※まるで世紀末の様相の東京
昨日は、朝から晩まで丸一日都心をうろついていましたが、それにしても多くのニュースなどで報道されているように、昨日の東京は本当に異常とも思えるような光景でした。
まるで北京のように大気が白く灰色のようにくすんでおり、この様子を見ると、想像したくなくとも「富士山が噴火して火山灰が空を覆ったらこんな感じになるのかな…」とか、様々な東京の未来の姿を思い浮かべました。
気象庁は「強風が吹いてほこりが巻き上がった煙霧(えんむ)で、黄砂ではない」と発表していますが、結局のところ煙霧だろうが黄砂だろうがPMなんちゃらだろうが、日本はそれ以前に放射能汚染という大きな問題を抱えている状態であり、目に見えている脅威よりも目に見えない脅威、外国の脅威よりも自国の脅威の方にもっと意識を傾けないといけないように思えます。
また脅威だけでなく、目に見えない世界にこそ真実があり、そういった意味では、これから先はあの世や霊魂を含めた目に見えない世界のことを人間がどのように捉えていくかが求められているような時期にも差し掛かっていると思えます。フリーエネルギーの原理を理解するには、この目に見えない世界の構造がわからないと全容を理解することはできませんし…。
※2011年3月11日の震災発生中の渋谷の光景
それはさておき、本日は3月11日であり、東日本大震災から丸々2年が経過しました。
昨日も、たまたま2歳3ヶ月になる息子と一緒に都心にいましたが、2年前のこの日も3ヶ月になったばかりの息子をベビーカーに乗せて渋谷にいたことを思い出しました。
2011年3月11日14時46分、そこで東日本大震災が発生。渋谷辺りも震度5強の強い揺れであり、高層ビルが豆腐のようにプルプル崩れ落ちそうになるのを下から見ており、そして次々に道路へと人々が飛び出してきて、あたりは悲鳴や叫び声が飛び交って一時パニック状態となっていました。
この時には、これから先に大難が発生することや首都直下型地震が近い将来に起こることも予想はしていたのですが、まさかこんな早いタイミングで起こるとは思わなかったので、様々な憶測が頭の中で飛び交いました。
「首都直下型?遠く外国の地震?まさか富士山??」などなど、色々考えながらすぐに震源地を確認すると宮城県で震度7という数字が出て来てゾッとしました。うちは秋田県を本籍とした東北家系であり、宮城県にも親戚はいて、何より自分自身の生まれは仙台であったからです。結局、東日本大震災の死亡者の6割は宮城県の方々だったようですね。
だから、あらゆる面において、この311は自分にとっては特別であり、大きなターニングポイントとなった出来事でした。
これが被災地がまた別のエリアだったら、今とは少し違った想いだったでしょうし、この日も東京ではなく遠く離れた別のエリアで震災を体験しても今程印象には残らなかったでしょうし、何より生まれて間もない子供と一緒に東京のど真ん中で被災して帰宅難民になるというのは、まるですべて仕組まれた計画のようであり、これがなければ今の自分はなかったといえるかもしれません。
正直自分一人であったなら、どこで何が起こっても「大丈夫」という認識がありますし、それでも万が一災害に巻き込まれて死んでしまったとしても「まぁ、仕方ない」で済ませることはできますが、さすがに小さな子供を抱えている状態だと、そう簡単にはいかなくなります。いつも以上に神経を張りつめて、様々な判断が瞬時に求められます。
この家族を巻き込んでのサバイバル体験というのは、今後にとっても非常に意味のあることでしたし、特に移住を決断する最初のきっかけとなったと思います。
「都市は危険だ」という情報が、頭でなく体に刻み込まれたからです。
だから、この後すぐに「原発がメルトダウンしました」という情報が入って山梨へと移住することになりましたが、これが原発だけだったら家族はまだしも、自分までもが山梨に行くかどうかは、わからなかったと思います。
なぜなら、実はこの頃には東京で新しい事業を始めることが決まっており、もう数日したら具体的に東京に通勤しながら新しい仕事を始めることになっていたからです。それらを投げ出して東京には戻らないし行かないという決断は、そう簡単にはできなかったものです。
しかし、311が発生した真夜中、帰宅難民となって子供を抱きかかえている最中にインスピレーションが入ってきて、そこで伝えられたことは、この決まった事業も手放し、そして関連していた組織や人々とも縁を切ることでした。
その時は、よくわかりませんでしたが、結局は原発事故が追い打ちをかけて内なる声に従わざるをえない状況となり、何もかも投げ出して3月15日の朝には山梨へと避難、そしてそのまま移住となりました。
