以前、しばらくぶりに 実家に行って
母と話した時の話。

母はいつも自分の思いつくまま
その時話したいことを話す人。
話があちこちに飛んでも
私の興味関心がなくても
お構いなし!
一方的に話しては、
満足するまで話して、突然話を切り上げます。

私は幼い頃から
そんな母の取り留めない話を
ただ

うんうん

と聴くことが多く

それが日常だった私は
大人になっても
電話がかかれば

うんうん。

実家に行けば

うんうん。

私の全く興味のない話を一方的に話しているのを聞いては

うんうん

と聞き流していたのです。



先日実家に行った時も同じように

うんうん

と聞き流していたけれど

ふと

「私は母とあと、どのくらいこうやって会話ができるだろう」

と頭を過ったのです。



すると、聞き流しているこの会話さえも
人生の1コマの出来事なのだと思えてきたのです。



だからと言って

母の話を急に傾聴したわけじゃなかったし
心を込めて母に意識を向けたわけじゃありません。

でも

「この会話もいつか懐かしく思う日が来るかも知れない。
人生の1コマだ」

と思った時、母は言いました。

「あなたは最近どう?」

今まで一方的に自分の話しをしていただけの母が
急に私の状態を気遣う問いかけをしたのです。


そんな母に私は一瞬驚いたけれど

「うん、元気だよ。」

と自分の話を少しずつし始めました。


その時、母は珍しく
ただ私の話を

うんうん

と口も挟まずに
最後まで聴いてくれていました。



実家から帰宅後、
兄から電話がかかり、更に驚くことを言われました。

「お母さん『今日、久しぶりに、
佳代と話せて嬉しかった』
って言ってたよ。」

と言っていたのです。

え?おかしいな。
ついこの間だって
母とは電話をしていたのです。
だから、ちっとも久しぶりではないのです。


その時は、相変わらず
母は機関銃のように話し続けていたから
いつものように

うんうん

と私が聞き流していました。

いつも通り一方的に話して満足したら
こちらの様子はお構いなしで電話を切っていたので
母は満足して電話を切っていたと思っていました。

でもその時は、「話せて嬉しかった」とは
兄に報告していなかったのです。


一体何が違ったのでしょうか。


違いがあるとするなら、
この会話が当たり前過ぎて、聞き流していた時は
「ああ、またか」
と私はうんざりした気持ちで
この状態を回避することしか考えていなかったけれど

今回は、
この会話をすることは、当たり前ではないのだと
気付いていたのです。



だから、
私は母との会話がいつか終わるもののような気がして
この会話を味わおうとしていました。
どこか懐かしむ時が来る、と思って聴いていました。

それが母に通じたからなのかはわかりませんが、
母も私を意識したのでしょう。

「あなたは最近どう?」

と私を気遣う言葉が出たのだと思うのです。



もしかしたら私は
大きな間違いをしていたのかも知れません。

うんうん

と聴くことが
ずっと母のためになると思っていました。



でも私がしていたのは聞き流していたので、

「早くこの話終わらないかな~」
「また同じこと言っている…」


と全く母に気持ちが向いていませんでした。

だから母も聴いてもらっているハズなのに
聴いてもらっていない感覚だったのでしょう。
だから兄にも報告するほどでもなかったのかも知れません。

けれど、今回は違ったのです。

私がちゃんと母に気持ちを向けて話を聴こうとしたから。



今この瞬間の会話に思いを寄せること。


それが対話の第一歩なんだろうな、と思った出来事でした。



【関連記事】

そうは言っても聞き流し歴が長いので、母との会話を対話にしようと努力した話。