こんにちは、児島です。  



明日6月16日から17日にかけて、ブリュッセルにて、

史上初の、EUとパキスタンの間でのサミットが行われる。


めまぐるしく変化している南アジア、中央アジア、西アジアの情勢であるが、

”イラク・イラン・アフガニスタン・パキスタン”

という横一列に並んだ国々が連動して色々な事象の震源地になっている。

これらの国の中で、特に慌しく見えるのは、

パキスタンである。

この国は、昨年後半からの動きで、

あれよあれよという間に、テロ問題の中心国のひとつになってしまった。


***


さて、上記のEU諸国とパキスタンのサミットは、

巷間ではあまり話題にならなさそうであるし、

このサミットが、

当面のパキスタン・アフガニスタンの問題について、

どれくらい影響力のある決定がなされるのか分からないが、

アフガニスタンに勤務する私の、このサミットに対する関心事は、

将来(どれくらい先かわからないが)の治安の正常化にどの程度の効果があるのか、ということだ。


一方、パキスタンの経済的な側面をみれば、

周知のとおり、今回の世界同時不況のパキスタンへの影響は甚大である。

だから、パキスタンの経済面からの関心は、

如何に西欧諸国から支援を取り続ける事ができるかにある。

さらには、できれば、Euroとの自由貿易協定を結びたいとも考えている。


4月に東京で行われたドナー会議の段階で、

すでに米国は、関係国ドナーからパキスタンへの50億ドルの支援を取り付けている。

ドナーはすでに、150億ドルを、現行および中期の開発支援のために援助をしていて、

また、EUは、年間7000万ドルがカウンターテロリズムに対する支援としてすでに拠出を決定しているらしい。

そして、今回のサミット開催を前に

アメリカの調整により、

EU諸国からも、パキスタンの復興・開発に支援のために、

向う2年間資金供給に同意することになるようだ。

どれくらいの金額の支援になるのであろうか。


これだけの資金が流れ込むとなると、

当然ながら、

パキスタンは、欧米から、勢いを増しているタリバンへの効果的な対策を、引き換え条件にされている。

経済復興は避けられない命題であるから、

今後のタリバン対策は、欧米の肝いり度合いがさらに増すことになるかもしれない。

それ以上に、目下の切実な問題として、

パキスタン国内では、戦闘を避けるため、

たった2,3週間の間に、240万人もの国内避難民が発生している。

15年前のルワンダでの難民発生以来の規模である。国際社会はこれに十分こたえられていない。

JWブッシュ大統領時代、

アーミテージが、ムシャラフ前大統領を

「アメリカに協力しなければ、石器時代にもどすぞ」と恫喝した、という真偽定かならぬニュースを思い出す。


とにかく、欧米諸国は、

アフガニスタンとパキスタンに根を張っているタリバンとアルカイダについて、

かなり、あわてている。


***

現在、

御存知のとおり、

パキスタンの山岳地帯、アフガニスタンの山岳地帯が、

タリバンとアルカイダの本拠地になっていて、

パキスタン軍との攻防が繰り返されており、

タリバンとアルカイダに関わる事態が混沌とし始めている。


いろいろ報道されているとおり、

日々、交戦や自爆テロ、ISAFコンボイの襲撃などのニュースが報道されている。

例えば、ISAFや米軍がタリバンやアルカイダを標的に爆撃した際、

民間人の犠牲者がでることが、ISAF・米軍への大きな批判になりうるため、

もし、爆撃での民間人の犠牲者が少ない場合は、

タリバン・アルカイダ自らが、”民間人犠牲者をわざわざ増やす”という作戦をとっている、という話もある。

パキスタン国内でもタリバンに対する反感が芽生えていることも報道され始めている。

貧しい一般住民を高賃金で買収して、テロをさせている、という報道はもう何年も前からある。

どの報道がどれだけ正しいか分からないが、

タリバン側の戦法が、無慈悲さを肥大させながら、システマティックになりはじめている感じがする。


***


私が、2003年に赴任してからしばらくは、

北部で事実上権力を持っていた軍閥関係者の悪行を聞く事があまりに多く、

また、当時は、武装解除も行われていなかったので軍閥同士も頻繁に争っていた。

軍閥同士の対立で戦車が出動したこともたびたびであった。

非常に不謹慎な話かもしれないが、

そんな中、現地住民から、タリバン政権時代の治安のよさなどの話を聞くにつけ、

「タリバン政権のほうがよかったのではないか」

と、私は個人的に思っていた。



  アフガニスタン便り-ジュンベシ兵士
写真:2003年当時、サリプルでの支援活動中によく見た、ジュンベシ(ドスタム将軍の率いる軍閥)の兵士。この写真は、サリプル東部で、敵対する、ジャミアットという軍閥と戦闘が勃発し、その応援に向かう途中の兵隊が偶然PWJ車両の前を走っていたところを撮影したもの。左奥の兵士は、背中にPRGのテキ弾をたくさん背負っているのが分かる。


