文化住宅 -3ページ目

わたくしの快感


私の快感をおすそわけする。

お金はかからない。道具も才能もいらない。
視力は必要だ。
目が悪くても差し支えはない。
少し悪いくらいのほうがいいくらい。

何かに没頭している時ではいけない。
ぼーっとしている時でないといけない。

ただ(現代でいう)重要なことは忘れて、
何も考えないからっぽ。

そして目のアングルを固定する。

見える景色、お部屋・建物・人の群れ・木々・街並み・
その他細々としたものも全て、

その形状と輪郭に集中するだけ。

それだけ。

撫でるように、愛でるように。

それだけ。




そうしたときに どうなるかを語るには
私の言葉では足らず、発した言葉は嘲笑の渦に消えるだろう。

だって、気持ちいいんだもの。
それでいいじゃない。

最終回 「ぬ」について考えてみた


さて、前回まで「ぬ」について第一回で彼の外見について、
第二回にてその音で表現される世界について考察してきた。
最後にまとめとして「ぬ」の未来について希望を込めた予想をしようと思う。

考えらうる未来を3パターンに分けます。


【1】喘ぎ言葉になる

 実は最も想像しやすい未来はこれである。
 柔和だがミステリアスな外見と、
 妖艶な世界を生み出す音を持つ「ぬ」。
 人々が欲望のままに本能を開放する時に使う文字としては
 最適なのではなかろうか。
 これまで人類が発してきた喘ぎ言葉であるが、
 「あぁぁ」や「はあん」「んー」等の単純な音から、
 「いやん」や「おーいえす」等、意味を持っていたが形骸化された言葉まで
 様々生み出されてきた。
 
 そこで2010年、私がこれより推薦する喘ぎ言葉は
 「ぬぅぁぁぁん」である。
 内側よりこみ上げる衝動が口より漏れるその瞬間、
 舌根が口の天井に柔らかくぶつかり、そのまま空気が口外へと押し出される。
 そこで発される「ぬぅぁぁぁん」。
 かわいい系のキャラ作りをしている場合は「ぬんっ」が適しているだろう。
 ツンデレでは「ぬぅ」から「ぬぅぁぁぁん」への変化を上手く演じると効果的かもしれない。
 
 次世代喘ぎ言葉の推進旗手として、皆々名乗りを上げてはいかがであろうか??


【2】擬人化され ゆるキャラとなる

 正直いって、私の好むパターンではないのだけれど、
 この時代、猫も杓子もゆるキャラ化や擬人化である。
 ひこニャンに興味はないが、ヘタリアは好きなので、
 あえて取り上げてみよう。
 (あ、でも遷都くんは好きだ。だがあいつはゆるくない)

 ぬを擬人化するとしたらどうだろう。
 おそらく色白の滑らかな肌を持ち、似合う色はグレイがかった紫だ。
 オーガンジーとサテンの組み合わさった衣服がふさわしい。
 きらびやかだが、シンプルなラインの、美しいドレス。
 ドレスをめくれば、均整はとれているが、すこしふくよかな体のラインが見える。
  
 しかし、近づけども近づけども顔は見えない。
 鼻筋が通っていること、ふっくらした唇であることは確認できるが、
 もやがかかって まるで御簾の中の平安美人である。

 おや、これがゆるキャラになるとしたらどうだろう。
 「ぬ」の高尚さを俗物化するのは躊躇われるが、
 大衆に「ぬ」の魅了を知らしめるには、
 多少の分かり易さを演出しなければならない。
 
 となると、
 「ぬ」の仮面をつけるのが一案である。
 ゆるキャラだけに体は2等身が妥当であろう。
 そこにドレスを纏わせ、デフォルメする。
 ・・・「ぬ」をこんな姿にして世間に晒すのは口惜しい。
 しかし、「ぬ」の未来として、選択肢としてはあげておこう。

 
【3】世界中の表現者の共通のモチーフとなる

 前々回の「ぬ」外見考察で述べたとおり、
 「ぬ」には直線がなく、また、バランスをとるための指針となる線がありません。
 絶妙な不安定さが刺激的な文字です。
 また、前回の「ぬ」音考察では、「ぬ」より始まる言葉は
 それほど多くはないものの「ヌード」や「塗る」「拭う」「ぬくぬく」等
 「ぬ」の魅力を語る言葉がたくさんあることもお伝えしています。
 
 たった一音がここまでめくるめく世界を持つことは珍しいのではないでしょうか。
 一音がトンパ文字並みの情報量を持っていますが、
 トンパ文字のように、1つの情報しか表さないわけではない。
 ややこしくなりましたが、
 「ぬ」は小さな体にたくさんの世界を内包しているのです。
 
 そんな魅惑的な「ぬ」。
 小さな日本世界だけで使っているのはもったいない。
 
 目をつけた世界中の表現者達が、
 「ぬ」をアートへと持ち込みます。

 日本の書道家が筆を持ち、画家達は競って「ぬ」を主題にする。
 大陸へ渡り、中国では雑技団が「ぬ」の人文字を表現、
 ジャワ島ではバティックの図柄となる。
 インドではヨガ「ぬ」ポーズが取り入れられ、
 トルコではベリーダンスの掛け声となる。
 パリではモードの世界で「ぬ」が大流行
 キューバへ渡って、レゲエのメインフレーズに使われる。
 
 そうしてヒッピー達はこう唄う!
 love and peace and ぬ!!!




