移動中に、
まったく関係なく、なんの脈絡も無く、
昔の自分の情けない記憶が、その当時の感覚とともにフラッシュバックするようになる。
たとえば、
小学校1年生の時に、理科の授業中に鼻クソをほじっていたら、
あこがれていたクラスメートの女の子と偶然目が合ってしまったことなど、である。
なぜか、当時の絶望的な感覚もフラッシュバックしてしまい、冷や汗をかくのである。
笑えるはずの思い出が、笑えない形で、突然よみがえるのは、ちょっとした恐怖である。
この4つが、疲労と共に顕在化する私の症状であり、
現在の私の疲労バロメータになっていて、自分の状態を計るいい目安になっている。
なんというか、①②③④の症状がでて、心技体バラバラな感じのときでも、
バロメータによって、「ああ、こりゃ、ワシは疲れとるなあ」と、
ある程度自覚的になれると、疲労がすこし緩和される気がする。
***
さて、とすると次の課題は、この疲労を自覚したときの対応である。
そういえば学生時代、国際支援という職業に興味を抱きはじめていた頃に、
犬養道子著「ある歴史の娘」(中公文庫)を読んだが、その本の中で犬養さんは、
”国際支援の現場で働く人のなかで優れた人は、
自分が疲れたときに、それにどう対処すればいいかを知っている人だ”
というようなことを書かれていたような記憶がある。
そこで私も、
以上の4つの症状が出だした場合に現在どのように対応しているのか、ちょっと自分のことを考えてみたが、
あまり有効な方法はないのが現状だ。
大体の回復方法は、身体を使ったトレーニングである。
まず、①や②が症状の軽いうちは、
仕事を一旦休んで、
身体を使ったトレーニングを行うことによって緩和する事が出来る。
しかし、治安が悪化しているので、不用意にオフィスの外に出ることはできないから、
チームで行うスポーツで汗をかくことはできない。
だから、オフィスの敷地のなかで出来ることを工夫している。
たとえば、ジョギングはだいたい毎日しているが、
狭いオフィス(1周150mくらい)の庭をコマネズミのようにぐるぐる周回するので、
何周したか分からなくならないように、小石を並べて数えている。
写真:周回数を数えるための小石。50周もするとなんだかむなしくなってくる。
始めは現地スタッフは馬鹿にしたような目で見ていたが、そのうち、真似して走るようになって、
時々、狭いオフィスの庭を数人がチョコチョコ走っていたりして、コミカルである。
また、体幹や足腰がなまらぬように、
業務用車両のパンクしたタイヤの上を、
つま先の位置を前後・左右に変えながら縄跳びのように飛び続けるトレーニング、
これは足腰の筋肉と、バランスを保つ筋肉を強化することが出来る。
写真:ランクルで使用していた古タイヤ、
この上で、つま先を前後左右に動かしながらぴょんぴょん飛び続ける。
1セット5分間、5セットくらい。
また、
以前は難民キャンプを運営していたこともあり日野トラックを4台も所有していたが
そのころのトラックの古タイヤを捨てずにおいてあって、
それを、7kgの鉄ハンマーで、延々とたたき続けるトレーニング。
これは”にっくき日本の上司の顔を思い描いてぶちのめすイメージで”、というのは嘘ですが、
ハンマーは両手の小指から中指で握って持って、
へその下に重心を持ってくるイメージで(股関節を意識すると良いらしい)、
足から腕までを使ってタイヤの縁をたたき続けるものである。
まとまった一連の動作で全身を動かせるので気持ちがいい。
写真:たたき続けてボロボロのトラックタイヤ。
これ以外にも、
自腹で設置してもらった鉄棒で懸垂をしたり、ただただ長い時間ぶら下がったりもしている。
また、自動車の要らなくなった部品で作ったダンベルをつかったり、
学生時代、剣道をやっていた後輩に腰痛予防にいいと薦められた素振りをしたりもしている。
それ以外にも幾つかある運動メニューを、組み合わせて行っている。
ただ、”精神的な疲労回復のため”などという合理的な目的をもったドリルにしてしまうと、
陳腐な合目的性しかないマニュアルになってしまい、
