こんにちは!
思い出グラスに残します!
キッズアートグラス 
puriShine(ピュリシャイン) 新川 鮎美です。

 


高松は今日から二学期が始まります。

前日まで自由研究に追われ、
なんとかギリギリで完成しました(T□T )


8月中は午前授業なので早く帰ってきますが、
やっと自分の時間を取れるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、高橋ゆりこさんの影響で
「過保護のカホコ」を観始め、
昨日、録画してあった第7話を観ました。

 

3~6話までは
「そっか、カホコママはこんな思い込みを持ってたんだね」
「あー、カホコママ、カホコをコントロールしようとしてる。うわー私もやっちゃってるなー」

 

って感じで、心理的な分析をしたり、

自分にあてはめたりしながら

割と冷静に観ていたのですが…

 

昨日見た7話でめちゃめちゃ反応してしまうシーンがありました。

 

 

 

「もういつ死んでもおかしくない」状態の「ばあば」のために、乗り気じゃないみんなを無理やり集め、カホコの従姉「糸」の誕生会を開いたカホコ。
会の途中でみんなが言い争いになり、無理やり誕生会を開いたカホコを「おせっかい」と責めるみんな。それをかばうカホコの両親。
カホコは「今までみんなで集まるのが大好きだったけど、もう顔も見たくない!」と言って飛び出してしまう。

追いかけてきていた彼氏の初に
「なんでもそうやって背負いこむな」
「どうにもならないことはある」
と諭され・・・


というシーン。

 

 

 

それまで、このドラマで涙が出たことはなかったのですが、
このシーンにめちゃめちゃ反応し、
涙は出るし、胸は痛いし。

でも理由が分からない。

観終わった後、ゆっくり理由を考えていたら分かってきました。

 

 

私も似たような経験、親戚とのやりとりで何回かしてたんです。

 


母から「礼儀正しく」「ちゃんとしなさい」と言われて育ってきた私。

一人っ子で、喋るとやかましいけど決して活動的ではなく、出かけると「しっかりしてるわねぇ」とよく大人に褒められていました。


実際にしっかりしていたかは別として、

私はいつも

「ちゃんとしていないといけない」

と思って過ごしていました。




私が中学生になった頃、従弟が生まれ、

すぐにもう一人女の子が生まれ…


弟が出来たようで

とてもうれしかったのを覚えています。
私自身も叔母に、とてもかわいがってもらっていたので、

「わたしも従弟たちと仲良くしたい!

お世話したい!

私が従弟たちのお姉ちゃんになるんだ!」
と、一人で、

祖母と一緒に住んでいる叔母の家まで

新幹線に乗って遊びに行ったこともあります。

 


しかし、小さい男の子の生態がよく分かっていなかった私は、
「小さい従弟には私がいろいろ教えてあげないと!」
と張り切り、

法事で騒ぐ従弟達を叱りつけたり、

親戚で出かけた先で暴れていたら怒り・・・


特にわんぱくだった従弟にはきつく当たるようになってしまいました。


その結果、従弟たちからは嫌われ、

叔母は困り、自分の母には
「あんたは親じゃないんだから、口出さないの」
と言われ・・・

 

行っても疎まれる、ケンカになるが続き、

私も大学生になり、社会人になり、結婚し出産し…
そのままの状態で高松に引っ越してしまったので、大きくなっても従弟たちとは気まずいまま、疎遠なままです。

 

 

そんな出来事から、

「私は愛されていない」

「いつも私が悪者にされる」

「私は厄介者」

「私はいらない存在」

「私がいるとみんなが不幸になる」

と、思いこんでいったようです。

 


私はただ、みんなの役に立ちたかった。


礼儀正しく、ちゃんとしている姿を従弟たちに見せて、
「鮎美ちゃんのようにちゃんとしていたらカッコいい」
という姿を見せたかった。

叔母や祖母の代わりに従弟たちに注意することで、私が従弟たちを育てている、家族に貢献していると思いたかった。

 


私は従弟たちのヒーローになりたかったんです。

 

 

