エルサレム3,000年の歴史・前編 | 真世界より

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今年もあと残すところ2か月切って、年越しの計画を練っている今日この頃です。



実は昨年は一時帰国中に年末を迎えたため、海外での年越しは初めてです。



カウントダウンパーティに行くか、宿でまったり過ごすかで意見が割れています。笑



ブログはイスラエル編です。




【2014年10月7日~8日】


さて、今日はイスラエルの歴史について書きたいと思います。



中々まとめるのが大変でまとまらなかったらごめんなさい・・・笑(>_<)



イスラエル人が多く住む新市街と、パレスチナ人が多く住む街の街並みを以前紹介しました。



今日はイスラエルで最も重要な場所で世界遺産にもなっている「エルサレムの旧市街」を紹介したいと思います。





エルサレム旧市街は高い塀によって囲まれています。



旧市街の西側に多くユダヤ人が住んでいて、そこを通称「西エルサレム」といいます。



そしてオリーブ山や旧市街の北東部分でムスリムであるアラブ人が多く住んでいる地区を「東エルサレム」といいます。



旧市街はその真ん中に位置していて、宗教上の重要な意味を持っている場所です。




ところで、私たちはこのイスラエルに入国するまで、この国のことをほとんど知りませんでした((+_+))



ニュースで目にするガザ地区の問題を少し知っている程度です。



なので今回この国を訪問するにあたってたくさん勉強しました。



もう疑問だらけでした(>_<)



・なぜエルサレムは聖地なのか?


・どうして3つの宗教が混在しているのか?


・そもそもイスラエルっていつ出来たのか?


・ユダヤ人て何者?


・ユダヤ教はいつからあるのか?


・なぜユダヤ人は世界中で迫害され続けてきたのか?


・パレスチナとイスラエルはなぜ対立しているのか?


・なぜイスラエルの方が立場が強いのか?


・なぜガザ地区を攻撃するのか?


・そもそもパレスチナ問題はいつからあるのか?





知っている方も多いと思いますが、一応「パレスチナ問題」の説明しますね。



すでに知っている方はスルーしてください^^



これは、簡単にいうとイスラエル人(ユダヤ人)とパレスチナ人(アラブ人)との間の「領土争い」です。



日本でも韓国やロシア等の近隣諸国と揉めているのと同じようなことですが、違うのがこのパレスチナの土地は3,000年も前から争いの舞台だったこと。



歴史の話になりますが・・・



今から約3,000年前の紀元前13世紀にエジプトで迫害を受けていたユダヤ人をこのイスラエルに脱出させたことが始まり。



その人物が有名な「モーセ」



その後成立する「ユダヤ教」の予言者となる人物です。



紀元前11世紀ごろにはイスラエルを建国し、首都をエルサレムとします。



もうこのころからイスラエルって名前があったことに驚きましたΣ(゚Д゚)



その後ダビデ王の息子、ソロモン王の時に「エルサレム宮殿」を建設。



しかしこの土地はアジア、ヨーロッパ、アフリカ等の様々な国を結ぶ重要な交差点であり、この地を巡っていろんな国が攻めてきます。



過去14回に渡って支配者が変わったみたいですが、その中でローマ帝国が攻めてきた66年~74年にエルサレム宮殿が破壊されてしまったという。



実はこの時にユダヤ名である「エルサレム」を廃止し、「パレスチナ」という名前を付けたんだとか。



この名前も古くから呼ばれていたんです( ゚Д゚)



結局ユダヤ人は戦いに負け、世界各地に散り散りになっていってしまいます。



この後、パレスチナを巡ってキリスト教徒が十字軍を派遣したり、イスラム教徒が奪い返したりと争いの舞台となります。



そして安定するのが16世紀から20世紀まで4世紀に渡ってイスラム教の「オスマン帝国」がこの地を支配するようになってから。



この時にイスラム教を崇拝するパレスチナ人(アラブ人)が入ってきたんです。



一方世界各地に散り散りになっていたユダヤ人はまた迫害を受けます。



ユダヤ人って勤勉で商才もあるため富を築く人が多く、他の民族がこれを妬んだそうなんです。



さらにイエス・キリストを鞭打ちの刑にして十字架に張り付けたのもユダヤ人であることから、世界各地のキリスト教徒からも迫害を受けるように・・・。



なので迫害を逃れたユダヤ人が少しづつパレスチナへ戻ってき始めます。



しかし、ある事件が起きるまではユダヤ人もアラブ人も穏やかに暮らしていたそう。



そしてそのある事件というのが第一次世界大戦」



オスマン帝国とドイツ 対 イギリスとフランス



ここでイギリスが使った戦法が有名な2枚舌戦法!



オスマン帝国の支配下にあったユダヤ人とアラブ人両方に自分たちだけの国の建国をそれぞれに約束して、戦争に参加するよう持ち掛けます。



結果イギリス連合国の勝利



当然イギリスから約束されていたユダヤ人とアラブ人は争いになります。



さらにドイツではナチス・ヒトラーが行ったホロコーストで600万人とも言われるユダヤ人が殺害されたことから、さらに難民となったユダヤ人がパレスチナへ戻ってきます。


「なぜこんなに自分たちは迫害されなければならないのか?」


「そうか。自分たちの国がないからこんな目に合うんだ」


と考えさらにユダヤ人のイスラエル建国意識は高まっていきます。



ついに手に負えなくなったイギリスは国連に判断をゆだねることに!



