川和田あき子(かわわだ あきこ)です。
1978年8月生まれ。現在42歳。
沖縄県豊見城市在住。
夫と5歳の息子と1歳の娘と4人暮らしです。
第一子は37歳で出産。
第二子は40歳で妊娠し、41歳で出産しました。
2人とも人工授精での妊娠です。
これまで紆余曲折あり、これからは
「自分と他人と地球にやさしく」
をテーマに生きていくことにしました。
きっかけは今年8月の42歳の誕生日の日に母からきた、一通のLINEです。
「いろいろあったけど、今は2児の母。立派です」。
それを見たとたん、
「わたし、お母さんからその言葉が聞きたくて、今までがんばってたんだ」と気付きました。
別に母の期待にこたえるために、今まで生きてきたわけじゃない。
そうは思っていても、心の奥底では「母に認めてもらいたい。愛してもらいたい」願望が根深く存在していたのです。
42歳の誕生日に母からそのメッセージを受け取った時、やっと肩の荷が下りた気がしました。
今までよくがんばったね。
もう自由にしていいよ、と。
そして少し時間が経ち、それはまったくの誤解であることにも気が付きました。
母はわたしを縛ってません。
自分を縛り付けてるのは、他ならぬ自分自身だったのです。
「子どもがどんな生き方をしようが、母親は愛してくれる」というのが腑に落ちたのです。
わたし自身が母親になったというのもありますが、
結局は母親というのは子どもがどんなことをしようが、どんな状態であろうが、期待に応えようが応えまいが、子どもを愛する生き物なのだということが。
「子どもに幸せなってもらいたい」というのが母親の根底の願い。
「わたしは母のお腹に宿ったときから、母に愛されていた」というのが、やっと腑に落ちたのです。
ちゃんと幼稚園や学校に行き、ちゃんと就職し、ちゃんと結婚して2人の子をもうける。
世間一般でいえば、あまりにもありふれた、フツーの人生です。
そんな、「世間一般でいう、平凡な人生」でしたが、その平凡で当たり前の「ちゃんとした人生」はわたしにとってハードルが高いものでした。
まず、わたしは集団生活に向きません。
一人で過ごすのが大好きです。
会社勤めも向いていません。
いわゆる社会不適合者です。
そして奥さんやママにも向いていません。
これはなってみて初めて分かりました。
今でもよく発狂して逃げ出したくなります(笑)。
妊娠に関しては不妊治療にも通いましたし、子どもを授かるのは決してカンタンなことではありませんでした。
でもなんとかがんばって、ここまでやってきました。
もちろん、つらいことばかりじゃありません。
楽しいこと、幸せを感じることも多くありました。
それに矛盾するようですが、「ごく当たり前のちゃんとした人生」自体を送りたくないと思っていたわけではありません。
人並みに就職も結婚も、子どもだって欲しかった。
なんだかんだいっても、わたしはこれまでの人生に何ら後悔はしていません。
むしろ「よくやった」と誇りに思っています。
それがたとえ世間一般でいう、「平凡で普通の人生」だとしてもです。
でも昨年9月に第二子を出産し、産後4カ月ほど経ったある日、ある問いが私の中に浮かんだのです。
「子ども2人産んだね、がんばったね。目的達成。
さて、これからどうすんの?どう生きるの???」
でした。
これまで母に認めてもらいたくてがんばってきて、子育て自体はまだまだ先が長いものの、ある意味ではわたしは一旦ゴールまでたどり着いてしまったのです。
ゴールした。
じゃあこれからどうする?
どう生きる?どう生きたいの?
その答えは、これもまた紆余曲折ありつつも最終的に現時点では、
「これからは、自分と他人と地球にやさしく生きていきたい」
というものでした。
42歳の誕生日。
母に認めてもらえたその日、
その日が年齢的にも人生の折り返し地点と例えるならば、急に「死に際」を考えてしまったのです。
自分はどんな死に方をしたいんだろう?と。
※100歳以上生きるつもりではいますが、とりあえず。
これまで人(母)に認めてもらうため、愛してもらうため=承認欲求。
つまり、人のためではなく自分のためだけに生きてきた。
もしこれからも方向性は変えるものの、結局は自分のためだけに生きていったとしたら。
欲しいものはすべて手に入れ、自分の望みをすべて叶え、結局は承認欲求、私利私欲にまみれ(笑)、傲慢で自己満足に浸ったまま死んでいく。
「ああ、わたし、自分がやりたいことやったなあ。
欲しいモノすべて手に入ったなあ。
満足満足。もう後悔はないわ。これで満足して死ねるわ。
みんな、ありがとう。ああ、幸せだったわ~」
と言って、死んでいく。
それまでは、それがいい死に方だと思っていたんです。
でも、自分を満たすことにばかりに時間やお金をやエネルギーを使い、自分とごくわずかの身内のことばかり考え、死んでいって、果たしてそれで本当にいいのか?本当に幸せなのか?
