かれこれ1年半前の話になるけど、 息子が1年生のときの年末、彼が通う福岡のオルタナティブスクールにて、「オイリュトミー発表会」があって母子で参加した。
発表会といっても1年生は観覧するだけ。
2年生からは舞台に立って発表する。
だから正直、緊張感もなくのほほんと保護者として見に行った。
しかし最終的にはわたしは鼻水を垂らしながら泣くことになった。
子どもたちのオイリュトミーが素晴らしかったからだ。
オイリュトミーとは言葉や音楽に合わせて体を動かす芸術活動で、意識と身体と統合する目的がある。
↑こちらはネットからの画像
高学年に行けばいくほど動きも高度になり、時間も長くなる。
子どもたちのオイリュトミーはすべて素晴らしかったんだけど、特に涙したのは9年生。
つまり中学3年生、つまり次の年の3月に卒業するのでこれが最後のオイリュトミー発表会になる子たち3人だった。
精悍なまなざし、それでいて繊細さと強さを併せ持った思春期ならではの危うさと清々しさ。
舞いは頭から指先、足先までなめらかで美しく、見るものをとらえて離さない魅力があった。
彼らの表情がすべてを物語っていて、その表情を追い、そして体いっぱいを使って懸命に表現する姿を見て胸を打たれた。
きっとこういうのが、「琴線に触れる」というのだろう。
気が付けば涙があふれ、鼻水まで出てきてただただ、感動してその場にいる私がいた。
15歳の、思春期の子どもたちがこんなに美しい表現をするなんて。
それは今までの人生でおそらく見たことがない経験で、尊く貴重なものだった。
そして「子どもたちはみな、純粋で美しい。そんな子どもたちを守らなくては。それが大人の役目なんだ」と自然に思えた。
そんなのは言葉では知ってたし、実際見聞きしたり使ったりしてたけど、このときの実感に勝るものはない。 なんといっても自然に込み上げたのだから。
わたしは今回のオイリュトミー発表会に限らず、子どもたちが前に出て発表する場にいてはそのたびに涙する。
息子や娘の運動会や発表会、卒園式。
学園では8年生の楽器演奏や歌など。
こんなとき、自分はまだ純粋な心を、豊かな心を持ってるんだと安心する。 それと同時に、はあ、ずいぶんけがれてしまったなあ。文字通り「大人」になってしまったなあ、なんてことを実感する。
なんにせよ、こうして感動して涙することができること、涙する機会に恵まれることは幸運以外の何者でもない。
ところでこのオイリュトミー、こうやってナマで見るのが一番やね。
写真や動画で見るとすばらしさがイマイチ伝わらないどころか、宗教ちっくに見えるもん。
ぜんぜん宗教なんかじゃないのよ、美しい舞い、芸術なんすよ。
というわけで、もし「オイリュトミー」という言葉を耳にすることがあったら、ぜひ足を踏み入れてみてほしい。
発表会を見るのでもいいし、 演習に参加して実際に舞ってみるのもいいし、 もしくはネットで調べてみてもいい。
きっと新しい芸術と感動に触れられるし、何よりこれは子どもはもちろん、大人こそ触れてほしいものだから(^^)