国連での判断は現在のイスラエルの45%をアラブ人に55%をユダヤ人に分け、エルサレムは国連の管轄にという分割案。



でも当時はアラブ人の方が人口が多く、アラブ人からすると自分たちが何百年も住んでいる土地に勝手にユダヤ人がやってきて、彼らの方が土地を多くもらうというのは納得がいかないということで反発する。



当然分割案には合意せず、イスラエル建国宣言の翌日から中東戦争へと突入していきます。



周りのアラブ諸国もこれに反発し、攻撃をしかけます。



エジプトは現在の「ガザ地区」を、ヨルダンは現在の「ヨルダン川西岸地区」を攻め込みます。


そしてこれが現在のパレスチナ自治区となっています。





(ネット参照)




ここで重要なのが、世界各地に渡っていたユダヤ人ですが、アメリカで大成功を収めていたこと。



のちのアメリカ経済で強い影響力を発揮するまでに!



これにより現在でもアメリカとイスラエルは仲良しこよしなんです。



なのでアメリカは決してイスラエルを非難しない。



さらにイスラエルはこのパレスチナ自治区すらもパレスチナ人から奪うべく、自治区内に入植地としてユダヤ人を住まわせ始めています。



しかも入植したものには優遇制度が受けられたり、パレスチナ自治区内でイスラエル兵に守ってもらえるという法律まであるそう。



これにもパレスチナ人が抗議しているというわけですね!



なんか抗議は当然と言えば当然のような気がしますが。。。。



だって小笠原諸島の周辺の日本の領海内に中国密漁船が入ってきたら抗議しますよね!



今まで3,000年も前から迫害を受けてきたユダヤ人たちが今度はパレスチナ人を迫害しているようにしか見えないです。



迫害される痛みはわかっているはずなのに・・・。



そして・・・



なぜ迫害されたユダヤ人はこのパレスチナに戻ってきたのか。



実はユダヤ教徒はこのパレスチナの土地を「神からもらった土地」だと思っているんです。



そして自分たちは「神に選ばれた民」だとも。



むちゃくちゃな話だなと思いますが、当人たちはいたって真面目です。



これがやはり争いの一員ともなっていることは否めないですね。



その争いが現在まで続けられているそう。



そして、



「おい、イギリスΣ(゚Д゚)!!」



って感じですね笑。



パレスチナ問題は単なる領土争いだけでなく、宗教的な問題もあり、かなり複雑です・・・。





そんなこんなで長くなりましたが、「エルサレムの旧市街」に入ってみます。


オリーブ山から旧市街に入って最初に目に飛び込んでくるのが、ユダヤ教の聖地、通称「嘆きの壁」です。



嘆きの壁というのは、ローマ帝国に破壊されたエルサレム宮殿の一部の壁が残ったものです。



ここにはたくさんのユダヤ人で毎日溢れかえっています。



写真の奥に見えるのがその一部の壁。



約3,000年も前のものとは思えないですね!



何度か改修されたりしているみたいですが。



ユダヤ人たちは本当にこの壁に嘆いているようにお祈りしていました。



ちなみに彼らはいまもエルサレム宮殿の再建を願っています。



お祈りをできる場所は男女分かれています。



左が男性用で右が女性用



女性の方も相当熱心にお祈りしています。




これは男性側の方だけにあるスペースです。



嘆きの壁のそばで輪になって歌を歌っていました。



ユダヤ人の中でも特にユダヤ教の信仰が深いのが「正統派」と呼ばれる黒い服を着た人たち。



髪が特徴的です。



なぜかもみあげを伸ばしてカールしています。



彼らはもみあげは一生切らないそうです。



オシャレ・・・?ではないですね。笑



ちなみにお土産のピカチュウTシャツもユダヤ人風に!Σ(゚Д゚)



この嘆きの壁には兵役中でも来れるのか、たくさんのイスラエル軍の若者たちも来ていました。



集合写真を撮っていたので、これから行くのか?または兵役を終えた集まりかもしれません。



本人たちは楽しそうなんだけど、みんな大きな銃を持っていてこちらから見ると笑えません。



銃を片手にセルフィー( ゚Д゚)



イスラエルでは国民皆兵役制度があり、高校を卒業し、18歳になると男性は3年、女性は2年兵役に行かなくてはいけない。



なので、大学進学は男性の場合21歳以降となるんだとか。



大学院まで行くとかなり就職が遅くなりそうですね。


女性側の嘆きの壁です。



ホント、一見どこにでもいるような普通の女の子も泣きながら嘆いているのが僕らからすると不思議です。



横になって祈っている人も。



嘆きの壁では願いを書いた紙を壁に挟むのが習わし。


旅の安全を願って私も入れてみる。


夜になっても全然人がはけない。



むしろ夜の方が多いのかな?



嘆きの壁から旧市街を歩いてみるとかなり複雑に入り組んでいます。



お土産屋さんが大半を占めていて、他の国の観光名所とそんなに変わらない気がします。






人通りを離れると石畳の道が続く、雰囲気のいい道に出ます。


ユダヤ教徒以外にもキリスト教徒やイスラム教徒の信者も見受けられます。



旧市街の中には野菜などの庶民向けのものを売る市場もあります。



色んな風景が見れて楽しいですね!



旧市街の入口で有名な「ダマスカス門」



オスマン帝国が作ったものです。



イスラム教のこととキリスト教のことまで書くと長くなりそうなので、次回にします。



まだまだ続くエルサレムの歴史・・・。





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