福岡のオルタナティブスクールに入学してからもう丸2年経つ。
改めて感じるのが、「学ぶことが多いなあ」ということ。
ホントに学びしかない。
まさに毎日が学び。
学び学び書いてるけど、ここでいう学びとは子どもではなく親にとっての学びだったりします。
今日は入学早々に「治療教育講座」を受けたときのことについて書きます。
先生が教授してくれる「親の学び」の場。
内容は、「子どもにとっての最高の治療って何か?」ということについて。
子どもにとっての最高の治療は?
食事?運動?睡眠?
応えは、「見てあげること」だった。
周囲が子どもを見てあげる、注目してあげることが一番の治療なんだそうだ。
これが今、圧倒的に欠けているらしい。
核家族で親は余裕なし。
親以外の大人も余裕がないうえ、スマホ等に注意を奪われ子どもなんて見ちゃいない。
だから今、必要なのは「村社会」。
そういえば昔はそうだった。
みんなで子育て。 わたしが幼少の頃。昭和の時代。
たとえ核家族であっても、近所、地域、もっと言えば国家で子育て。
どこにいても誰かの目が届く。
安心、安全。
そういえばわたしも子どものころ、4歳とか小さな頃でも近所の友達と二人であちこちで街を歩いてたっけ。
近所の人や商店街の人とも顔見知りで。
道を歩けば誰かのお母さんに偶然会って声をかけてもらえたりして。
困ったとき、知らない大人にも普通に話しかけてた。助けてくださいって。 当たり前のようにみんな快くわたしたちを助けてくれた。守ってくれた。
あの頃はテレビ全盛期。
でも家で見た記憶、ほとんどなし。
それよりも外で友達と遊んでたほうが楽しかったから。
母は専業主婦で何かと忙しそうだったけど、毎日家にいてくれたし、友達がいたから私は退屈なんてしなかった。
古き良き時代。
「村社会」っていうと、いかにも狭い世界、プライバシーがない世界のようなネガティブなイメージがある。
わたしだってそう感じてる節はある。
でも今、圧倒的に必要なのはこの「村」なのだそうだ。
みんなで助け合い、補い合い、安心安全をつくっていくやさしい世界。
わたし、こんな世界を作りたいと思ってたし実際に密かに計画してる。
でも村社会って聞くとどうも抵抗がある。
共同体。
コミュニティ。
世界全体がそうなっていけばもっともっと優しい世界になるのに。
そう願ってやまない。
だからここから、村をつくっていく。
すでにある村に参加する。積極的に。
村へコミットする。
そのためには、まずは自分をちゃんと整える必要がある。
しっかりケアして村にコミットする。
そしてまずは自分の子をちゃんと見てあげる。
気力体力がいるし、ある程度元気で健康じゃなきゃできない。
だから大切なことを見定め、ここからまた行動していく。
何かを変えていく。 そんなふうに意識することができた講座だった。
子どもに手をかけることは、実は自分に手をかけることだったりする。 それを忘れると、子育てにばかり時間とられて不平不満ばかりになる。
「自分の時間がない」 そうやってイライラしがち。
慌ただしい日々を過ごしてるとついイライラギスギスして大切なことを見失ってしまう。
だからまた、ここで意識づける。 すべては自分たちのためだけじゃなく、全体のためなのだと。
とはいえ、疲れたら無理しないで素直に休みたいよね。
そんなときはしっかり休む。
すべては全体のためなのだ。自分が休むことも(^^)