ベトくら~ベトナムに暮らせば~


profile こんにちは。さかと申します。

遊びに来てくださってありがとうございます。

このブログは、以前「猫と暮らせば、日々楽し。」としてうちの猫(ベンガルの男の子)の話題から、私の趣 味である、釣り、読書、映画、そしてうまいモンの話と多岐にわたった話題で書き進めていました。このたび、オットの転勤でベトナムに暮らすことになったので、生活の中で見聞きしたこと、感じたことを書き綴りたいと思います。残念ながら愛猫プントは日本のさかの実家でお留守番ですが、留守猫情報もお伝えしたいと考えています。

ここで描かれているベトナムはあくまでもベトナム初心者の私が駐在生活の中で、見たり感じたりしたものでほんの一部分だと思います。事実と異なると思われる方もいらっしゃるかと思いますが、あくまでも個人の感想ですので、ご容赦くださいね。つたないブログですが、一緒にベトナム生活を楽しんでいただければ嬉しいです。

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癒しのプロセス

先月の半ばから今月の初めにかけて
日本に行っていました。

東京は節電で駅やデパートの中が暗く、
まるでベトナムにまだいるようで違和感があったけど、
いちばんの違和感はやはり家にいても
プントがいないこと。

私はプントが亡くなった後に一度帰っているから
プントがいないことを覚悟して帰ったのだけど、
オットは今回がその後初めての帰国だったので
気持ちの動揺が大きかったようだ。
はじめて本当にプントがいなくなったことを実感したと言っていた。

私もプントが好きだった本棚の上や、
欄間をながめては、つい、涙ぐんでしまった。

わかっていても、今までとさして変わりのない
実家の風景に、いちばん存在感があったヤツが
いないのは、かなり堪える。

両親にとっては、変わらぬ日常の中、
プントだけがいなくなった事実はさらに重かっただろう。

実家に帰ったら両親の手によるプントの作品があった。

ベトくら~ベトナムに暮らせば~
父作、プントの肖像。
父はプントの堂々としたたたずまいが好きだったから
どっしりとしたプントを描いたんだろうな。
ものすごく、細かく色を重ねてプントの色合いを描いていた。
この絵を父は夜遅くまで起きて一心に描いていたそうだ。
他にも何枚もプントを描いていた。

ベトくら~ベトナムに暮らせば~
これは、母の手による木彫のプント。

母はプントがなくなる前に木彫のクラスを申し込んでいたのだが
あんなことになって、クラスをキャンセルしようかと思ったそうだ。
でも、これもプントの供養と思って、
むずかしいのにあえて、坐像ではなく
元気に四本の足で立っているプントを彫ることにしたのだそう。

最初に見た時は、なんとなくフォルムが
猫と言うよりは牛?
顔の辺りが豚?
などなど、ビミョーな感じで、
好き放題ダメ出しをしてしまったのだが、
母はコツコツと彫進め、私が日本にいる間に
どんどん姿がプントに近づいて行った。

父も母も作品を作る過程で、
プントの写真をとことん見、
プントのことを思い、
その手を動かしながら、
自分たちの気持ちにゆっくりと折り合いを
つけていったのだと思う。

こういう癒しのプロセスが私にはまだ足りないようで、
写真を見るのも悲しくなるし、
日本でも友人からのお悔みを聞くのもつらく、
プントのことを口にだすこともためらいがあった。

ま、それでも日々は流れていくし
楽しいことだってある。
携帯やパソコンの壁紙のプントを見ても
ただ、ああ、かわいいなあ、と思えるようになってきた。

この記事もさほど泣かずに書くことができた。
私もずいぶん元気になった。


ハノイは今日も暑いです。


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ベトくら~ベトナムに暮らせば~

両親にとって、一番の癒しはやっぱり
モスちゃんかな~。

頼むよ!モスちゃん。

その後

プントの件では、みなさまに沢山のお悔みをいただき
ありがとうございました。

たかが猫一匹に大騒ぎして、と言われても
しかたがないことかもしれません。
でも、みなさまが一緒に悲しんでくださって、
その温かい言葉にどんなに
なぐさめられたかわかりません。
わたしたちの悲しみに寄り添ってくれて
本当にありがとうございました。

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わたしは、プントを送った後、
ハノイに戻ってきました。

そして、ハノイでこのたびの大震災のニュースを知りました。

その規模の大きさと、被害の甚大さに
現実のこととは思えませんでした。
被災された方の恐怖と悲しみ。
そして現在も沢山の方が不自由な生活を強いられて
いることを思うと、自分も悲しんでばかりは
いられないという気持ちになりました。

