鉱物採集:久し振りの荒川鉱山で水晶を拾う | なんだかんだの石集めと与太話

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鉱物を初めて手にしたのは、小学生の時。それからずっと中断。
2011年頃より、やっと暇になったので、また石の世界へと羽ばたき始めたけど。

0.はじめに

 11/20,21の土日は、実家の方に用事があったので、車を飛ばして行ってきました。途中で見た浅間山は、雪はなく、紅葉が綺麗でした。浅間山を見ると、小さいという菫青石の産地(参考1,2)はどんなところだろうと想像してしまいます。景色が良いらしいですが、いつかいつか行きたいと思いながら、未だ採集に行っていませんが。

 

1.いざ荒川鉱山へ

 長野で用事を済ませてから行ったのは、荒川鉱山。立ち入り禁止になったとあるサイトを見てからあの広いところが禁止になったということがヘンだなと感じ、気になって仕方なかったから。

 

 で、久し振りの荒川鉱山。かなり変わっていました。選鉱場跡や沈澱池跡など遺跡の回りには、確かに立入禁止の立札がたくさん在りましたが、嗽沢日陰沢などの沢の方はそんなものは在りませんでした。

 

     

写真1.選鉱場前の立入禁止の立札

 

     

写真2.沈殿槽横にも立入禁止の立て札

 

 立て札の立っている場所を見ると①遺跡となっている場所②土砂崩れた所や可能性の場所に立入る事を禁止しているようです。

 ①に該当するところの遺跡として残したい跡地の中に入る人が大勢いるからでしょう。選鉱場跡はかなりの傾斜があり、また沈殿槽は水が溜まり、危険で事故があったら大変です。

②として、カートランド場横の砂捨て場も立入禁止としたのでしょう。

 ということで、ズリや山中では採集可能でした。

 

2.変容している荒川鉱山

 嗽沢の先、日陰沢の方に進むとすぐに、道の右は切り開かれて、切り出した木の置き場になり、更に先に行くと日陰沢前の三叉路まで両側に切り出した木材が山と積まれてました。途中にある大玉沢も切り開かれ、砂防ダムが築かれ、山神社と大玉沢の間の(小玉沢のある位置)上では重機による工事が行われていました。

 

写真3.嗽沢の先、林道の左右に木材置き場が

 

写真4.林道を進んで小玉沢辺りの右上を見ると重機が。

 

写真5.更に進んで、大玉沢まで来ると新しい砂防ダムが

    大玉沢の前には、工事の事務所が設置されてました。

 

写真6.日陰沢の前で、来た道を振り返って見返すとたくさんの木材が山のように。最近、木材の値段が上がっているので、そのせいかな、こんなにあるのは。

 

 あちこちよく見ると土砂崩れの跡が。例えば、鉱山長建屋の在ったところと百目石坑の間の山が崩れて、鉱山長建屋跡のカラミ石がよく見え、百目石坑の(旧マインランドの入口)前まで土砂が崩れていました。

      

写真7.坑道巡りが出来た百目石坑入口の方を見ると、鉱山長跡の下が崩れていて、百目石坑入口前に土砂が溜まっていた。当然この左端にに赤く見える橋の手前にも立入禁止の札がありました。

 

3.嗽沢と日陰沢は?

 嗽沢普段は涸れ沢なので、小さいので見つけづらいですが、新しくできた木材置き場のせいでますます解りづらくなっていてちょっと戸惑いました。が、嗽沢から先は未舗装路になるので慣れるとすぐ解ります。その木材置き場の手前の小さい沢に沿って歩き出すと、たくさんの人が歩いて踏んで出来た轍がすぐ見つかりました。結構たくさんの人が入っていることがわかります。

 

 足元に気をつけて砂防ダムの所に来ると、大雨の時にだいぶ土砂が流れたのか荒れに荒れていて、そして雑草も前回にましてよく生えていて、登ってきた側と反対側に見えた坑道の前にはたくさんの靴の跡が残っていました。坑道の中まで入っている人がいるようですが危険なので絶対に坑道の中に入るのはお止めください。

 

 そこを過ぎて更に上に行こうとすると歩くには邪魔な雑草が多いなあと思いながら滝の前に。ここに来てこの滝がこんなに高かったのかいなと思ったら先まで行くのが嫌になって下りてきてしまいました。いつもは水も流れていない滝に、この時はちょろちょろと水が流れていたので、なんとなく登る気も起こらず、この上にある先の両側に渡る坑道跡もズリも見ることなく...。

 

写真8.嗽沢の砂防ダム上の場所 (反対側に坑道が見える)

(写真中のこの背の高い枯れ草はなんと言うんでしょうか、イタドリですが、歩くのに邪魔なんだけど。夏場に行くと葉が生い茂って、とてもじゃないけど歩けませんよ)

 

写真9.嗽沢、途中にある滝

(今回は前日雨だったので、ちょろちょろと水が流れていた。)