それだけで興醒めしてしまう。
本当は、何かのスポーツのスキルアップのためのドリルとしてメニューを組み合わせれば、
気分転換になり、疲労回復にもっと効果があるのだろうけれど、日本人一人ではそれも出来ない。
(アフガニスタン人スタッフと一緒に何かスポーツをすればいいのだが、
現在のスタッフは、それなりに年配が多く、
ある年齢以上のアフガニスタンの人々は、チーム形式スポーツをする、という習慣がない。)
だから、私は、自分の身体が発信してくる”運動したい”という要望に応える形で、
そのときそのときに”したい”と思ったトレーニングメニューを行っている。
写真:懸垂用鉄棒。3、4年前に、バザールのウェルダーさんに来てもらって、
設置してもらった。20ドルくらいで済んだ記憶がある。
写真:トラックの動力系(おそらくどこかのギアか?)の部品を使って作ったダンベルと、
素振り用の鉄棒(水道などの水周り用パイプ)。
とまあ、いろいろ工夫はしているつもりであり、
このようなトレーニングで汗をかくと、ちょっと症状が軽くなる気がするのである。
特に、局所的な部分をトレーニングするメニューより、
身体全体を使ったメニューの方が、気持ちの爽快感があるような気がする。
***
そういえば、大学の博士課程で水文学の研究をしている頃、
とくに研究が思うように進まなかった頃、
やはり疲れがたまりやすくなっていたころがあったので、
当時はほぼ毎日、時間を見つけて大学の近くのプールに泳ぎに行っていた。
その頃、なにかの本で偉い学者先生が、
「精神的なストレスは、血中に含まれるある種の酵素量の増加となって現れる。
この傾向が顕著になると、運動をすることでしかこの酵素を減らすことが出来ない」と述べていた。
この説が、当時も今も妥当なものなのか調べた事がないので、真偽はわからないが、
あの泳いだあとの爽快感は、
研究が上手くいっていない時でも、何とかなる気がしてくるという、
なんというか、
根拠のない楽観的な自信がみなぎってくるような、
そんな気持ちのいい性質のものだった。
そういうわけで、
運動は、疲労を回復させ気持ちを前向きにするための処方のひとつであると思っている。
上記した私の疲労回復方法は、なんだか身体トレーニングに偏っているようにも思えるが、
本当に疲労がたまると、読書やら、音楽鑑賞やらでは、全く、心技体のバラバラ感は回復できないのだ。
ことに、音楽鑑賞などは、四六時中、爆発音や銃声に神経を尖らせていなければならないので、
あまりできない。
***
しかし、こういう努力もむなしく、
そのうち、運動による疲労回復メニューも効果が無くなってくる。
(ただし、運動は、一見、疲労回復効果がなくなったようでも、やらないと更に疲労が蓄積する感じなので、
それなりに続けている。)
そうなってくると、いよいよまずいなあ、と判断する。
ただし、私には水資源調査事業という”現場”があり、
河川や山岳域などの現場を訪ねると、
仕事にリアリズムが呼び起こされ、
心の中に、再び勢いが生まれてきて、気分が一新されることがある。
だから現場によく出る事ができた頃は、疲労の蓄積も緩やかだった。
しかし、昨今の治安悪化によって外出は著しく制限されるようになったので、
これは私の疲労にとっては致命的である。
5年前は、朝、ガードさんと一緒に散歩をしていたのだが、それさえ出来ない。
残念ながら、大学で研究していた頃の水泳と同等のすがすがしさは、
オフィス内の運動では得る事が出来ない。
そんな状態で上記の症状③までいくと、ちょっと別の方法を考えないといけない気がしているが、
いまのところ思いつかない。④までいくとどうしようもない。
まあ、こんな感じで、
犬養道子さんの説を借りて言えば、
効果のある疲労回復方法を持たぬ私は、
支援業界では劣等生ということになろうか。残念だ。
しかしこれでも昔の自分と比べればいいほうで、
以前は、上記の4つのようなバロメータも無かったので
(というよりも、症状として自覚がなかっただけかもしれない)、
気づかないうちに過度に疲労していた。