日本のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。

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プントの葬儀をした翌日、母とわたしは
久しぶりに外出した。
ちょうどかいとうひろみさん が出展されている
猫町ギャラリーの10周年最終企画
「猫町横丁」の最終日に間に合ったので
家にいても泣いてばかりだからと、
母と二人、谷中に出かけて行った。

会場には沢山の愛らしい猫の姿が。
「なにも、こんな時に猫の姿を沢山みるところに
出かけることないのにね」と言いながら
あれもかわいい、これもかわいいといいながら
作品を拝見した。

そして、かいとうさんの展示スペースで
シンプルな、線画のお皿を手に取った。

「プンちゃん、こんな格好、よくしていたよね」
「そうだね・・」

母とわたしは、それぞれお皿を買い求めることにした。


母はプントが寝ている姿を思い出すといって、
このお皿を選んだ。

ベトくら~ベトナムに暮らせば~

わたしはこれ。
「長いちゃん」。
ベトくら~ベトナムに暮らせば~

プントには実家に行ってから、
夜寝る前に行う儀式があった。

夜の間は、居間をモスちゃんに解放するために
別室で寝かされるのだ。
大抵は、居間で眠っているところを
抱えられて連れて行かれるのだが、
その時に、なぜかだらーんと
力を抜いて長くなる。

これをわたしたちは「長いちゃん」と呼んでいた。

本猫は居間にいたいので、
非常に不機嫌なんだけど、
その姿がかわいくて、わたしたち家族は
必ず笑顔になって
「プンちゃんお休み、また明日ね」と
言って寝かしつけるのが
お決まりの儀式だったのだ。


ベトくら~ベトナムに暮らせば~
長いちゃん

ハノイにお皿を持ち帰ってオットに
「長いちゃんみたいでしょ」と見せると
「そうだね」と言ってくれた。



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オットとはハノイに戻ってからも
あまりプントの話をしなかった。
話すとお互いにものすごく泣いてしまうので、
オットには仕事があるし、わたしも
いろいろと予定が詰まっていたので
その話には触れないようにしていた。


数日経って、オットの会社が連休に入った。
もともと旅行の予定を立てていたので、
オットとベトナムの海辺の町に出かけた。

夕方、海岸を散歩しながら
ようやく母から聞いた
プントの最期の話をオットに伝えることができた。

海を見ながら二人とも涙が止まらなくなった。
というか、二人で並んで海を見ながら
子供みたいにわんわん泣いた。

プントがどれほどかわいかったか、
どれほど愛していたか話し、オットの話を聞いた。
そうして泣くだけ泣いたら
少しすっきりした。

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時々プントの夢を見る。
でも、いつもプントは亡くなった後で
冷たくなっている夢ばかりだ。
夢の中でもわたしは間に合わない。

いつか夢の中で
「長いちゃん」になっている
プントに会えるといいな。

まだまだこんな日々を送っていますが、
少しづつブログも再開していければいいと思っています。

6歳と1日弱。


プントが逝きました。


知らせを聞いたのは、2月23日の夜。

その朝、プントが寝ている部屋の戸を開けたら、
いつものように飛び出してこなかった。
父が声をかけると、プントが這って部屋から出てきたという。

足でも折ったのかと思い、両親がすぐに
病院に運んだら、骨折なんかじゃなく
心臓の発作で、血栓が足に飛んで
足が麻痺しているのだといわれたそうだ。
そのまま入院して、今酸素室に入っているのよ、
心臓が肥大しているんだって、と母が言う。
プンちゃん頑張っているけど、悪いみたい・・・。


心臓なんてどうしてプントが?
免疫系がおかしいのはわかっていたので
子供のころからずっとウォッチしていたけど、
心臓なんて一度も悪いと言われたことがない。
信じられない思いで電話を切り、
病院に直接電話をかけてF先生と話した。

F先生が説明してくれたのは、
肥大性心筋症という病気。
レントゲンで見ても心臓のサイズはちょっと
大きいかな、くらいのもので、音も正常。
エコーを撮らない限りわからない病気なんだそうだ。

プントの心臓は心筋が分厚くなってしまっていて、
ポンプのように膨らんだり、縮んだりして
血液を心房から心室、大動脈と送り出す心臓本来の機能が
うまくできなくなって血液が心房から心室に
逆流してしまうんだという。
心房にたまった血液がかさぶたのようになって、
大動脈から送り出され、足の細い血管で
詰まってしまったとのこと。
血栓を溶かす注射を打って様子をみているが、
強い薬なので、一日に一回しか打てないんだという。
できる限りの治療をしていて、
プンちゃんは頑張っていますが、はっきり言って
難病です、と言われた。

