語録28 | パーサによるトマスの福音書

パーサによるトマスの福音書

Closing the Circle: Pursah's Gospel of Thomas and a Course in Miracles

「神の使者」、「不死というあなたの現実」で再生された、トマスの福音書について書かれた「Closing the Circle」の和訳です。

野口博和さんから以前頂いてた、和訳をアップしています。

 語録28

わたしは世界に立ち、彼らすべてが酔っているのを見て、そのなかに誰一人渇いている者を見出さなかった。 彼らは空っぽでこの世界にやって来て、空っぽでこの世界を去ろうとしている。 だがいま、彼らは酔っている。 酒を振り払ったとき、彼らは目を開くだろう。

I stood in the world and found them all drunk, and I did not find any of them thirsty. They came into the world empty, and they seek to leave the world empty. But meanwhile they are drunk. When they shake off their wine, they will open their eyes.


この語録は、エゴの子供たちとしてその魔法にかかっている私たちは、いかにみなこの世界の価値に酔っており、イエスや彼の教訓に構っていられないかということの、とてもわかりやすい描写である。 そうした状態では、私たちは、来たときと同じ様に空っぽでこの世界を(死によって)去るよう運命づけられている、罪悪感が癒されないまま、それゆえ同じ間違いを「際限なく」繰り返して。
これが、まさに今ここにある地獄であり、それは、死後の生とは何の関係もない。

 そしてほんとうに、「目的意識を持って生きる (living on purpose)」とか、「充実した (fulfilling)」人生とかというエゴの考えは、イエスを安全に戸外へ追いやるためのものであり、―その間ずっと私たちは、表向きはよりましな夢を見ながら、ぐっすり眠っているのである。
私たちがエゴの体系への忠誠を振り払わないなら、そしてそうするまでは、私たちは目を開かないだろう、―そしてそれは、「別の道」を探すことから始まる。

 この言葉の別の常識的な理解の仕方は、私たちの人生が、ちょうど今のままでうまくいっていると確信している限り、私たちは他の「どんな」道も探そうとはしない、ということである。

(野口博和訳)