 

 

 次は日陰沢。三叉路の橋の手前、日陰沢入口前に車を駐めて、いざ出陣。

     

10.日陰沢入口

(橋のたもとの三叉路前、以前は右側に立て札が見えたはずなのだが)

 

 ろくな支度もせずに進むと入口でイバラのとげが痛くて、すぐに退散。ヘルメットに被り変えて(ホントは必要ないけど、普通の帽子がバラのとげで引っかかるので)、靴も荒れ地でも平気な靴に履き替えて再度挑戦。入口が難所でクリアすると楽になって、(あの2m近くなる草はなんて言うんでしょうね、イタドリでした)枯れ枝のように太く枯れた草を踏み倒すようにしながら沢の側溝(?)に沿って進みます。

 進むとなんとなく人が歩いた感じが右側に。途中から右の方に移り川溝を跨ぎ突き進むと、ちゃんとありました砂防ダムが。私の記憶は正しかったです。それを越えて少し進むと、以前の時はそこには野っ原があったのですが、今回はあの2mもの高さで茂る雑草がここまで進出し、野っ原の感じはなく、土嚢で塞いだ抗口まで簡単に行けずに確認がやっと。で、例の採集場所はどこかなと右に目をやると、やたらと見つけづらくなってました。

 

写真11.日陰沢にある塞がれた左の抗口

 

写真12.同じ場所で右の晶洞を見上げる。

(上側がちょっと開いている)

こちら側はずりのようになっている

 

  

写真13.写真12の晶洞前で写真を撮る。

 

写真13.上右の写真で見える晶洞

晶洞左横の水晶高さ、深さは1mもない

高さ50cmくらいで岩盤に貼り付いている水晶が左の写真の左側に少し見える。触ることも出来る。

 

 見た感じで、晶洞は、その上が崩れたんでしょうねえ。晶洞前が広くなって足場がよく成ってました。晶洞は高さがちょっと大きくなったかな、で奥行きはほとんど変わっていませんでした。それよりも晶洞前に散乱していた水晶が少なくなってました。晶洞の中を眺めるとたくさんの人が来たらしく、以前より水晶も少なくなってましたがまだ残ってました。そこではハンマーもタガネも持っていたのですが、どうした訳か使う気も起こらず、掌大の頭の付いたまともそうな水晶を2個だけ拾って戻ってきました。此処もなくなるのは時間の問題だなという感じです。

    

写真14.拾ってきた水晶2個 

(向こう側の3つの水晶は昔拾ってきた物)

 

4.おまけ

 他に幾つかの参考文献を見て、あちこちをウロウロ。参考6に示された産地写真の形跡は全くありません。昔に紫水晶がたくさん採れたという日陰沢入口右の崖は土石で埋められ、今回は更に雑草が生い茂って探す気にもならず。

 

 余計なことを一言言っておくと、大玉沢の深くにも水晶産地があります。今回開発が進んだので入る人も多くなるかなと思いました。でも荒川鉱山の水晶は透明感に乏しいので、あまり行く気になれないですが。

 

 荒川鉱山では、人手がなくほとんど手が入らないので雑草の繁茂が酷くて、ウロウロしてばかりで、行こうと思っていたところに行かなかったのは、深夜に600kmも走っての車運転疲れのせいもありましたね。ハア、高速料金と車の燃料代だけでもかなりの出費でした。2日で1500kmも走らせましたから。

 

 午後は大盛館で見学。宮田又鉱山の水晶、黄銅鉱と閃亜鉛鉱がたくさん付いた鉱石は幅1mもあろうかというほど。他に荒川鉱山の資料なども見てきました。

     

写真15.宮田又鉱山産の黄銅鉱と閃亜鉛鉱の鉱石 

(いくつか三角黄銅鉱らしき物が見える)

 

     

写真16.宮田又鉱山産の水晶 (とげとげの肌触り最高!)

 

 翌日は亀山盛鉱山の方に。

 

(追記)

 別にも荒川鉱山について書いてますのでご覧ください。

 秋田県、荒川鉱山での採集 | putonewordのブログ (ameblo.jp)

(追記2)

 書き忘れていましたが、荒川鉱山入口の国道が急カーブである事はよく知られていました。訪ねたときには、道路変更の大工事が行われていましたので、道が少し変更されているでしょう。

 

 

5.参考

1.草下英明,鉱物採集フィールド,p217-219,草思社(1982)

2.松原聰編著、加藤昭、他2名,鉱物観察ガイド,p73-76,東海大学出版会(2008)

3.浜野一彦,地質調査所月報,v14,p219-222(1953)

4.進藤孝一,協和町の鉱山,秋田文化出版社(1994)

5.久野武,ペグマタイト,No68,p13-17(2004)

6.梅沢俊一,鉱物産地を訪ねて<増補改訂版>,p7-11(1995)