女性を拘束する慣習や残忍な処刑の習慣などがあるから、

あまりタリバンの肩を持つと支援団体としての信条のバランスを欠いてしまうが、

タリバン政権時代でも、人道援助はタリバンによって認められていて、

国際機関やNGOは許可をとれば活動が出来ていたし、

なんにしても、治安が良かったことは、アフガニスタン人、だれもが懐かしむところだ。

それに加え、以前のタリバンは、自爆テロはしなかった。

2003年に、2001年以降初めての自爆テロが(バスを狙ったもの)、カブールで発生したが、

”この事件は絶対、外国人過激派が行ったはずだ、なぜならアフガニスタン人は自爆テロなどしない”

と、パシュトゥーン人のスタッフが主張していた。


こんな、私の個人的なタリバン観を引き合いに出さなくても、

アフガニスタン復興当時、

”新しい政権には、タリバン勢力からも主要なポストを与えるべきだ”

という意見が多くあった。

それは結局実現しなかったが、

今となっては、

事態を今ほど悪化させないための一つの方法だったのか、とも思われる。

ただ、状況はそれほど単純だったわけではなく、

当時、アフガニスタンから駆逐されたタリバンをアフガニスタンの政権に戻す、ということには、

パキスタン政府が潜在的に持っている、

アフガニスタン政府に影響力を持ち続けたい、という意志が背景に含まれるため、

それを無条件に受け入れることもまた難しかったわけである。


***


ともあれ、アフガニスタンからタリバンが去ったことで、

アフガニスタン復興に関係していた国際社会は、すこしタリバンに対して油断していた。

私自身、2003年から2005年までは、実際に北部アフガニスタンにいても、

特に北部における治安の焦眉火急の問題は、

小競り合いを繰り返してた、

戦国時代の田舎武将のような中小コマンダーたちだ、と思っていた。

アメリカ軍の主導で「不朽の自由作戦」を展開していたり、

ISAFが南部東部で軍事勢力と衝突していることについて、

その善悪は別として、

それらの軍事行動が、”残党狩り”のようなものだというイメージを持っていたと記憶してる。


しかし、2005年後半頃から、

事態は、そのイメージとは全く異なっている事が徐々に分かり始めたのである。

私が抱いていたようなイメージは、今となっては間違いであったことが明白であり、

タリバン退却の実体は、

パキスタンやアフガニスタン国境に逃れ、徐々に体制を立て直していたというわけだ。

おそらく、特にその頃、アルカイダとの共闘、結びつきが強化されたに違いない。

復活しつつあったタリバンは、戦法を切り替えて、

現地住民の中に潜伏する手法をとるようになり、

ISAFや米軍の空爆などで反感を持っている住民から容易にリクルートができるようにもなった。

これに加え、

アルカイダがアフガニスタン国境地帯で行っているラジオ放送を傍受しているISAFによれば、

以前から、アラブや、ウズベキスタン、チェチェンからも過激派勢力が流入しているようだ。


タリバンは、明らかに復活を目指していたわけであり、

そこに強力なアルカイダの介入があるということであろう。


そして、現在にいたり、状況は悪化していることは間違いない。

以前、このブログで何度か、”タリバンは一枚岩ではない”ということを述べてきたが、

もちろんその実体は今も変わらないと思っているが、

オバマ大統領による大規模な増派などは、両サイドの対立軸を先鋭化させているだろうから、

”タリバン・アルカイダ” と ”ISAF・米軍” という2項対立が、前倒しでさらに先鋭化しているように思う。

つまり、平たく言えば、かなりの本気を出して両方がぶつかりだしている現在、

いわば、ゆるい関係で繋がっていたタリバン諸勢力のなかに、

アルカイダなどの入れ知恵によって

