空白の4世紀 | 天下泰平

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〜 滝沢泰平 公式ブログ 〜

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※ザ・フナイ4月号

 そろそろ丸善を中心とした一部の書店でも販売されていると思いますが、月刊「ザ・フナイ」の4月号にて寄稿をさせて頂いております。今回で6回目となります。

執筆中の本は「レインボーチルドレン」に関する内容であり、他の惑星系から初めて地球にやってきている宇宙人の霊魂を持つワンダラーのことや、彼らがいた他の惑星の文化や生活についてまでも書いていますが、今回のザ・フナイは、主に日本の歴史について書いてあり、その中でも「空白の4世紀」と呼ばれる期間の話について書いています。

これは、西暦266年~413年頃の時期のことで、この期間は中国の歴史文献において倭国(日本)に関する記述がなく、大和朝廷の成立過程などが把握できないため、日本において「空白の4世紀」と呼ばれています。

【一般的な日本の年表】
◆ 弥生時代(後期)
57 : 奴国王が中国(後漢)に使いを送り、中国の光武帝が金印を授ける。
107 : 倭の国から使者を後漢に送り、交わりを始める。
150 : このころ倭の国に大乱が起こる。
239 : 邪馬台国の卑弥呼が中国(魏)に使いを送る。邪馬台国は30余国を支配。
 
◆ 古墳時代
285 : 漢字が中国から伝わる。
350 : このころ、大和朝廷が国内をほぼ統一する。 大和朝廷は、大王(おおきみ)(のちの天皇)を中心とした豪族の連合政権。氏と姓にもとづく政治→氏姓制度。各地に古墳がつくられる(前方後円墳・円墳・方墳)。大阪府堺市の仁徳陵古墳(大山古墳)は日本最大。前方後円墳は日本独特の形。埴輪。
391 :大和朝廷の軍が朝鮮で高句麗と戦い、任那に日本府を設ける。
このころ、朝鮮からの渡来人が多く、百済から織物・彫刻・陶芸などの技術が伝わる。

表の歴史でいえば、いわゆる古墳時代の前半の時期が「空白の4世紀」であり、その前の弥生時代から古墳時代に切り替わった時期に関する日本の歴史が、今も詳細が不明となっているのです。

そのため、卑弥呼が治めていた邪馬台国から、日本初の統一王朝である「大和朝廷」ができあがった背景とは謎に包まれており、そのことによって、これにまつわる様々な歴史のストーリーが生まれていますが、今回のザ・フナイの記事では、現在自分が知っている限りの「ある1つのストーリー」を紹介しています。

そのストーリーの登場人物、というより登場国として以下の5つの国が出てきますが、その中でも「邪馬台国」「海人国」に関する話が物語の中心となっています。

①「邪馬台国」(やまたいこく:源流を中国系渡来人に置き「日向族」とも呼ばれる)
現在の北九州から熊本(阿蘇や高千穂地方)にかけて存在したとされる「州」で、「女王・卑弥呼」が住んでいたとされる「邪馬伊都国」や五島列島などを勢力下に置き、その「都」は北九州・福岡付近にあったとされるが、その「州」の主である「女王・卑弥呼」は「都」に置かず、人里離れた高千穂地方の山間に住まわせて、一般の人々とは隔離していたとされる。

※1.「邪馬台国」や「卑弥呼」などと言う呼び名は「魏志倭人伝」や「中国正史」などの中で、日本を“蔑む言い方”の1つとして作られた“当て字”であり、本来であれば「邪馬台国」は「大和大国」と書き、「卑弥呼」は「日巫女」と書くことが正しいともいわれている。

※2.「卑弥呼」とは「太陽神(天照大神)に仕える巫女」であることを示す言葉であり、後の「伊勢神宮」における「斎宮」へ繋がるので、単に「卑弥呼」と呼んだ場合には「官職名」を言っているのであって、一個人を指す固有名詞や名前などではない。


②「海人国」(あまのくに:源流を韓国系渡来人に置き「出雲族」とも呼ばれる)
山陰を拠点にしていたとされる「州」で、韓半島の南端に位置する地域(歴史上では「百済」と呼ばれている「国」)や対馬、壱岐島などの島々、また能登から上越付近までを勢力下に置いていたとされる「州」で、その「都」は出雲にあったとされる。

※1.対馬や壱岐島などは,本来その島1つが1つの「国」であり、その中でも対馬は“男性シャーマン”を、壱岐島は“女性シャーマン”を数多く輩出した島で、基本的に「卑弥呼」と呼ばれる“シャーマン”は、この“壱岐島”出身であり、その上で周り(“壱岐島”の“シャーマン”)に認められた女性の中でも、特にその能力が高いとして認められ、選ばれた“貴女”しかなることを許されなかったといわれている。その中で「卑弥呼」から「卑弥呼」へと継がれる“一子相伝”と呼ばれるような“継承”が為されていた。
そして、この両島共に「邪馬台国」や「出雲」とも縁(関係)が深いだけではなく、地域的には離れているが関東とも関係があったといわれ、特に“壱岐島”は「伊豆」との“縁”が深かったといわれている。

