朝、食事をしながらふと見上げたら、時計が止まっていた。気づかなかったよ。
部屋にかかっている時計は俺が子どものころから時を刻んでいる柱時計。大きなゼンマイが二つ付いていて、約30日に一度巻き直してやらねばならない。巻き直す時期は文字盤に開いている小さい窓が赤くなることで知れるのだが、この頃は文字盤を見上げる余裕もなかった。
そういえば時報の鐘しか聞いていなかった。
この時計は標準より少し早目に鳴るようになっていて、鐘を聞くと「お、もうすぐ3時だ」と知れた。
見渡せば俺たちの周りではいろいろなものが正しい時間を教えてくれる。
朝は携帯電話のアラームで目を覚まし、ブルーレイは自動的に朝ドラを録画し、ラジオは「まもなく8時です」と知らせる。
柱時計の時間は正確ではないし、人が関わってやらなければ止まってしまう。まあ、携帯もラジオも根本では同じと思うが、人が関わらなければならない「時間」のほうが本来の時間のようにも感じるのだ。
そもそも腕時計というものは戦争で兵隊が一斉同時に出撃するために発明されたと聞く。ならば共通語とか標準語とも呼ばれる言葉もそう。上官の命令がただしく兵隊に伝わるためのもの。時間も言葉も、本来は一人一人に別々にあったものではないか。
世界の難民が5000万人を超え、これは第2次世界大戦以来の多さだそうだ。もしかしたら第3次世界大戦がすでに始まっているのかもしれない。まるで初めて会ったかような見知らぬ顔をして、いつの間にか目の前に立っている。
そんなことをぼんやりと考えながらゼンマイを巻いて、針を標準よりすこし早めに合わせたら、それまでの溜めこんだ時間を吐き出すように、「ボンボンボンボン…」と鐘が鳴り続けた。