さて、3つの予想未来を挙げてみましたが、
「ぬ」の可能性は宇宙のように膨らみ、海のように深い。
この細腕では抱え切れません。

「ぬ」の未来をつむぎだすのは、そう、画面の前のあなた方なのです。
坂道で風を感じながら「ぬ」を想い、夕焼けを寂しげに見つめながら「ぬ」を感じる。
連綿と続く「ぬ」のストーリーを止める権利は私たちにはありません。

感じ、想い、表現する。

「ぬ」の大いなる力の前で、私たちにできるのはそれぐらい。
さあ!新しい世界へ!!!


「ぬ」について考えてみた vol2


さて、先日はわたくし僭越ながら
「ぬ」のお美しい姿について考察させていただきました。
本日はその音そのものに迫ってみたいと意気込んでおります。

広辞苑によると

①舌尖を前硬口蓋に触れて発する鼻子音〔n〕と母音〔u〕との
結合した音節。〔nu〕
②平仮名「ぬ」は「奴」の草体。片仮名「ヌ」は「奴」の旁(ツクリ)。

ぬ。

喉の奥から、這い出るように出る音。

ぬ。

ここから勝手な想像をお許しいただけるなら

その印象を図形で表すならば、
楕円だと思う。
丸みはあるのだが、それだけでは終われない形。

この音が何を表すか?

今度は新解さんの手を借りて、例を上げていく。

新明解辞典さんには、「ぬ」から始まる言葉はあまり納められていない。
P1074~1078まで〔注:第五版〕
たった5ページしか記されていない。
もちろん、言葉の中に「ぬ」を持つものならたくさんあるのだろうが
それは、また別の機会に。

「ぬ」から始まる魅惑の言葉を考察してまいりましょう。

まず、助動詞の「ぬ」

ぬ〔一〕(助動・特殊型)動作・状態などを否定することを表す。

凛々しいの一言!
ルパン三世に出てくる五右衛門によりスパッと切られたよう。
「できません」「できない」と言ったときと比べて、
「できぬ」と答えた時は、発言者の周りに風が巻き起こるのが見えるよう。
明確な意思を感じる。

次は、当然避けることはできない言葉。
ヌード〔一〕(nude)鑑賞の対象としての、はだか姿。
また、その絵画・彫刻・写真。〔狭義では、女性のそれを指す〕

当然と言ってしまったが、
日本語以外の言語で、性的な臭いを漂わす言葉が
「ぬ」で始まるとは、正直神さまは私に味方し過ぎてはいないかと
心配になったほどである。

「ぬ」。
つるんと滑り落ちるような音階を持つこの言葉が、
裸を意味するようになるとは、不安になるほど正確だ。
言葉と音の関係は常に奇跡を生み出している。

他にも、「抜く」「拭う」「ぬくぬく」「盗む」「塗る」等
なかなか刺激的な言葉が並んでいます。

ここで「抜く」を取り上げるには、私はあまりに清純すぎ、
他人の尻拭いをするほど、大きな器も持っていない為
「拭う」も難しい。

「ぬくぬく」はどうだろう。

ぬくぬく〔一〕(副)①ほどよく暖かくて、眠気でも催して
しまいそうなことを表す。
②これという苦労も無く、至ってのんきそうに見えることを表す。
(非難の気持を込めて言うことが多い)

気持ちよさそうな外見と響きの言葉である。
猫とかムートンシーツとかたんぽぽの綿毛、
そういった空気を含んだ毛を連想させる字列。

今まであまり触れて来なかったが、
「ぬ」には若干の抜け目がある。
間抜けとは言わない。だが穴はある。
完全無欠ではない。そこが魅力ではあるのだが。
ガスが抜けるような、穴。
勉強ばかりの優等生に見えて、
ごくたまにコタツの中でひたすらにニコ動見て徹夜することが、、、
そんな感じの穴があるのである。
だから、②の意味も全くもって理解できる。
「ぬ」だってたまには気を抜くのだ。

さて、連載二度目となる今回は
「ぬ」の音について取り上げた。
強い意志も感じさせながら、色気も醸しだし、
柔らかい語感とともに、逃げも用意している。

「ぬ」の人間味ある美しさが伝わったであろうか?

次回、最終回である。
まとめとして、「ぬ」の未来について語ってみたい。

あ、もちきさんがひゃらーんってしてる。

諸事情ありまして、年甲斐もなく、
こんなフリルのスカート作っっちゃったー。

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中にね、チュール仕込んだし。チュール!!!