※2.「伊豆」(いづ)の語源は「出雲」(いづも)だと言われており、この「出雲」の“音読み”が変化した名称が「伊豆」であることから「伊豆」と「出雲」は同義語であるとされていて、その当時「伊豆」と言った場合には、往々にして「出雲」を指していることが多いといわれている。


③「倭国」(やまとのくに:源流を中東の「ハッタイト」に置き、「秦氏」と呼ばれる)
現在の和歌山付近を拠点にしていたとされる「州」で、近畿および中部地方(岡山県から和歌山県、三重県や愛知県などの範囲)にかけて勢力下に置き、その「都」は現在の「堺」付近にあったとされる。

※1.「ハッタイト」は、中東地域(エジプトやトルコなど)においてピラミッドの建設や今の技術を持ってしても建築が不可能だとされる神殿などを造ったと言われている民族で、ユダヤ12支族(北イスラエル王国10部族と南ユダ王国2部族)の1つを構成する部族であるともいわれており、“頭脳集団”や“技術集団”としての流れを色濃く残す民族であるとされている。

④「日本国」(ひのもとのくに:源流を韓国系渡来人に置き「日本族」と呼ばれる)
群馬西部から埼玉北部を拠点の中心に置く「州」で、関東一円から信州・甲州の地域を勢力下に置き、その「都」は現在の群馬県の「甘楽・富岡」付近にあったとされる。

※1.この「日本族」を同じ祖先を持つと思われる「出雲族」とを区分するため、一般的には「出雲族」の源流を“韓国系渡来人”と表現し、それと区分する意味で「日本族」の源流は“古代・高句麗人”であると表現する場合もある。何れにしても、日本に渡来し、土着した年代が「出雲族」よりも古いとされるため、一説には「秦氏」の流れを汲む民族の可能性もあると言われている。

⑤「蝦夷国」(えみしのくに:源流を「秦氏」に置き「蛮族」と呼ばれることも多い)
宮城付近を拠点に置く「州」で、現在の東北地方全域を勢力下に置き、その「都」は「塩竃」付近にあったとされる。

※1.この一族は「倭国」と同じく「秦氏」の流れを汲むとされるが、源流は「ハッタイト」ではなく、同じユダヤ12支族の1つを構成するのといわれている「ヒッタイト」であり、その基本は「ハッタイト」が“頭脳集団”としての要素を持つのに対し、「ヒッタイト」は“戦闘集団”としての色が濃く、イスラエルや白系ロシアの流れも汲んでいるため、全く別の民族だとも言える。同時に古来の「日本人」と分ける意味で「蛮族」と呼ばれたとされる。

※2.「蝦夷国」と表現した場合に、一般的には純日本民族である「アイヌ」を連想されやすいが、実際は全く別の民族であり存在でもある。

なぜ、突然このような話題を出したかといえば、これが実は伊勢神宮とも繋がっており、そして今年にある式年遷宮とも関連しているのです。

「伊勢神宮には、本当に神様(天照大神)がいるのか?」と思った方もいるかもしれませんが、その疑問に多少なりとも答えとなる内容が書かれていると思います。

そして、これが「なぜ明治天皇になるまで、誰一人とも1,000年以上も天皇は伊勢神宮に参拝をしなかったのか?」という疑問の答えにも繋がっています。いよいよ天皇家のタブーにも触れてきてしまうのです。

「歴史は勝者によって作られる」という言葉があるように、今教えられているほとんどの歴史というのは、時の権力者によって都合良く作り替えられている可能性があります。

それは「日本」という国のスタートから、すでに始まっています。

そして、今回の「大和朝廷」の話は日本の真実の歴史の途中部分から切り抜いただけであり、主に渡来人による日本統一の話になっています。その前には富士王朝の話もあれば、あとにはヤマトタケルの話から、さらにディープな世界へと入り、闇の八咫烏サンガを含めた現在までの天皇家の裏抗争の話にまで発展していきます。

この辺の話題がすべて公開されると、日本が本当のユダヤであり、そしてフリーメーソンなどの真実もよく分かってくると思いますが、あくまでも可能性のある1つのストーリーなので、話半分の物語としてご認識頂けたらと思います。過去は過去ですしね。

ということで、まずは序章にはなりますが、ご興味のある方は「ザ・フナイ4月号」をご一読下さいませ。