こんばんは、家庭教師プレストの丹羽です。
とうとう11月も中旬になってしまいましたね。
受験生も志望校の判定やらが出て、ようやく火がつく頃ではない
でしょうか。
もっと早く火が付いていれば・・・
親はそう思いますが、それが現実です。
しかし、
「入試までに絶対追い込んでやる!!!!!!!!」
と思ったのもつかの間、ダラダラしたり、今日もあれば明後日も
あるような振る舞いをします。
あの気持ちはいったいどこへ!?
最後まで面倒を掛けたがる子供たちです。皆そうですよ。
入試の試験会場で周りから聞こえる「コツコツコツ」という正確
に刻まれる鉛筆の音を聞いたときに感じる恐怖と緊張。
そのとき初めて入試前日までに自分がしてきたことに気づくのか
もしれません。
自分がやってきたこと、積み上げたことだけが試される。
誰も助けてくれない。
「入試までに絶対追い込んでやる!!!!!!!!」
この気持ちをようやく持った子供たちを入試まで伴走してやって
下さい。
最後まで諦めない者、執念深い者こそが勝ち上がるのが受験です。
志望校の判定が悪い順番から脱落するのではなく、諦めたものか
ら順番に脱落するのが受験です。
成績が悪い子供のほうが諦めも早くなるのは致し方ないとしても、
何年もかけてきた受験を残り2ヶ月、3ヶ月で諦めるのは敵前逃
亡です。
最後まで歯を食いしばって「やるべきことをやる」!!
1日で1点アップで残り年内50日で50点アップできる。
2日で2点アップで残り年内50日で25点アップできる。
今成績が振るわない子供こそ、そのチャンスがあるはず。
ちょうど寒い日に読むのには一番いいんじゃないかと思っていま
すのでお付き合い下さい。
浅田次郎著「ひとは情熱がなければ生きていけない」より
http://tinyurl.com/asf7c23
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東京オリンピックの前年のことである。
私はどうしても私立中学を受験すると言い張って、貧しい母を困
らせた。
生家は数年前に没落し、家族は離散していた。しばらく遠縁の家
に預けられていた兄と私を、母はようやく引き取って、とにもか
くにも、六畳一間に三人の暮らしが始まったばかりであった。母
は、ナイト・クラブのホステスをしていた。
学歴に対する過剰な信仰が始まったのは後年のことで、当時の私
立中学は教育熱心な裕福な家庭の専用物であった。そして、悲し
いことに、余裕のある家庭の子女は明らかに学力が優っていた。
私が私立中学にこだわったのは、親の不始末によって私の人生ま
で変えられたのではたまらぬ、と考えたからである。家庭が破れ
たのちも、私は選良としての意識をかたくなに抱き続けていた。
繁栄に向けて日本中がせり上がってゆく槌音(つちおと)が、昼
夜分かたず私を苛んでいた。
「いい家の子と一緒にやってゆくのは、おかあさんも大変だけど、
おまえだって並大抵のことじゃない」
と母が説諭したが、結局私のわがままを聞いてくれた。
さながら科挙の試験のごとく、一族郎党と家庭教師が花見のよう
な弁当持ちで少年に付き添う試験場に、私はひとりで臨んだ。誤
答はひとつもないという自信はあったのに、たぶん不合格だろう
と思った。
理不尽だと思いつつも、すべてを斉(ととの)えて試験に臨む本
物の選良たちにはかなわない気がした。
アパートに戻ってその気持ちをありのままに伝えると、母は化粧
をする手を止めてやおら鏡から向き直り、強い口調で私を叱った。
「おとうさんやおかあさんが試験を受けたわけじゃないんだ。お
まえが誰にも負けるはずがないだろう」
と言ってくれた。
合格発表の日、母は夜の支度のまま私と学校に行ってくれた。盛
装の母は場ちがいな花のように美しかった。私の受験番号を見上
げたまま、母は百合の花のように佇(たたず)んで、いつまでも
泣いていた。
その日のうちに制服の採寸をした。駒場東邦中学の紺色の制服を
母はたいそう気にいって、「海軍兵学校みたいだ」とはしゃいだ。
それから別室で販売されていた学用品を、山のように買ってくれ
た。
小さな辞書には見向きもせず、広辞苑と研究社の英和辞典と、大
修館の中漢和を買い揃えてくれた。
おかげで私はその後、吊り鞄のなかに三冊の大辞典を詰めたボス
トンバックを提げて通学しなければならなかった。
学徒動員のさなか、学問をするかわりに飛行機を作っていた母は、
私に何ひとつ教えることができなかった。三冊の辞書の言うに尽
くせぬ思いがこめられていたのだろう。
・
・
・
紅葉の色づくころ、母が死んだ。
癌を宣告されてからも決して子供らの世話になろうとせず、都営
団地にひとり暮らしを続けた末、消えてなくなるように死んでし
まった。
七十三の享年に至るまで、たおやかな一輪の百合の花のように美
しい母であった。
遺された書棚には私のすべての著作に並んで、小さな国語辞典と、
ルーペが置かれていた。
あの日から、三冊の辞書を足場にしてひとり歩きを始めた私のあ
とを、母は小さな辞書とルーペを持って、そっとついてきてくれ
ていた。
そんなことは、少しも知らなかった。
