海辺の駐車場では、

ウエットスーツに着替えた男(ひと)が、

サーフボードを抱えて、

海へと向かいます。

 

 

僕は、

クルマの中から、

風呂場の鏡と、

折りたたみイスとを抱えて、

海へと向かいます。

 

 

波打ち際に、

イスを置いて、

鏡を抱えて、座ります。

 

 

サーフィンをしている人たちから、

見たら、

遺影でも抱いているように

見えるでしょう。

 

 

「海が見えるか?」

 

 

「・・・私、海だったかも」

 

 

「どういうこと?」

 

 

「鏡を見ないと、

私って、どんなだったか、

わからなくなるの」

 

 

「きれいだよ。

 

美人だよ」

 

 

まるで、

彼女を後ろから抱いて、

囁(ささや)いているかのようです。

 

 

「もし、

この世界に、鏡がなかったら、

みんな、

自分が、どんななのか、

わからないでしょ?」

 

 

「顔は、

わからないかもしれないけど、

それ以外は、わかるだろ?」

 

 

「私、わからないのよね」

 

 

「それは、

もう、身体がないから」

 

 

彼女は、

7年前に、鏡にぶつかって、

亡くなっているんです。

 

 

鏡になっていた壁に、です。

 

 

ぶつかったときに、

鏡の中に入ったと、

思い込んでしまっているんです。

 

 

「あなたの中のあなたって、

どんなだかわかる?」

 

 

「僕の中の僕?」

 

 

彼女が聞いているのは、

たましいのことです。

 

 

「この身体から出てみないと、

わからないよ」

 

 

「海を見ていると、

海だって、感じない?」

 

 

僕は、

海を眺めてみます。

 

 

白く泡だって打ち寄せる波が、

繰り返します。

 

 

「どうかな?」

 

 

「毎日、

鏡に、自分の姿を見ているからね」

 

 

「海は、海だろ」

 

 

「海を見たとき、

あっ、私だって、感じたんだけど?

 

この世界って、立体の鏡かもって」

 

 

「立体の鏡?」

 

 

「360度、

私を映してくれている」

 

 

「映すって?」

 

 

「きっと、逆なのよ」

 

 

「左右が?」

 

 

「私たちって、

肉体があって、

たましいが生まれたって、

思ってない?」

 

 

彼女の声と、波の音とが、

溶け合います。

 

 

「たぶん、

たましいがあって、

肉体が生まれたのよ。

 

肉体って、

たましいを映しているのよ。

 

だから、立体の鏡なの」

 

 

僕らは、

潮風に当たっています。

 

 

「この海だって、空だって、

そうかもしれないでしょ?」

 

 

「そうかもしれない?」

 

 

「だって、

たましいって、

どんなだか、わからないんだもん」

 

 

「肉体は?」

 

 

「肉体も。

 

でも、肉体だけじゃない。

 

だって、

この世界に映っているのは、

肉体だけじゃないでしょ?」

 

 

実は、

僕は、

海に来るクルマの中で、

考えていたことがありました。

 

 

「お父さんとお母さんのところへ、

戻るか?」

 

 

「どうやって?」

 

 

「帰りに、

この鏡を届けようかと思うんだ」

 

 

彼女が、黙ります。

 

 

僕は、返事を待ちます。

 

 

僕だって、淋しいです。

 

 

「・・・私は、私に、帰ろうかしら」

 

 

「そっちこそ、どうやって?」

 

 

「この世界は、立体の鏡なのよ。

 

映っているものが、

私だったの。

 

海も、空も、ってこと」

 

 

「お空に帰るってことか?」

 

 

「空も、鏡なんだってば。

 

私は、

肉体だけじゃなかったってこと。

 

私を解放してあげることが、

私が、私に、帰るってことなの」

 

 

「私が、私に?」

 

 

「そこは、

あなたが帰る場所でもあるのよ?

 

私、待っているから。

 

待っているわよ?」

 

 

「どこで?」

 

 

ところが、

彼女の返事がありません。

 

 

鏡の向きを変えて、

見ると、

彼女が、いません。

 

 

鏡に、

呼びかけても、

ノックしても、

現れないんです。

 

 

僕は、

波打ち際で、

彼女のいなくなった鏡を

抱えて、

海と、空とを、

見上げたんです。

 

 

 

 

 

 

the end

 

 

 

夏が終わって、

ひとつの恋が終わりましたウインクラブラブ