それが自分が本当に望んだ生き方なのか?死に方なのか?
極論を言ってしまえば、
「自分さえよければ、それでいいのか?」
と考えたとき、答えはNOでした。
自分を満たすのも大事。
でもせっかく人間に生まれたんだから、自分の身内以外の他人や地球にも貢献して、圧倒的な貢献感を感じて気持ちよく死にたい。
という答えが浮かんできたのです。
結局はこれも立派なエゴです。
でもこの先の人生、自分のことばかり、承認欲求や私利私欲にまみれたまま死ぬんじゃなくて、他人や地球に少しでも貢献して死にたい。
自分が死んでも、当たり前だけど世界は残る。地球は残る。
世界は自分を中心にまわってるわけじゃないし、
世界は自分のために存在するわけじゃない。
自分のことだけじゃなくて、自分以外のことだって考えたい。
他人や地球を満たすには、まず自分を満たすのが先決。
そんなことは分かっている。
自分に優しくできない人が、他人や地球に優しくなんてできるわけがない。
まず自分を満たしてから。
でも、十分に満たすまで待ってたら何年あっても足りないし、そのうち死んでしまう。
一体いつ十分に満たされるのか、自分にもよく分からない。
だから、自分も他人も地球も、同時進行で優しく愛を注いでいきたい。
「圧倒的な貢献感を感じて、気持ちよく死にたい」という、ほんとに立派なエゴなんだけど、
これからの残りの人生は「自分と他人と地球にやさしく」をテーマに生きていきます。
地球にもっと優しくできたなら、地球はもっと美しくよみがえるのではないか。
他人にもっと優しくできたなら、争いは減るのではないか。痛ましい事件も減るのではないか。
そして、自分にもっと優しくできたなら、もっともっと自分らしく穏やかに生きられるのではないか。
そして他人と地球にもっと優しくできるのではないか。
きれいごとなのは分かってる。
結局はエゴなことも分かってる。
わたしは不完全で矛盾だらけの人間だから、承認欲求や私利私欲だって消えたわけじゃない。
そして人生に意味なんてないことも分かってる。
この数秒後に地球に隕石が落ちてきたら、すべて終わって無と化してしまうことも分かってる。
ぜんぶ分かったうえで、「自分と他人と地球にやさしく」生きていきたいと志し、実際に行動していきます。
ホントはかっこよく、「他人と地球にやさしく」って言いたいところなんだけどね。
全面的に利他的にいきます!っていいたいところなんだけどね。
わたしは未熟で不完全で、前よりはマシになったけど今も承認欲求だってあるし、自己犠牲やら罪悪感やら感じてしまう弱い生き物なのです。
突っ走ると周りが見えなくなるし、気がついたときにはボロボロになってるパターンも多くて(;^_^A
だから自分を満たす、優しくする、愛する、大切にするというのが基本だし、忘れちゃいけないよ~
という意味で、「自分と他人と地球にやさしく」にしました。
自分を満たし大切にしながら、自分の身内以外の他人や地球に貢献する。
目指すは圧倒的な貢献感★
というのをキャッチフレーズに行動していきます。
色々とかっこいいことを書いてみたけど、実は「自分と他人と地球にやさしく」については自分で決めたものの、まったくの初心者です(笑)。
自分で言いだしたから、イロハもよく分からないし、そもそもありません。
自分を十分に満たせてないのはもちろん、他人や地球や世界、エコについての知識も乏しい状態。
でもそれについては世の中にある知識が味方をしてくれます。
わたしが考えついたくらいだから、世の中にはたくさんの先駆者の方がいらっしゃるだろうし。
そしてこれを読んでくださっている方たちが応援してくださると信じています。
いや、ぜひ応援してやってください!!!!
早速、「自分と他人と地球にやさしく」の目標を掲げました。
追って書いていきます。
このブログは、「自分と他人と地球にやさしく」を志し実践していく様子を綴っていきます。
応援よろしくお願いいたします