先ほど、妹につきあわされる形で
実写版アラジンを視聴しました。
私もそれなりに期待して
見たのですが・・・
妹は「完成度が高い」と
絶賛していたのですが、
私はそうでもなかったんですよね。
良くて凡作というか。
で、まぁ、内容を覚えているうちに
どこらへんが駄目だったのかについて
メモっておこうと思います。
なお、アニメ版・実写版
ともに完全ネタバレで書くので
まだ見てない人は回避したほうが良いです。
1.演出が弱い(タメが無い)
本作の最大の見所は
ジーニーが奴隷から解放されて
自由の身になるシーンだと思うのですが
アニメ版では
「ジーニー、君を自由にする」と言われてから
「よーっし!まかせろ、
最高の王子にしてや・・・・え・・?」
と聞き直すんですよね。
それで、その後にもう1回、
アラジンが今度はジャスミンと一緒に
「ジーニーに自由を!」と言ったら、
奴隷の身を示す腕輪が輝き始めて
カシャンと音を立てて外れるんですよ。
この間、20〜30秒ほどの時間が
かかっていたと思うのですが、
実写版では
ジーニーを自由にする!→カシャン!
ていう感じで、大変あっさり終わっちゃう
んです。すごく大事なシーンなのに。
他にも願いを聞いたら
「君なら何を願う?」と返されて
「俺の願い?初めて聞かれたな」と
戸惑うシーンとか、印象的な場面が
アニメ版にはたくさんあるのですが、
総じてあっさりしてたんですよね。
例えれば
アニメ版アラジンのリメイク版の
ダイジェストをカットありで
見ていたような印象を受けたのですね。
アニメ版が90分に対して
実写版は120分あるはずなのに、
なんか駆け足だったんですよ。
映画において
タメって凄く大事なんです。
ホラー映画も
いきなり殺人鬼が出てきて
人を殺し始めるなんていう
展開はありませんよね。
ジョーズも水中から
ヒレだけ出すから怖い
=どこから襲ってくるのか、
いつ襲ってくるのかがわからないから
怖いのであり、襲いかかってくるまでの
タメがないと緊張感がなくなるわけです。
実写版アラジンは、そーいう
一つ一つの描写が凄く薄かった映画で、
アニメ版は最初にランプをこすってから
ジーニーが出てくるまで
かなりの時間がかかった
(カタカタとランプが動き出して
咆哮を挙げながら巨大なジーニーが
現れてきた)ことで、
彼が長い間ずっと眠っていたこと
=久々に呼ばれたことが子供にも
伝わるようになっていましたし、
アラジンやアブーの恐怖や驚愕の
表情を見せることで、視聴者側も
いったい何が出てくるのだろうと
ドキドキさせることが出来たのですが、
実写版のほうは
こすった瞬間にウィル・スミスが
バヒュンと出てきて、正直
「え?それだけ?」と思っちゃった
のですよね。
アラジンの俳優が演技が下手
ということもあって、いきなり
青色のおじさんが出てきても
全然動じてなかったし。
描写が薄いということは
心情の描写も薄いわけで、
そういう演出の最大の犠牲者になったのが
ジャスミンでした。
2.ジャスミンがアラジンに
恋しているように見えなかった
原作のジャスミンはジャファーから
アラジンが殺されたことを聞いて
泣きに泣いた後に、嫌な結婚も1つだけ
良いことがある、私が王妃になったら
あなたを宮殿から追い出してやると
啖呵を切っていたのですが、
なんか、実写版ジャスミンは
わりとクールだったんですよね。
最後のシーンもあっさりしていて、
王宮から立ち去ろうとするアラジンに
待って行かないでと必死に叫ぶわけでもなく
泥棒さん、お待ちなさいと
わりと洒落の聞いたセリフを言って
公衆の面前でブッチューと唐突に
キスする奇行を始めるし。
キスって二人きりでバレないように
こっそりやるからドキドキすると
思うのですが、このジャスミン、
その辺を全然気にしないんですよね。
アラジンはアラジンですぐ帰ろうとするし。
いや、そこはもうちょっと粘れよと
ツッコミを入れてしまいました。
なんか
台本に書かれた通りに
お芝居をしているのをポケーっと
見ているような気持ちだった
わけで
役者の演技力も相まって
非常に説得力がなかったんですよね。
もうちょっと上手い人だったら
違っていたと思うのですよ。
笑うとか泣くとか喜ぶとか。
人間の感情ってそんな一言で
片付けられるほど単純なものではなくて、
悲しみに満ちた怒りなのか、
それともただ短気に怒鳴り散らしている
