集団ストーカー・遠隔テクノロジー・電磁波攻撃 2016-0321 | パパケベックの総合ブログ

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集団ストーカー・遠隔テクノロジー・電磁波攻撃 2016-0321

 

2015年1月、自分しかいない部屋でが聞こえてきた。それ以降、別の種類の声が複数聞こえて脳内会話が始まった。最初は亡霊と考えていた。脳内会話になったのは、声に出さなくてもいいと言われたためだと記憶している。


声のほかに感覚刺激の攻撃が始まった。今よりも刺激の強いものだった。あれから1年が経過して感覚刺激のほうは弱くなり、声のほうもかろうじて聞き取れる感じで会話も行われている。


他の被害者同様にある程度ネット検索したり、自分で考えたり、加害者の話を聞いたりして被害実態を考えた。犯人像や組織的な相手や技術的なことや被害にあう理由などを考えた。


今では犯人像は、身近な存在ではなくアメリカなどの隠ぺいされた組織を考えている。つまり、国家がからんでおり、使用している電磁波は表向き問題なく、自殺誘導や殺しや財産目的ではないと結論した。


技術的には、電磁波を神経に作用できるように特別に考えだされたものであり、神経に作用させて感覚を生み出し、他方で神経情報をモニターする技術で、思考モニターと感覚刺激によってターゲットにした人間にストレスを生み出して継続するように潜在意識に巧妙な刷り込みを行って実験的なことをしていると考えている。

 

※声も感覚の一つである。つまり、頭部の振動を作り出して声を聴かせることよりも、神経そのものの操作で声を作り出していると考えられる。声とは異なる言葉の意識だが、それも作り出しているみたいだ。みたいだ、と言うのはまだはっきりと認識できないからだ。とても微妙で。言葉の意識を作り出されると声とは異なり、最初は疑問符が付く。それと、言葉の意識に限りなく近い声も作り出している。フレイ効果とは言いにくいと思う。

 

そんな技術が多くの被害者では身近な人間による仕業、創価学会による仕業と言っているが、それこそ遠隔テクノロジーによって刷り込まれた潜在意識による成果だと思っている。つまり、ある一定期間刷り込みされれば、集団ストーカー被害者が出来上がると考えている。

 

集スト被害者の被害意識は、被害者自身では刷り込まれた潜在意識の自我意識であり、それが周囲で発散されれば、周囲から見た限り精神病・妄想として映り、騒ぎを大きくすると警察沙汰から精神病院送りとなる危険性をはらんでいる。

 

私は、妄想じみた被害認識を指摘することで多くの被害者の認識に敵対することになるが、あえてそうすることにした。

 


一般人、被害者以外の人に言うならば、被害者にならないと被害を認識することは不可能であることだ。被害者の話や状況を見ても内容は分からない。実際に経験しないと不可解な潜在的な被害者意識を実感することはできない断言する。

 

すなわち、被害者の家族、近隣住民、移動の先々、職場、事件になった場合の警察や医者では、遠隔テクノロジーの存在を認識できない限り、上っ面で被害者を判断するしかないということだ。

 

どうしてそうなるかと言えば、遠隔テクノロジーの手法は被害者の潜在意識に刷り込みを行うからである。どのようなものを刷り込むかと言えば、潜在的な恐怖心や不信感やうしろめたさや警戒感などの要するに「負の意識」だ。

 

刷り込まれた負の意識によって被害者は正しい判断ができなくなるのである。もちろん、普段の生活上に必要な判断は別個だ。自分に対する音、声、仕草、そして他人の意識に対してまともな判断が「改変」されてしまうのである。

 

それだから被害者の被害意識は、ブログなどにみられるように無関係のことまで被害に数えるのである。それは、被害者が頭では分かっていてもそうなのである。

 

しかし、被害者周囲の人間から見れば精神がおかしいのであり、被害妄想として映るのである。

 

 

遠隔テクノロジーは、被害者の潜在意識に「負の意識」を刷り込み、遠隔テクノロジーがターゲツトから外しても「能動的に」被害者意識を認識して加害者や音や声の「素性」を意識することとなるのである。言い換えれば、犯人像・加害者像は継続するということだ。これは多分の話だ。

 

それらのことがわからない被害者なら、一つも問題の解明などできないと断言する。

 

被害者を自称しているブログやツィターなどを読んでみるといい。犯人像などに関しては自信たっぷりだ。自分の犯人像については自己批判性などみじんも感じない。非常に簡単な当てこすり程度の証拠を作り出して、「ほら見たか、これが証拠だ」と。