もちろん、直接東北で被災された方に比べたら、311が人生に与えたショックというのは比較にならないかもしれませんが、少なくとも自身の人生においては、あの日がきっかけで、あらゆることの方向性が変わった日でした。
だから今日だけに限らず、日々犠牲者のご冥福をお祈りしたいと思いますし、そしてこの犠牲を無駄にせずに、新しい日本をつくりあげていきたいと今も変わらず強く思っています。
※河口湖の水位が 3/1~3/4にかけて約6mも急降下
※遊覧船が接岸する際の緩衝材になるタイヤが露出した河口湖岸=富士河口湖町船津
さて、話は変わりますが、何だか最近ここ河口湖がやたらと騒ぎになっています。ご存知の方も多いかもしれませんが、それは「河口湖の水位が低下している」という噂です。というより、噂ではなく国が公表しているデータで実際に低下しているようですし、さらに地元の新聞でも取りあげられているようですから、これは事実のようです。いちいち見るのも面倒なので、特に確認をしに行ってませんが、たぶん実際に水位は下がっているのでしょう。
もっとも自治体や新聞の発表では、昨年夏以降の少雨の影響で水位が低下していると伝えていますが、当然ながらネット世界では誰もそんなことを信用しておらず、やはり話題となっているのは「富士山噴火の予兆か?」という話です。
これについては、特に否定はしませんが「なぜ河口湖だけが?」ということに関しては、よくわかりません。ただ、富士五湖の中でも本栖湖と精進湖と西湖の3つの湖は、地下でそれぞれが繋がっていると言われており、河口湖と山中湖は単独であることからすると、今のところ他の湖には影響は出ていないようです。
これが他の湖、そして特に富士山を守るリーダーの山中湖に異変が出て来ると、いよいよ富士山の噴火も差し迫っていることになるので注意が必要となります。
富士山の噴火には色々なパターンがありますが、一番最悪の状況としては、富士五湖の封印が解かれて湖が消えてしまう時です。
富士山が乗っている活断層は御殿場から本栖湖に向かって傾斜しているのですが、それによって富士山が地下のマグマ地帯へと滑り落ちないように富士五湖が富士山を支えています。
今後、世界の大陸プレートの動きが活発化すると、富士山直下型の断層の亀裂が始まり、その地殻変動の流れによって富士五湖がすべて繋がることがあります。
その繋がった富士五湖の中にマグマが侵入して来ると激しい水蒸気爆発が起こって更に亀裂が広がって行き、最終的には富士五湖の水が逆にマグマの中へと落ちていくようなことが起こります。
すると富士五湖の水は消え、それと同時に富士山を支えるものがなくなり、富士山も必然的にマグマの中へと沈んでいき、その結果富士山の縁に沿って北回りで東から西へU字形に富士五湖を吹き飛ばすほどの大爆発が起こり、過去の富士山の噴火とは次元の違う超巨大な火山噴火を引き起こします。
その巨大噴火が発生すると、今度は反対に富士山の麓の下でぶつかり合っている4つの大陸プレートを刺激することになり、各プレートの動きがバラバラとなって、最終的には日本列島の分断へと繋がってしまうのです。
世界中のプレートがバラバラになってくると、これは何も日本列島だけの話ではなく、これと同じ噴火現象が世界中の国々の火山地帯で相次いて発生し、やがて世界中で噴出した塵が地球全体を覆ってしまうことで、地球は一気に氷河期へと突入してしまうのです。その先に待つのは、大幅な人口の減少となります。
だから、冒頭に紹介した昨日の東京の光景というのは、なんとも不気味な状態だとお伝えしたのです。
いずれにしても、こういった流れを変えるのも、これから先の人間の進む方向性次第であり、日本人の目覚めにかかってきます。
大災害からの復興、放射能被害からの復活というのは、ピンチでありながら最大のチャンスであります。自然は汚れると勝手に自浄作用が発生して調和しようと働くように、人間も問題を与えられると、それを解決しようと必死になります。
すると今までの常識では考えられなかった価値観や技術が表に出て来ることにもなり、そして、最初は復興や除染目的だったそれらも、実はあらゆることに応用できることがわかり、この1つの問題解決をきっかけに、今まで解決できなかった様々な環境問題や健康問題、そして社会や経済構造までもが一変させるようなことにまで繋がることもあります。それこそフリーエネルギーなどが出たら、1つの問題が終わるどころか旧時代そのものが良くも悪くも終わってしまうのです。
とはいえ、旧時代の流れに急ブレーキをかけてしまうと、色々と問題が発生してしまうので、これからはゆっくりとアクセルを離していきながら、一方でゆっくりと新時代のアクセルを強めていき、どこかで切り替える必要があります。
ターニングポイントから丸々2年、この動きをこれから強めていきますので、詳細はまたどこかでお伝えしていきます。