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別の書籍から関連するものを少し紹介しましょう。
浅田次郎著「新選組読本」よりhttp://tinyurl.com/36n6cb
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受験会場にも、当然、ひとりで行きました。
ところが、他の受験生には大名行列のように大人が付き添ってい
るんです。両親、担任の先生、塾の先生、そして家庭教師・・・。
それを見て、僕はびびりました。なんて言うかな。オリンピック
の開会式に出たら、みんながナイキとかアシックスのシューズを
履いているのに、自分だけ草履を履いていたような、そんな感じ。
昼食の時間も、僕は途中で買ってきたメロンパンを齧りながら、
テトラ牛乳を啜っているけど、周囲は花見弁当のようなお重を広
げていました。
父兄のひとりが僕に同情して、お重のふたに卵焼きとか海苔巻き
をいっぱい載っけて、「これ、召し上がれ」と差し出したけれど
も、僕は手をつけませんでした。施しを受けることはできません。
試験はできました。誤答はひとつもないという自信もありました。
でも、会場のムードに圧倒されてしまって、「不合格になる」と
思ったんです。
家に帰ると、店に出る支度をしていた母親が、鏡を見ながら「試
験どうだった?」と聞くから、「もうダメだ」と答えました。
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このあと母親の言葉
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「おとうさんやおかあさんが試験を受けたわけじゃないんだ。お
まえが誰にも負けるはずがないだろう」
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になるわけですね。
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その言葉は、のちのちになっても僕の支えですね。
どんなブランドがついていようと、どんなコンプレックスを抱え
ていようと、関係ない。
試験なら成績、原稿なら内容、評価されるのは自分だけ。
何も教えてくれない母でしたが、ポイントを押さえるのは上手で
したね。
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合格発表のときに母親が買ってくれた
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その三冊の辞書は今でも机の脇に置いてあります。もうボロボロ
だけど、手放せない。
十二歳のときから大きな辞書を引き続けたことは、僕の人生に大
きな影響を与えたと思います。
辞書というのは、大小にかかわらず引く手間は同じなんです。
大きな辞書を持っていると、ひとつの言葉を調べるとき、ついで
に前後の言葉も見るでしょう。それでずいぶん勉強させてもらい
ました。
だから、僕が小説家になる種は、母が蒔いてくれたようなもので
すね。
本人は意識していなかったし、僕が小説を書くことには猛反対だ
ったけれども。
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そんな浅田少年も15歳のときには「生か死の選択を迫られるほ
どの熾烈な悩み」を抱え、「鬱」と格闘していたそうです。
「勇気凛凛ルリの色 四十肩と恋愛」より
http://tinyurl.com/676gfp
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冬の夜の家出は、生の選択であった。
あの晩、私は着のみ着のままで死から脱出した。ボストンバック
の中には、貯金通帳と辞書だけが入っていた。
なぜ辞書であったのかはわからないが、ともかく広辞苑と漢和辞
典と、研究社の英和辞典を持った。
教科書も着替えも持たずに辞書類だけを詰めこんだというのは今
さら説明はつけようもないが、たぶんそれらが私のアイデンティ
ティーであったのだろうと思う。
あえて具体的な理由をつけるとするなら、それらは別れた母が買
い揃えてくれたものであった。
中学に合格したとき、おまえには塾にも行かせず家庭教師もつけ
なかったのだからこれぐらいはしてやるよと、乏しい財布をはた
いて買ってくれたのだった。
ホステスをしながら私を育ててくれた母は、結局経済的な事由で
私を手放したのだが、そのとたんにこんなことになってしまった
という呵責の念が、家出に際してパンツよりも辞書をえらばせた
のであろうか。
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何も教えてくれない母から教わった唯一のことが子供の人生の支
えになっている。
多くのことを教えればいんじゃない!ということですね。
頑張れ、受験生!!
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