chie流〜自分らしく生きていい 全ては無条件の愛の世界の出来事なのだから | ことり色の風

ことり色の風

 やっと本当の自分に出会えたように感じます。自分の
『大好き』を大切に、できることから始めようと決めました。
 まだまだ歩き出したばかりですが、よろしくお願い致します。
 

 こんばんは!

今日はまた暑いくらいの日差しでした。


 多分梔子じゃないかな、と思うのですがなんせ、香りがわからず…でも、少し梔子じゃないかも。←少し梔子じゃないって一体?笑

それからね、やごの抜け殻、初めて見ました。

トンボ、飛んでますもんねぇ。早いなぁ。


 ふと思いました。

わたしたちはもしかしたら、無条件の愛の世界にもういるんじゃないかな。

晴れても降っても

離れても手をとっても

好きでも嫌いでも…

どんなことやどんなものたちも 今、わたしの住む世界に一緒にいる。

この彩豊かな世界。

それは全てが存在する事を許され、全てが認められる世界。

受け入れ難いこともあるし、それは見たくない、と感じる事が起こったりすることもある。

それでも、それが起こりうるのは 人智を超えた何かが認めていることで、わたしたちがとやかくいうことではない。

 自由な世界である、ということ。

どんな生き方をしてもいい、どんな選択をしてもいい。結果、誰かが傷ついてしまっても、それは、大いなる愛の世界で起こった事で絶対大丈夫。わたしごときが それを心配して自分を曲げる必要はなかったのに。

でも、それは 自分の蒔いた種は刈り取るという責任のもとに成り立つ、優しくて厳しい世界でもありますね。

 他を裁く事なく、批判する事なく、認めて その上で自分の立ち位置を決めていい。


 わたしはずっとそれが分かりませんでした。

いつも心配して抱え込んで、手を離しては、離せなくては、悩み、離されては嘆き、傷ついた人を見てわたしの何が悪かったのかと自分を責めて 苦しかった。

 手を離すも繋ぐも愛で、何一つ悪はなく、そこにはその人の思いや世界観があり、一人一人にそれを大切にする権利がある。住む世界が違うならば致し方ない。

 ある意味、信頼できるから手を離せるんですもんね。

 いつか同じ世界に在ることもあるし、違う世界に別れていくこともある。離れていても同じ世界に在る事もできるし、近くても違う世界にある事もできる。

 それは寂しく悲しいかもしれないけれど、本当は悲しくも寂しくもないんじゃないかな。


 そんなことをあさんぽしながら感じました。

ずっと悔やんでいたこと、ずっと心に引っかかっていたこと、それがここまで連れてきてくれました。

 自分の思いを通すことは、わがままで、やってはいけない、約束、順番は絶対守るもの、と思っていました。それはわたしの幸せとは程遠い現実を作りました。全てはわたしを学ばせてくれるための台本とキャスティングだった。わたしは、本当に恨んで泣きましたけれど。

 冷静にみたら、オスカー獲れる台本と、わたしは主演女優賞獲れそうな感じです。笑

 そう思える体験をさせてもらってきた事を心から感謝致します。わたしが無条件の愛で在る必要はなく、わたしは、その世界に在る事を認め、全てを委ねて、自分の生きたいように生きたらいいんですね!

そう感じられたら ほっとしました。

それと同時に、あー!やっちゃった、痛恨のミス!ってまた思いましたけれど…全ては大丈夫、という世界観で生きていこう、と、決めました。笑