もう鼻血出るわ。チュールっすよ。ヒヒ。

ひゃらああああん!ってなるのよ。

着るとこないな。

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生地を頂いた、あのお方に向かって一礼。
ありがとうございます。
生地、生きています。



今宵は、何だか、手からいろいろ生まれるわ。

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墨と筆ペン、愉しいよ。


ほんまに社会人なんかいme。
ええことやけどね。
今日家着いたのが20:00、買い物と洗濯して21:00、
東大の授業公開サービス利用しながらスカート完成させて落書きして、コレ書く。

できる。
この調子なら、もっと生産的なことし続けられる。はず。

時間ってうまく使えば結構いろんなことできるのに、
何で時々それを忘れちゃうんだろう。

小説に犯された頭の仕業。

うねるようにうなるように読書した。
村上春樹である。

読書感想文は昔から苦手である。
書かれていることも、読んでいる最中に感じたことも、
どうしたわけか、あまり覚えていられない。
感覚としては残る。
何かに変換されて残っているはずである。
しかしこの頭は恥ずかしいことに、それを人に伝えるだけの忍耐力も持久力も持っていない。

悔しいので、感覚のことをメモ程度に書いておく。
内容のことは、私がわざわざ書かなくてもいいだろう。

本は実は、会社の上司から借りた。
彼の上司はクレジットカードのポイントでそれを購入した。
それはどうでもいいことだが、
小説を書いたあとは、どうもより細かなディテールを記したくなるらしい。
小説との違いは、著者にとって必然かそれとも自己満足かってだけで。

まず、朝の電車で数頁と向き合った。
物語の入り口に立つのは少々勇気がいるが、入ってしまえばあとは勝手に
道が歩くようなもの。

その中に入ると、眼鏡をかけられる。
思考にアイボリーに近い色のフィルターがかかる。
会社での朝の掃除が、いつもと違ったものに思える程度に。
現実と小説世界の間にもやがかかって、
自分以外の全ての動きが鈍化したようになる。

さすがに朝の15分の電車読書では、効果の持続はトイレ掃除どまり。
あとは日常にするりと戻る。

帰り道。
早めに仕事を切り上げ、河原町にていくつかの雑貨屋をチェックする。
仕事のつもりで行ったのに、
弱い心は、洋服屋へと視線を向ける。

20:00 マクドナルドに入り、軽食を流し込む。
珈琲をちびりと飲みながら、
本を開く。

うねるように物語が進む。
こちらの体内もうなっているように感じる。
脳か心か体だか、
うねるように文章を追う。

物語の伏線が回収される度に、
一度立ち止まる。
残り少ないジュースを勿体ぶるように
一度立ち止まる。

月曜日の店内は、いつの間にやら人がまばらになり、
ファーストフード特有の喧噪ほとんど聞こえない。
木目を基調にした内装と小さく流れるジャズだけで判断すれば、
繁華街のマクドナルドとは思えない。

さらに、誰が鍵を外したのか窓がすこしだけ開いている。
夜風がするりと忍び込んで心地よい気温。
目の前にある醜い食べ跡を無視できさえすれば、
ここがマクドナルドとは思えない。

長い物語を読む途中では
しばしば水を飲むタイミングを忘れる。

乾いた喉に不快を覚えながらも、物語にしがみつく状態を、私は嫌っては
いない。

12:00 読了する。
また、世界の動きが鈍化する。
人気の無くなった店内と、吹き込む夜風に背筋を冷やしながら、
鏡に何が映るかが恐ろしく、
トイレにも行けずに店を後にした。

呼吸を浅くしながら帰途につく。
肩甲骨から頭の下半分にかけて、
しょわしょわとする。
このしょわしょわ感は、あれに似ている。

私がこの身で感じられる感覚で一番好きなものは
アイディアを思いつき、それが自然と脳内で構築されていくあの感覚である。
スピード感を持って、枠組が作られるあの感覚。
(内容は大したことがなくとも)
二番目に好んでいるのが、
美しい曲線・色彩・構造を目にしたときの感覚。
いけないものを見てしまったような、甘い背徳感のあるあの喜び。
(三番目は、まあ、恋みたいなぁ、もんだ。)

これらの感覚に似ているしょわしょわ感である。

そして、この文章を書きながら、
次第にしょわしょわ感は遠のき、
やっと現実を捕まえる。

ほんとうは、もうちょっとあちら側に行っていたかったけれど。
書くことで、客観を取り戻す。

文章を書くことは、過去と現在の区切り目をよりはっきりさせるのかもしれない。
などとひとりごちながら、家に着く。

と、ここまで書いて、
小説に犯された頭の純粋なる衝動であるはずのところの文章が、
あまりに陳腐なことには気付いているのだが、
私は、精神的露出狂であるからして、
ぽいっと、文章を放り投げるようにアップするのだ。

すいません。

ここまで読んでくれた方に、すいませんって言ってしまって、すいません。。。。