オットがすぐにネットでその病気を調べたら
かなり難しい病気だということがわかった。

わたしはすぐに飛行機に乗って帰りたかったけど、
ちょうど査証の更新中でパスポートが手元になく
いつ戻ってくるかわからない状態だった。

なんでこんなときに・・・

その夜は二人とも泣き明かした。



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翌朝母から、プントが少し落ち着いたよ、
病院に見舞いに行っていいって先生に言われたよと
電話がかかってきた。

その日、2月24日はプントの6歳の誕生日だった。

昼間には両親が病院に面会に行き、
呼吸が少し落ち着いて、プントって名前を呼んだら
ニャーって応えて、起きようとしたよ、と教えてくれたので
少し安心した。

会いに行かなくっちゃ、どうしても。
会って名前を呼ばなくっちゃと思った。

オットが手を尽くしてくれたおかげで
なんとかパスポートが戻ってきたので
日本行のチケットを買って、夜行便に乗った。
成田に着いたのは25日早朝。

その日に限って大渋滞に巻き込まれ、
リムジンはいつもより1時間以上も余計にかかった。

タクシーに乗り換えて、母に電話を入れ、
一回家に帰ってから病院に行くよ、と言うと
プンちゃん夜中に急変して4時半ころ亡くなったよ、
家に帰ってきてるよと教えてくれた。

知らせを聞いてから33時間半。

わたしは間に合いませんでした。

家に帰ると、プントはいつもの寝床に横たわり
まるで眠っているようだった。
耳もキレイでピンと立って、
自慢のひげもピカピカしていた。
そっと撫でると、毛並みもスムーズで
本当に、本当に
ただ寝ているみたいだった。


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夜には今までお世話になった主治医のN先生、F先生に
ご挨拶に行った。

N先生は2晩、ほとんど寝ないでプントを診てくれた。
なんとかわたしに会わせたくて手を尽くしたけど、
だめだった、本当にごめんね、と言ってくださった。

F先生もプントが子供のころから、ずっと
ウンチの検査を根気よく続けてくださって、
僕、プンちゃんの全身を診るのは初めてでした。
と、おっしゃったが、F先生がプントの状態を診て
すぐに心臓が悪いのだと診断してくださった。

両先生とも、本当にお世話になりました。
そして、いつも親切にしてくださった
J病院のスタッフのみなさま、本当にありがとうございました。



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今朝、プントのお葬式をして
プントはお骨になって家に戻ってきました。
オットが夜の間に、花の写真を
送ってくれたので、棺に一緒に入れて焼いてもらいました。

父と母、わたしでお骨を拾ったけど、
プントは骨になっても立派だった。


6歳と1日弱の猫生だった。



あまりにも短くて、突然で、信じられない思いだ。

とくに、オットは遠く離れた場所で、
話を聞くだけだったので、その気持ちは
ひとしおだと思う。

どうして、と考えることはやめられないし、
悲しい気持ちはこの先ずっと消えないけれど、
プントが苦しみから解放されて
安らかになっていることに、わたしはホッとしている。




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焼き場で待っているとき、
待合室のドアの外で猫がしきりに鳴いていた。

ドアを開けると、黒い猫がいた。
首輪をつけているので動物霊園の猫だとわかった。

その子はすっと部屋に入って来て父の足元に座ったけれど、
正直言ってわたしは他の猫に会うのもつらい気持ちだったので、
すぐに部屋から出してしまった。

それなのに、しつこく部屋の前で鳴き続ける。
根負けして再び部屋を開けると、
その猫は、ポンとわたしの膝の上に
乗って来てしきりに甘えるのだ。

こんなこと、初めて会った猫がすることか?
ぎこちなく撫でていると、黒猫は
わたしの膝の上で、心地よさげに頭を
手にすりつけたりする。
プントだってこんなことしてくれなかったよね、
と母と話しているうちに、だんだんと気持ちが落ち着いてきた。
まるでプントが黒猫に姿を借りて
わたしに最後に会いにきてくれたような気がしたのだ。

プンちゃんありがとう。
間に合わなくて本当にごめんね。
プントはお父さんとお母さんのお宝だったよ。


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短い間ですが、プントは大勢の方に
愛された猫でした。
プントが結んでくれた縁もたくさんありました。
みなさま、たくさんの愛情をありがとうございました。



ベトくら~ベトナムに暮らせば~
ありがとう。
じゃあね!
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