「鮎美のおかげで従弟たちがちゃんとしてるよ」

「ありがとう」

「やっぱりお姉ちゃんはすごいね」

って従弟たちや叔母、祖母に言ってもらいたかった。

 



そのために、誰に頼まれたわけでもないのに祖母の家に頻繁に行っては従弟たちとケンカし、あげく祖母ともケンカし、
「何のために来たの?」
と聞かれたこともありました。


聞きたくなる叔母や祖母の心情も、
役に立ちたかった自分の心情も、
今なら痛いほどに分かります。



カホコのドラマのシーンでの、
誰かのためを思って一生懸命やったことを『余計なこと・おせっかい』と言われて責められる
という部分に反応したんですねぇ。

 

そうそう、未だに父から
「なんでも抱え込むな、考えすぎるな」
と、よく言われます。

期待に応えようと、理想の自分になろうと、
求められてもいないことに 

つい一生懸命になって、空回りして、
「やったことを感謝してもらえない!」
と嘆いていたんですねぇ・・・


切ないわぁ。

当時の自分が健気すぎて泣けます。


 

 


ただ、カホコと私が違っていたのは、
カホコは ばあば との約束を守って、

ばあば の病気のことは みんなに話さなかった。


カホコの両親はカホコをかばっていたこと

です。

 


私の場合、別に誰かと内緒の約束をしていたわけでもありませんが、過去の私は、
「だから私は正しい」
「これはこうあるべきだ」

と、自分の事情を押しつけ、自分の思い通りにしようとしていたし、

自分がやったおせっかいを
「私がこんなにしてあげたのに!」
「もっと感謝してよ!褒めてよ!」

とずっと思っていた。

 

 


そして、両親のこと。
特に母は、私に対し何度も

「あんたは親じゃないんだから、従弟たちにきつく当たらないの」
「余計なことを言うな」

と言っていました。それに対して私は

「誰かが言わなかったらずっと変わらない」
「従弟たちは全然ちゃんとしていない」

と反論し続け、意見が平行線のままだったのです。


今となっては母の立場も言い分もよく分かります。
私自身、長男に次男への態度について、当時の母と似たようなことを言ってしまうし。

 

 

それから書いていて今思い出しましたが、
母は従弟たちにとても優しく、私に対する態度とは全然違っていて、
そのことも寂しかったのだと思います。

母も母で

私をちゃんと育てないと!
と思っているプレッシャーで、私に厳しく接していたのかな、と、今なら思います。

 

それに、「両親はかばってくれなかった」と書いていましたが、
そういえば私の父は私とだいたい同じ意見でした。

「子供でも関係ない。ちゃんとする場面はちゃんとするべき」
「それが出来ないのは甘えだ」

と、母が私の従弟たちへの態度について責める度に父はかばってくれていました。


なーんだ、かばってくれる人いたんだ。

 



それに、母が私に注意していたことだって、
「私が愛されていない」からじゃなくて、母はただ
「みんなで仲良く過ごしかっただけ」
なのだろうと思います。


あぁ、なんて勘違い。

 

ここ最近ずっと、自分の中の

「謝ってほしい」

「感謝してほしい」

「認めてほしい」

という欲求が強すぎる自分をもてあまし、

「その欲求、解放したい!」

と思っていたのですが、
大元のブロック・禁止令はこんなところにあったのか!と
ビックリです。


でも、そんな私だったのに、

祖母の家に私が遊びに行くことを嫌がることもなく、

いつでも歓迎してくれた叔母夫妻は寛大だなぁ…と感謝の思いです。


今度、叔母にちゃんと謝ろうと思います。

 


高橋ゆりこさんが「過保護のカホコ」の1~6話を心理的に解説してくださっている記事はこちらです。

どれもとっても分かりやすい。

 

過保護のカホコと宇宙の法則

カホコが自立する方法。

カホコ2話も宇宙の法則てんこもり

カホコ3話「母と娘の分離」

愛するより信じる方が難しい

自立は依存から始まる

カホコの母娘の関係性とブロックの仕組み

ブロックは性格を形成するもとになる。


今日もお付き合いくださり ありがとうございます。

 

 

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