今回は少しタイムリーな話題を交えながら書いてみます。
相模原市の障害者施設の事件は酷すぎることも含め、ご存知かと思います。
犯人が優性思想傾向があるため、障害者を排除しなければならないってことで犯行に及んだ。
障害者が不幸だ。って考え方って敢えて言えば障害者に対して健常者の思いあがり。 とも思う。
例えば、メガネを使用している人を障害者とは思わない。メガネがなければ視覚に障害があることになりはしないか?
世の中により、障害者の基準が変わってくるのだが、文明が障害者を無くす。と言える。
現在障害者が障害者なりの生活を送ってるのは障害者にとって当たり前な生活環境なのに、健常者目線からは不幸に思うことがなければ障害者も不幸だとは思わないかもしれない。
自然界では障害を持って生まれる者が全体の3%いるという。このような言い方は誤解させるけど工業製品の1工程に産まれる不良品も3%目安にしている。
社会制度で法を犯すと日本では最高死刑までなる。悪者を無くすためすべて死刑にしても、また犯罪者は生まれるだろう。
悪者はいつの時代にも存在し、ある意味必要事項なのではないか?
悪いことをするため、新しい技法も生み出される。
常識的に生きて何も生み出さないって、新しい発展がない世界になるのでは?
良い人が良いものを生み出し、悪い人が悪いものを生み出す。悪いものも手直しして良いものに替わる。
障害者は何も生み出さないわけではない。
犯罪者が何も生み出さないわけではない。
遺伝子に異常があるから、遺伝子を操作してしまえ。
遺伝子情報を単一化したら、環境の変化に適応性がなくなったら、全滅します。
適応性を維持するには多様性の保険が必要では?