わたしは小学校2年生のとき、父がマンションを購入したのをきっかけに、東京都武蔵境から神奈川県相模原市に引っ越しました。

 

この頃も大人しく内向的な性格でインドア派ながら、有難いことにいつも友達に囲まれ、それなりにソツなく小学校に通っていました。

 

引っ越しの一番の変化は、なんといっても「転入生」としていきなり新しい土地に住み、新しい学校に通い始めたこと。

 

登校日初日、クラスの前に立たされ、「後藤あき子さんです」と先生に紹介されたときの何とも言えない緊張、恥ずかしさは今でも覚えています。

※旧姓は後藤

 

それまでクラス全員の前に立ち、注目を集めることなどなかったから。

 

クラス全員が一挙に自分のほうを見ている。

 

正直、表情はかなり引きつっていて、体はカチコチに固まっていました。

 

「よろしくお願いします」とだけ、うつむきがちに何とか何か言葉を絞り出すのがやっとでした。

 

さて、「自分は大人しく内向的な性格なんだ」というのを自覚したのはこのときからです。

 

自分から誰かに話しかけることは滅多になく、ホントに大人しかったからです。

 

それは自分以外の誰かと比べると明らかでした。

 

波風立てないように、静かに大人しくしていれば誰からも怒られたり衝突することはない。

 

これは幼少期に母に怒られ体罰を受けた経験から、「二度とあの痛みは味わいたくない」という生存本能から来ていると思います。

 

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さて、その頃は「登校班」というものが存在していました。

 

朝、各エリアごとに子どもたちが集まり、集団で学校に登校するしくみです。

 

住んでいたマンションで一つの登校班がありました。

その登校班には、同じ時期に転入生として引っ越してきた同級生が私の他に3人いました。

 

そのうちの2人は女の子。

つまり同級生4人のうち、女子が3人、男子が1人。

 

女子が3人ということは、奇数になります。

 

登校班は、2人ずつ2列に並んで登校しなければならなりませんでした。

 

なので、女子は3人のうち、いつも誰か2人がつるみました。

そして残り1人があぶれていました。

あぶれた女子は、もれなく男子と2列で登校するハメになります。

 

なぜか、あぶれるメンバーはローテーションで変わっていました(笑)。

 

わたしがあぶれて仲間外れにされたときは、残り2人がつるみます。

 

わたしがもう一人の誰かとつるんでいるときは、残り1人があぶれます。

 

そしてあぶれたメンバーというのは、いじめの標的にされるのです。

 

まず、口をきいてもらえません。

話しかけても無視されるので、次第にあぶれたメンバーは他の2人に話しかけなくなります。

 

不幸の手紙らしきものを送られます。

↑匿名で書いたけどバレバレでした(笑)。いや、笑いごとじゃないんだけど・・・

 

あぶれたメンバーは登校班で一緒に並んで登校できないだけではなく、いわゆるいじめの標的にされていたのです。

 

今考えてみれば、「わたしはあぶれてない。2人でつるんでいれば大丈夫」という優越感を残り1人に見せつけたかったのでしょう。

 

わたしは仕切ったり、率先して誰かをいじめるようなタイプではないので、いつもいじめる側の誰かに従っていました。

 

従わないと自分が標的にされ、いじめられるからです。

 

このあたりは子どもの世界の残酷なところだな、と思います。

 

それでも自分がいじめられないように、痛みを感じないように、できるだけ従順にいじめる側につくようにしていました。

 

そして自分があぶれて無視され、いじめられてたときは本当に辛かった。

 

「無視される」って本当に辛いです。

いないものとして扱われるわけですから。

 

毎日が憂鬱で、生きてる心地がしなくて。

夜は文字通り、まくらを涙で濡らしながら寝ました。

朝が来るのが憂鬱で憂鬱で仕方なかった。

 

親にも先生にも、他の友達にも言えず、ひとりでじっと耐えていました。

 

この登校班ならではの「誰か一人がいつもあぶれる」現象。

 

一定期間が過ぎると標的が変わるのです。

ローテーションで標的が変わってました。

 

きっと標的を変えることで、「優越感」をより実感したかったのでしょう。

このあたりは不安からきていますね。

 

だからいじめられてるときは、「今は辛いけど、そのうちまた標的が変わる」と耐えられていたのもあります。

 

この現象は小学校2年生から4年生くらいまで続きました。

 

 

さて、別件になりますが、

当時転校生として入ったクラスで、今でも鮮明に思い出せる痛みを感じる衝撃的な出来事があります。

 

帰りの会で「今日あった困ったこと」を発言する時間のとき、隣の席だった男の子、Dくんが挙手して、

 

「後藤さんが暗くて困ってます」と、クラス全員の前で言い放ったんです。

 

わたしにしたら、青天の霹靂。

いきなりのDくんの発言に超ビックリです。

 

転入生としてクラスに入った初日と同じように、クラスメイト全員の視線が一挙に自分に注ぎ、顔から火が出そうでした。

 

これには本当に恥ずかしくて恥ずかしくて、どうしていいのか分からなくて、ただ赤面してうつむいていました。

 

どこを向いていいのか分からないから、下を向くしかなかった。

 

Dくんたらなんてことを。

Dくんは当時、クラスの人気者。

活発で明るくて、ちょっとワルいところもあって、女子からも男子からも一番人気でした。

 

そんなDくんから見たら、全然しゃべらなくて存在感もなく、暗い雰囲気を醸し出してたわたしは「異星人」だったのでしょう。

 

なんでこいつ、こんなに静かでおとなしくて何もしゃべらなくて、こんなに暗いんだ???

という感じに。

 

悪気がないのは分かるんだけど、このときばかりはDくんを恨みました。

 

でももちろん、何も言えなかった。

 

そのときわたしが感じたのは、「人は明るくなきゃいけない。明るい性格でなければ、愛されない」でした。

 

明るい=良い。

暗い=悪い。と捉えたのです。

 

そのとき、学校で「自分の長所」を書く欄があると、すごく困りました。

 

ほとんどの子が、自分の長所欄に「明るい」って書いてた。

暗い性格のわたしは、そこに間違っても「明るい」って書けない。

 

悩みに悩み、考えに考えた挙句、自分の長所欄に書いたのは「優しい」っていう言葉。

 

自分で自分に「優しい」って書くなんて、どないだよ・・・

「明るい」って書けないから、仕方なく「優しい」って書くしかないなんて、悲しすぎる。

って、恥ずかしくて、情けなくて悲しくて、しょうがなかったのを覚えています。

 

前述した登校班のいじめの件もそうですが、

こんなにおとなしく静かにしていても、こうやっていじめられたり、指摘されて注目される。

 

存在を否定される。

つまり、愛されない。

 

いわばおとなしく目立たないようにしているのは、他人と衝突しないために、愛されるために、自分を守る手段だったのです。

 

家ではそうしていれば、母親に激しく怒られることが減った。

 

おとなしいいい子でいれば、母親に怒られない。

怒られる=愛されていない。

怒られない=愛されている。と思っていた。

 

でもそれが家庭では通用しても、学校という集団生活では通用しない。

 

おとなしくしてれば安心、安全。ではない。

でも明るく活発にも振舞えない。

 

一体どうしたらいいのか、内心途方に暮れていたと思います。

 

思えばこのときは、自己否定の塊でした。

 

次回に続きます。

 

暗い内容が続きましたが、次回はやっとひとりガールズトーク💛

初めてのバレンタインデーについて書きます。

 

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