小さなころからの謎が解けた。
わたしは小さなころ自己主張は控えめ、目立たないおとなしい普通の子だった。
クラスで目立ってる男子に、「暗い。おとなしい」とからかわれたこともある。
学校で書く「長所」の欄は、たいていの子が「明るい」と書いていた。
わたしは決して明るくはない子だったので、決して「明るい」とは書けなかった。
困った挙句、「優しい」といつも書いていた。
優しいというより、誰のことも攻撃しない、傷つけない控えめな子だっただけなんだけど。
自分には何の取柄もない。
面白い冗談も言えないし、自己主張はしないし、目立たないし、存在感も薄いし。
そんな風に思ってた。
人間関係においても消極的な子だったので、自分から誰かに話しかけたり、ましてや「遊ぼう」などと誘うことはまずなかった。
基本的に一人でいるのが好きだし苦にならない。
家での一人遊びも最高だった(それは今も変わらない)。
誰かに執着することもない。
なのになぜか、友達には不自由しなかった。
いつも誰かがわたしを誘ってくれて、声をかけてくれて、いつも誰かが寄ってきて一緒にいてくれた。
休み時間には常に友達に腕を組まれてトイレに行っていた(笑)。
なんだかんだ言って、この風景は社会人になるまで続いた。
なんで何の取柄もないわたしに、いつも誰かが声をかけてくれて、絶対に一人になることなく友達に不自由しなかったのだろう?
その謎が45歳2児の母になった今、解けた。
わたしに声をかけてくれた子たちは、きっと心地よかったのだ。
きっと癒されたのだ。
きっと逃げ場になっていたのだ。
それに気が付いたのは、小学校3年生の息子のクラスメイトが最近毎日家に遊びに来たからだった。
息子はわたしにも夫にも非常に良く似ている。
友達やクラスメイトに対して、強い自己主張はしない。
どちらかというとおとなしく、存在感も決して強いほうではない。
基本的に一人でいるのが好きで苦にならず、自分の世界を持っている。
誰かに誘われたり声をかけてもらえば一緒に遊ぶけど、特に誰にも執着しない。
そんな息子を、一人のクラスメイトの少年が訪ねてきた。
以前から「家に遊びに行きたい」と言ってたそうだが、最近やっとその願いが叶ったらしい。
彼には4つ上の兄がいて、普段の交友関係や遊びも兄と一緒にいることが多い。
だから当然、年上の子と遊ぶことが多いし、同級生と比べると行動範囲も広ければ遊び方も大人びている。
そして兄とは上下関係がしっかり成立しており、逆らえないのだそう。
それに比べ、うちは4歳の妹もいるし、家に来てもらったところで遊び道具は少ないし、デジタルデバイスはないしで、当然原始的な遊びになる。
普段お兄ちゃんたちと遊んでるし、物足りないかな?と思って見ていたが、それが実に楽しそうなのだ。
塗り絵、ペーパークラフト、ボール遊び、スマートスピーカーで「うっせーわ」等をかけて歌って踊る…などなど(笑)
娘は彼に親近感を覚えたようで、積極的に名前を呼び、わけのわからないアクションを起こしては彼を困らせていた(笑)
(どう反応していいのか困るらしい)
彼のみならず、息子に何人かのお友だちが「遊ぼう」「遊びたい」と声をかけてくれる。
息子にはいいところがいっぱいあって、何の取柄もない、とはわたしは全く思わない。
でも私や夫に似て特に目立つわけでもなく、どちらかといえばおとなしいほう。
でもこうやって誰かが声をかけて寄ってきてくれて、友達にはなぜか不自由しない。
それは幼少の頃のわたしを彷彿とさせた。
そしてそのうちに遊びに来たクラスメイトの少年が、息子と一緒に無邪気に子どもらしい遊びを楽しんでいて、確信したのだ。
ああ、きっと、彼は息子と一緒にいると癒されたり救われたりするんだな、と。
居心地が良いんだな、と。
わたしも息子も、人との衝突や摩擦を避けたいほうだから、人を傷つけることはめったにしない。
だからここは彼にとって、安全なんだな。
刺激は少ないけど、きっと逃げ場でもあるんだな。
そんな風に思った。
みんな違ってみんな良くて、
何も目立って面白くてなんでもできる子だけが「良い」わけじゃない。
わたしや夫や息子みたいに、おとなしくて自己主張がなく、明確な意志もなく、誰かに執着することもない一人遊びが好きな目立たない子も、ある意味では「ヒーロー」なのだ。
役割があるのだ。
そんなことを感じ長年の謎が解け、改めて「誰しもがありのままでいいんだ」と思えた。