大丈夫の基準 | ことり色の風

ことり色の風

 遠回りしたけれど わたしはわたしらしく生きていると思えます。今まで出会った方々に頂いた愛にただただ感謝しています。

  わたしのうちには、鳥がいます。
なので、鳥つながりのお友達もいます。
今朝は、
SNSで繋がってるだけのお会いした事のない方の
愛鳥さんが、急死した、とのことでした。

  わたしも何度か鳥を亡くした事がありますから、やはり、その知らせは辛いです。

 SNSでお悔やみの言葉をかけようと思ったのですが、なかなかしっくりした言葉が思い浮かばなくて…
最後に出てきた言葉が、ありがとう   でした。

  自分でも不思議な言葉だなぁ、と感じましたが、そのお友達は、今日、お店をオープンされたのです。ずっとずっと温めてきた想い、準備してきたお店が形になりました。
その間にも資金のこと、物件のこと、何度も何度も振り出しに戻りながら辿り着いた今日。

その日に亡くなった愛鳥さんは、もしかしたら、
もう、大丈夫だね!って言いたかったのかも。
そして、大丈夫だから、お空に帰ったのかも。

わたしの  ありがとう  は、今まで友達を側で支えてくれてありがとう、だったのかもしれません。

あぁ、すべてのことは、本当に大丈夫なんだな。
と、今までより少し深く納得する事ができました。

  そう思ったら、今まで大丈夫じゃない、と思っていた事って、何わたしは、を根拠に大丈夫じゃない、と思っていたのかな?と気になり始めました。

  たとえば、あんこ。
以前のわたしは、あずきを買ってきて自宅で煮るものだ、と信じて疑いませんでした。
缶詰のあんこを買うことにすごく抵抗がありました。
それは、わたしが、
缶詰のあんこ、買うの?それって大丈夫?あずきを買って、お家で煮た方が美味しいし安全に決まってるじゃん。
と信じ込んでいたから。

でも、わたし、アンパン買って食べてました。
アンパンを買うのは良くて、あんこを缶詰で買うのはいけないって?今日、不思議に思いました。

もしかしたら、わたしは、周りの評価が大切だったのかもしれません。

  セオリー通り、《ちゃんとやってる自分》に安心していただけなのかも。ちゃんとやってるアピールしたかっただけなのかも。
根っこは恐怖と頑張ってるわたしって、素敵!だったように感じます。

(あずきを煮るのが大好き!ならいいんです。
わたしはそうじゃなかったんです。
それから、確かに、小豆から煮たら、缶詰を買うより、価格は安いです。多ければ、冷凍保存できますしね。家族が多い、回転の早いお家だったら煮てみるのもとてもいいと思います。)

昨日は、ある程度の自分の基準をクリアしたら、煮ようが、買おうが、いいじゃない?
と思って、北海道産の缶詰のあんこを買ってみました。

   買って食べてみて感じたこと。
北海道であずきを作ってくれている人、工場で缶詰を作って出荷してくれた人…
奄美大島でサトウキビを作ってくれた人、工場で加工してくれた人…
京都でもち米から育て、お餅を作ってくれた人…
たくさんの人の想いがあって、今ここにあるおぜんざい。人の手をたくさん借りてるんだなー、ありがたいなぁ、と思えました。
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自分で何もかもする、それが心地よい、というならばそれは本当に素晴らしいことでしょう。
でも、それが苦ならば、助けてもらう。
大切なのは、いつも頑張ることではなく、
できないときはできない、その自分を認めてあげること。
だから、自分が無理せず、楽しんでおぜんざいを食べられる方が、今のわたしにはとても価値のあることなのです。
これも自分に寄り添う、ということなのかもしれません。

うまく言えないのですが、
外側の事も内側の事もバランスよく大切にしたいなぁ。それがわたしの大丈夫のうちの一つかも。
そう思えた朝でした。