急速に集約的な軍事化が発生しているセクトが、内部に出来ているように想像している(勝手な想像であるが)。

この想像は、上記した、タリバンの攻撃がよりシステマティックになっているような印象のせいでもある。

報道によれば、最近のタリバンによる幹線道路沿いでのテロ攻撃は、

イラクでよく行われた手法を踏襲しているようだ、という意見もある。


以前、1993年頃にタリバンが力を持ち始めた頃の印象は、

信条という軸をもった人々が”自己組織化”したような、

つまりは内発性と緩やかな指揮系統の発生を感じていた。

もちろん、上層部の発言や行動には政治性が多分に含まれていたが、

全体として、意思決定機構が20名くらいのシュラによっていたなど、

内戦を終わらせ、治安を回復し、シャリアーに基づいた体制の確立、という3つの目的をもった

伝統的な機構形態をとっているように見えた。


しかし、現在のタリバンに関して、

内情については知る由もないが、

敵対する圧倒的外力(西欧諸国)に対抗する形での組織化と、

友好的外力(アルカイダ)を呼び水とした組織化、

この2つによって、

戦闘意識を軸にした求心力の強さを感じる(私が感じているだけであるが)。


とにかく、

事態がここに及んで、

私が赴任当時感じたような、心情的なタリバンへの傾斜は、保ちづらくなってきた。


心情的なタリバンへの傾斜、というのは

説明しづらいが、なんというのか、

”タリバン”という言葉を、

”タリバン”が物理的に行ってきた酷い行動に焦点を当てた言葉としてではなく、

タリバンと呼ばれる人々の動き全体を包括した”うねり”を表すとするなら、

タリバンといううねりを生んだ背景、タリバンを受け入れた背景、そういう諸現象に対して、

それらの発生の必然性を、幾らかの愛情をもって理解できる、

とでもいうのだろうか。


イスラムにかぎらず、

原理的に生きようとすると必ずついてまわる”政治的未熟さ”とか、

高度な政治要因に利用されてしまうことへの”無防備”さとか、

そういったものに、過度に郷愁を感じてしまってはいけないけれど、

惻隠は捨てがたい。


タリバン発生当時でも、

徐々に他の勢力とのせめぎあいのなかで

タリバンやアルカイダの首班が、高度な政治的戦略を持っていただろうことは想像できるが、

しかし、政治的決定者以外のタリバン、末端にいるタリバンにとって、

いやおう無く国際政治の場に引きずり出されて巻き込まれていったこと、

西欧社会に目の敵にされはじめたことは、

とても意外なことだったのではないだろうか。


こんな話がある。

私が現在住んでいるサリプルも、1996年からタリバンの支配下にあった。

現在わが団体で働いているサリプル出身のスタッフが、当時の話をしてくれたのだが、

当時 10台前半の少年だった彼とその友人は、

いろいろな勉強がしたかったようで、

英語の先生を探していた。

幸い、よい英語の先生が見つかって、夕方や夜に、

勉強したい者が集まってその先生に習っていた。

一方、彼の家の近くには、タリバンが詰めているチェックポストがあったのだが、

そこに、ワルダック州出身のムッラーが勤めていた。

そのムッラーもまた、非常に勉強熱心で、

私のスタッフに、「英語を勉強したいんだが、いい先生はいないか」と尋ねてきた。

というわけで、私のスタッフたちとタリバンのおじさんは

一緒に英語の勉強をしていた、というのだ。


太平洋戦争中、英語を”敵性言語”として排除していた日本のほうが、まるで原理的である。


つまり、タリバンによる支配、というのは、

イメージとしては、

”テレビ・ラジオなど歌舞音曲を禁じ、女性の社会進出を取り締まる、警ら隊”のようなものだったであろう。

(補足するが、当然ながら、タリバンが勢力拡大のために

 当時あちこちで行った他の軍事勢力との戦闘は、勿論凄惨だったわけで、それは別である。)