たしか2004年頃には、3週間くらい熱が下がらなくなってしまい、
駐屯しているレバノン軍の医療施設で検査をしてもらったりした。
そういえば、シェラレオネで井戸掘りの仕事をしているときも、数週間熱が下がらなかったことがあった。
シェラレオネではマラリアで6回くらいギブアップしたが、
数週間熱が下がらなかったときのほうが、原因が分からずしんどかった。
また、アフガニスタンで駐在を続けるうちに持病のヘルニアが悪化して、フィールドで動けなくなり、
ISAFの医療施設で診て貰うはめになったこともあった。
新潟中越地震の際には、ヘルニアで右足が完全に動かなくなり、階段から転げ落ちそうになったこともあった。
こうなっては事業が滞るから、やはり、大事になる前に何とかしないといけない。
***
さて今回の休暇の前の状態は、というと、
上の4つのバロメータでいうと、
3月くらいからすでに③のひどい状況まで行っていた。
③までいってしまうと、当然仕事にもいろいろ支障がでてくる。
その影響が一番明らかにでたのは、
アフガニスタンを出国してウズベキスタンに入国したときだった。
***
私がアフガニスタンから出国するときは、
アフガニスタン北部の都市ハイラトゥンから、
陸路でウズベキスタン南部の町テルメズに入る。
アフガニスタンとウズベキスタンの国境は、有名な河川である、アムダリア(アム川)によって隔てられており、
アフガニスタン側の国境管理局を通過すると、
アムダリアを超えてウズベキスタン側の国境管理局を経て同国内に入るまで延々歩かねばならない。
まあ、重い荷物を持って歩いて移動するのはいいとしても、
一番面倒なのが、ウズベキスタンの入国管理局での入国作業である。
閑散とした国境管理局事務所には、たくさんの国境警備兵がいて、
かれらが、入国希望者の荷物と所持金を入念にチェックするのである。
入国者があまりいないから暇であることも手伝ってか、
アフガニスタン人、日本人、その他の外国人のわけ隔てなく、
全員の荷物を全て開けさせて、
入念に中を開いて持ち物検査をする。
そして、特にウズベキスタンの場合は、
外貨の出入りを細かく監視しているので、
入国者は、決められた書式を用いて、
持ち込む外貨を正確に届け出なくてはならない。
そして国境警備兵は、財布も全部開けて、
実際の所持金を丁寧に数え、
届出額と比較するのである。
***
さて今回の入国では、
症状③の状態になっていたため、
前日に、持ち込むUSDを何度も数えたにも関わらず、
所持金の合計をするのに、正しい足し算がどうしても出来ず、
知らないうちに、申請額と実際の所持金に大きな差がでてしまっていた。
それを角刈りのいかつい国境警備兵に指摘されて、
所持金を数えなおし、
自分でもそのミスが確認したときは、
さすがにゲンナリした。
ウズベク人の男性と女性の軍人が、
わあわあと間違いを指摘してきたが、
これはもう、
言い訳をする余地が全くないので、
ただただ謝って、
なんとか今一度届出書類を書き直させてもらったが、
一度、嫌疑をかけられた私は、
彼らの疑念に満ち満ちた誤解を解くことはできず、
持ち物検査を、更に入念にやられるはめになってしまった。
洗面道具の袋まで開けるのはいつものとおりであったが、
今回は、いつもならあまりやらない、
CD/DVDの検査までやられることになった。
これはどういう検査かというと、
入国者が持ち込もうとするCD・DVDに、
いかがわしい内容が含まれていないかどうかを、
実際にプレーヤーにかけてチェックする検査である。
さて今回私は、
バックアップした仕事用のデータのほかに、
アフガニスタンでよく聴いていた、敬愛する中島みゆきさんのCDを数枚、
日本でも聴こうと思って持ち帰ろうとして所持していた。
そして、国境警備兵は、もちろん、それらのCDもぬかりなくチェックしたのだった。
すなわち、
迷彩服を着た、角刈りのウズベキスタン軍人数人は、
私の所持していた中島みゆきさんのCDを、
一枚一枚プレーヤーに挿入して視聴し始めたのである。
閑散として味気ない入国管理事務所の中で、
