昔の文章を読んでるとつくづく思う。
キレキレだな、と。
昔のほうが若かった。
昔のほうがとがってた。
昔のほうが文章書く時間があった。
あれこれ挙げるときりがない。
ほえー 昔のわたしすごいな。
今こんなキレキレの文章書けないや。
もうこんな文章書けないのかな、書けなくなっちゃったのかな。
文章力、昔に比べて落ちちゃったのかな。
そんなふうに感じることがある。
それはひとえに、「どこまで潜れるか」の違いなのだろう。
今だってやろうと思えばきっとキレキレの文章は書ける。
がんばって踏ん張って無理やりやってもいいとは思う。
でもそれは自分が求めてるものとはちょっと違うものになるのではないか、と思ってしまう。
それに昔めっちゃ文章書いてた時期と比べると、今の方が断然慌ただしい毎日を過ごしている。
子なし→子あり→今では子どもが一人増えて現在小学校3年生と年中の二人の子育て真っ最中。
お仕事、自分の趣味ややりたいこと、それに加えて息子の学園のイベントや友人との連絡や約束のあれこれ、娘の体調不良、通院、その他もろもろの雑用。
ホントに毎日色々やることがある。
毎日毎日ようやるよ、よくやってるよと自分で自分を褒めたくなる。
実際ほめちぎっている(そうでもしないと誰も褒めてくれないし報われないなという想いに駆られるから)。
そんなふうに日々を慌ただしく過ごしていると、いざリセットしようにも思うようにいかない。
小さい子どもが2人もいると密かに企ててた計画はめちゃくちゃになるし、何もかもが思い通りにいかないときがある。
お!やっとリセットできた!?と思っても、その後子どもにちょっと接しただけでストレスを感じて元に戻る。
で、またストレス発散のためにお茶したりなんだり。
で、リセットできたと思ったらまたイライラして元通り。
毎日毎日そんなことの繰り返し。
何が言いたいかというと、こんな感じの生活をしていると深く深く潜れないのだ。
意識が浅いところでストップしてる。
浅いところでなんとか鼻だけだしてかろうじて息をしてる感じ。
文章を書く時の集中力も時間も昔に比べると格段に減った気がする。
年齢を重ねたことも大いに影響しているだろう。
でも、それでいいのだ。
これはこれで今の私にしか表現できない、書けないことがあるから。
その証拠になんだかんだ言っても、ブーブー文句垂れようとも、実際は今の生活を変えようとは本気で思っていない。
それにいくら自分で自覚しようとも、文章力だとか表現力だとかは決して落ちることはない。
それらは内包されて、蓄積されていく。
だから心配しなくていい。
どんな表現をしようとも、どんなことを書こうとも。
世の中に出した瞬間にそれは未知の可能性を秘めていて、必ず誰かに届くし響くから。
一番よろしくないのは勝手に「昔と比べて落ちた」と自信をなくし、自己表現を止めたり世の中に出さないことじゃないかな。
だから今日も書く、書く、書く。
今のわたしにしかできない表現できないこと、書けないこと。
きっとそれがどこかの誰かに届いて何かしらお役に立てることを願って、今日も書く、書く、書く、出すのだ(^^)
ひゃっほーい。
かれこれ3年前の写真かな?このころは今に比べるとまだ余裕ありました~