彼らのそもそもの目的は、繰り返すが

内戦を終わらせること、治安を回復すること、イスラム法であるシャリアーに基づいた体制を確立すること、

であった。


もしかしたら、もしかしたらだが、

イスラム社会の中に住む人々に、

まるで、日本人が、

”咲きほこる桜”や、

”竹林と夕方の鐘の音”や、

”チリチリと鳴っている風鈴”に風情を感じるように、

アフガニスタンに生きる人々のなかに、

”土漠の中にたつ泥の我が家”や、

”埃っぽい絨毯”や、

”植物が繁るオアシス”や、

”延々と続く丘陵地帯”などに対して、

故郷の風情を感じている人が

きっといるに違いない。

そしてきっとそれらの風情は、

アフガニスタン人が持っている頑固なまでの誇りなど、

イスラム教的社会のなかで培われた精神文化と不可分に違いない。


内戦に疲弊しきった人々の心の中に、そういった精神があったとして、

”今一度、平穏な社会を取り戻したい”と、

タリバンを構成した一兵卒たちの一部が、そう思っていたとしたら、

それに幾らかでも呼応した一般アフガニスタン人がいたとしても、不思議ではない。


以下は完全な夢想であるが、

当時のタリバンになら、

アフガニスタン政府をもう一度乗っ取ってもらって、

国際社会も今度はそれをちゃんと承認し、

真に実のある支援活動を、国際社会と協力して行い、

少しずつ、”女性と歌舞音曲にやさしいタリバン”になってもらえばいいなあ、

などと私は思っていた。

アフガニスタンの復興を軸に考えるなら、

民心を、彼らの欲望を利用して荒廃させ、文化や習慣を圧倒的に蹂躙する、

破壊的な”経済のグローバリゼーション”よりは、

よっぽど好ましいのではないか、

と思っていた。


しかし、今、

戦闘意識をシステマティックに操作する、先鋭化してきたタリバンに対して、

上記のような憧憬がもちづらくなってきてしまった。


もう少し正確に言えば、

タリバンの中でも、西欧諸国に打ち勝つための戦略的な行動を、

アフガニスタン人やパキスタン人、つまり同胞たちの生命以上に重要なのだと考え出している、

一部のタリバンに対する疑念が、

タリバンについて理解しようとする意志の邪魔をし、私を思考停止にさせている。


***


イラク・イラン・アフガニスタン・パキスタンという、西から東の一連の並び、という国際的な大局で考えれば、

西欧諸国のアフガニスタン・パキスタンへの関与の仕方にも、

大局に関する懸念が影を落としてくるだろう。

明日16日から始まるサミットにもその観点は含まれる。


たとえば、

いつか、

タリバン勢力がアフガニスタン政府への影響力を持つ形で収束すれば、

パキスタンにとっては地政学的に有利な結果になろう。


また、

可能性は非常に小さいと思うが、もしISAF・米軍がタリバンを駆逐できれば、

西側に協力をしたパキスタンへの経済支援は続くであろうから、これもパキスタンにとって有利な結果である。

西側も、軍事的な影響力をこの核兵器保有国に持ち続ける事ができるかもしれない。


もしも、

タリバン勢力が、いつまでも活発な反政府勢力としてこの地域に影響力を持つ形になれば、

西欧諸国にとっても、パキスタンにとっても利点がない。

しかし、反政府勢力が活発なままであるとしても、

(現在は、欧米が口をそろえて軍事コストの重責を理由に、「出口戦略」について述べているが、)

もしも米国や西側諸国に、

アフガニスタン周辺に軍事拠点を持つことに意味があるとするなら、

反政府勢力の存在は有利なことなのであろう。


さらに、

パキスタンが、現在のアフガニスタンのような、政府の機能不全に陥ることは、

イラン・イラクから始まるこの地域の国々の連なりを考えると、

地政学的に全く好ましいことではない。抑えておきたいフロントラインなのであろう。



ともあれ、

さまざまな深読みは可能ではあるが、

大局について筋書きを想像して、

こんな三文評論のようなことをしたところで、

大局は所詮、大局の話だ。


その話を、どうにかして、

アフガニスタンを愛する普通のアフガニスタンの人々の安寧と復興、という命題に結びつける努力をしたい。

国際的な大局観だけをもっていても、

まさに2005年になるまでタリバンの復活を欧米諸国が予想できなかったように、

局地的なリアルへの対応には直結してこない。


命題を

”アフガニスタンを愛する普通のアフガニスタンの人々の安寧と復興”に限定するのなら、

これだけの最貧国になってしまった今、

とにかく国際社会の支援は不可欠である。

そのなかでも、私は、


アテンションが低く、手薄なわりに、やり始めると時間がかかる、

そして、国際政治とは無関係に変動する”天候”という自然現象が相手の仕事、

”雨と雪、つまり降水を如何に有効に使うかを中心に考えた農業”


これが大事だと考えて仕事をしているわけだが、

240万人の避難民がでるなど、

こんな大きな事態になってくると、水調査をしている自分についての無力感で一杯である。


国際政治は大局観でしか動かないものだが、

とにかく、支援が、効果的にアフガニスタン人、パキスタン人の生活の向上に資するような

せめて、そんなゴールを想定した大局観で、国際政治には動いてもらいたい。

(無理だろうが。)


私としては、

どんな支援をするにしても、

出来るだけ現地の文化や伝統、習慣を蹂躙しないで行うことを考えたい。

タリバンであるとか、ムッラーであるとか、そういう名目に関わらず、

真にアフガニスタン的なイスラム社会の信条や伝統を愛している人に、

「なかなかいい支援じゃないか」

と認められるような、

そんな復興支援を目指したい。


夢物語のようだが。


アフガニスタン便り-ガレ場
写真:水資源調査中、小さな河川沿いのガレ場。山岳域はだいたいこのようなグラベルの山道ばかりだ。直径4,5cmの石灰岩、泥岩、頁岩が路面を覆っており、パンクの頻度は非常に高い。




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