尋問されるように立たされている私の前で、
中島みゆきさんの「悪女」や「歌姫」が大音量で美しく流れはじめたとき、
私は、日本のポップスと、神妙な面持ちのウズベキスタン軍人、というミスマッチな情景から、
「やはり、中島みゆきの曲は、世界どこででも人々の心を同調し、ゆさぶる力があるのだなあ!!」
という確信を新たにし、
なんだか非常に感動してしまったが、
その一方、
神妙な顔をして「悪女」を聴いてチェックしているウズベキスタン軍人が
なんだか唄の意味を理解しているようにも思えてきて、
それなら、さびの部分でも口ずさんでくれないかなあ、などと妄想しているうちに笑えてきて困った。
ここで声を上げて笑ってしまって、これ以上不逞な輩であるという印象を持たれても困るので、
笑わないよう我慢した。
写真:所持していて、試聴された音楽CD。気に入ってくれたらよかったのだが。
というわけで、
CDを入念に調べられて時間をとったのと、
そのあと、サリプルの山岳域の村人からプレゼントされた、
伝統的な刺繍の入った手作りのベスト(村人の奥さんが手作りで作ってくれたもの)
がアンティークではないかという嫌疑をかけられて、
更に時間がかかったので、
出国から入国まで2時間以上かかってしまった。
幸い、余裕を持って早めに出発していたので、テルメズからの国内便に遅れずにすんだ。
***
以上の失敗談は、疲労していることがいかに仕事に悪影響を与えるか、ということを表す、
下らない例であったが、
とにかく、この疲労というものは、
当然、他の日常業務でも、たくさんの失敗や非効率に繋がっている。
それに、疲労がいつ大きな不全に繋がるかもしれず、
そうなればPWJのアフガニスタン事業全体に影響してしまう。
だから何とか軽減したいと思っているが、なかなか上手くいかない。
”精神的な疲労”という、
考えてみれば、なぜ起こるのか、もうひとつよくわからないこの不可解な現象は、
決して、簡単に”ストレス”と言いくるめてしまってはいけないくらい、複雑なものだと思う。
疲労が自覚できるようになったころは、すでにかなりの程度まで進行しているとも思われるから、
疲労する前になんとか解消することも考えるべきかもしれない。
私は、プロスポーツ選手のような、肉体を過酷に追い込むような環境にあるわけではないから、
自己管理、などという大げさな言葉は私には不適当だとおもうけれど、
それでも、
自分の心身という身近なものでさえ、なかなか思うように動かせないというのは歯がゆいものだ。
しかし、逆に、この心身が、
”いい仕事をしたい!”と思うとき、”ここぞ!”というときに、
スパッ!と綺麗に、しなやかに、動いてくれれば、
とてもすがすがしいものなんだろうなあ、と思う。
現場にいるからにはそういう、会心の”心技体”を目指したい。
UNAMAに勤務するスーダン人(だったかな?)の知り合いに聴いたところによると、
アフガニスタンで勤務する国連職員は6週間に一回、
イラクの場合は4週間に一回、
休暇をとれることになっているそうだ。
正直、アフガニスタンの国連職員がしょっちゅう休暇に出ているのを見ていると、
「そんなにしょっちゅう休んで、円滑に業務は行われているのか?引継ぎは大丈夫なのか?」
といぶかしく思うのだが、
一方、自分が今回のように疲労してしまうと、彼らの休暇のとり方が真っ当にも思えてくる。
彼らの仕事のクオリティがそれによって保障されているのなら、よいルールかも知れない。
***
6年を過ぎた現地生活で、心身を思うがままに動かす方法が見出せていないのは、
私のいたらぬところだ。
今回またアフガニスタンに戻ってきて現地業務を再開しているわけだが、
すでに症状②がでていて、ノートがすでにグチャグチャである。
先が思いやられる。
しかし、私のアフガニスタン滞在期間なんて、たかが6年ぽっちではないか。
こんな状況下でも、
何とか心身をしなやかに動かせるようになって、
いつか、力の漲る仕事ぶりを獲得してやりたい。
そうやって、すこしづつでも、支援の仕事のプロになれるよう、目指していきたい。