だけなのか。いろいろ演じられるのです。
日本の若手〜中堅俳優でも
松坂桃李とか斎藤工とか、そういう
演技が出来る人はいくらでもいます。
・・・まぁ、そうなんですけど
このアラジンは本当に演技が下手で
特にミュージカルなんて
歌っているヤツ以外の人間は
表情と仕草だけで感情を表現しなくては
ならないのに、それが出来てないものだから
下手さが目立って浮いてしまっているというか
先ほど、述べたように
役者が演技をしているのを眺めている
ような気分になっちゃったんですよね。
一言で言うと
映画の世界に没入できなかった。
ですから、演出が悪い上に
演技もひどかったので、そこを改めれば
もうちょっと面白かったのではないか
と思います。
3.ジャファーが小物だった
シナリオが稚拙だった
と言い換えることも出来ます。
原作のジャファーは
卑劣漢でありながら、あまり優秀とは
言えない王に振り回される苦労人でも
あって、ジャスミンやアラジンの対に
なる存在でもあったのですよ。
この話で重要な概念の一つに
「掟」というものがあります。
我々、現代人も
何曜日に出勤して、休憩時間は
いつでと1日の行動を縛られた生活を
送っていますが、
ジャファーも大臣という身分に
縛られて生きているわけです。
なので、自分より無能な王に
従わざるを得ないし、普通の方法では
それを変えることも出来ない。
万能の魔人ジーニーも例外ではなくて、
ランプをこすった人物に逆らうことが出来ない
と言うルールに縛られているわけです。
そういうなかで自由になるには
アラジンのようにドロップアウトして
社会のアウトローとして生きるか、
あるいはジャファーのように反則的な
手段をもってルールを作る側になるか
の二択しかないのですね。
そういう意味では
ジーニーを自由に出来る人物は
ドブネズミと忌み嫌われる泥棒の
アラジンしかいないだろうし、
カゴの中の鳥のように生きるジャスミンに
宮殿の外の世界を見せることが出来るのも
自由の体現者であるアラジンしかいない
わけです。
なので、ジャファーも結構、
同情するべき点があったというか、
彼は彼なりに必死だったし、
だからこそ悪巧みが失敗して
「(ランプが)無いーーー!」と
絶叫する姿がコミカルなんですよね。
(彼自身が直前にアラジンと
交わした約束を反故にしているので
ランプがもらえないのは
物語の構造上、必然だったといえる。
自由になるにはダイヤモンドの
原石のように輝く真心が必要なのに
それに気づかず、卑劣なことばかりする
から、かえって自分で自分の首を締める。
そういう愚かさがジャファーにはある)
実写版には、そういう現代人を
皮肉ったようなキャラクター像が
なくて、ただの小悪党になっていたので
凄く悪いやつなんだけど
なぜか憎めないという複雑さが
綺麗サッパリ消えちゃってたんですよね。
オウムに馬鹿にされたぐらいで
ムキになってジーニーになろうとする
単細胞になっていました。
わかりやすい悪党しか書けないってことは
わかりやすい善人しか書けない
ということでもあり、
純真な心を持つのだが
盗みで生計を立てているという
原作のアラジンの多面性も消えて
ただの気の良い兄ちゃんになっていて、
たぶん、アラジンの実写版だという
前情報がなかったら売れなかったと
思うんですよね。
リメイクを作るなとは言いませんが、
なんかこう、表面だけなぞられても
原作のアウトラインをただつないでいる
ダイジェストっぽい何かになってしまうので、
そこはもうちょっと考えてほしかったな
と思います。
絨毯がかわいい以外に
良い点を見つけるのが難しい映画
だったような・・・と思います。
実写版美女と野獣は
原作では描けなかった箇所を
掘り下げるようにして作られていたので
結構、面白かった(ラストはちょいアレだが)
のですが、ディズニーの実写ってわりと
地雷が多いので、そういう意味では
いつもどおりの出来だったのかなぁと
感じました。
・・・とまあ、こんな感じですね。
リメイク作品って
下手をするとオリジナルが作れない人間の
逃げ道になってしまうので、
作り手はそこを意識して作って欲しい
というか、遊星からの物体Xという素晴らしい
リメイク作品を作ったジョン・カーペンター
を見習ってほしいと思います。
まぁ、諸々の事情で難しいのかもしれない
けど、安易に客を釣る餌にするのではなく、
原作に敬意を持ってほしいところですね。