クラッシュのロンドン・コーリングが日本で発売されたのは1980年の1月21日だから、自分は高校受験を目前に控えていた頃ということになる。

パンクロックに全く興味を持っていなかった自分がこのアルバムのリリースを知ったのは、多分当時愛読していたロッキンfの’80.2月号の広告とアルバムレビューでのはず。



ポール・シムノンがベースをステージに叩きつけようとしている、ペニー・スミスが撮影した写真のジャケットが妙に心にひっかかったのだろう。なんといっても今に続くロック人生で自分史上№1のジャケットに君臨し続けているのだから。


ちなみに同号にはジャムのセッティング・サン、ジャパンのクワイエットライフ、トム・ペティの破壊、そしてプラスティックスのウェルカム・プラスティックスの広告も一頁掲載されている。


このロッキンfを読んですぐにアルバムを手に入れたかどうかは定かでない。何と言っても先に記した通り高校受験を目前に控えていたのだからそれどころではなかったはずだし。

※そんな受験生のはずが、その1月に金曜娯楽館という番組のパンク特集でリザード、ARB、P-モデル、ヒカシューの演奏を観て度肝を抜かされた記憶があるが…。

ただ、いずれにしても見事第一志望の公立高校に入学してすぐの頃にはもう手元にこのロンドンコーリングがあったのは間違いない。

記念すべきパンクロックの一枚目がピストルズでもなく、ダムドでもなく、ラモーンズでもなく、ましてクラッシュの白い暴動でもなく、このロンドン・コーリングだったことは、自分にとっては幸運なことだったのだろう(厳密に言うとこのアルバムの前にトム・ロビンソン・バンドのパワー・イン・ザ・ダークネスは手に入れて聴いて
いたが)。パンクの第一人者でもある彼らではあるが、このアルバムでは2枚目まで続く、所謂サウンドの形態としてのパンクロックをベースとしつつも、彼らのルーツミュージックであるレゲエ、ロカビリー、R&B、ロックンロールが随所に散りばめられた実に多彩な音世界が繰り広げられ、二枚組であるにも関わらずそんなことは感じさせないくらい一気に最後まで聴けてしまう、それこそ捨て曲なしのアルバムに仕上がっている。だからこそ、それまでパンク・ロックに興味もなかった自分が意外にもすんなりと溶け込み、結局はパンク・ロックというものに興味を持つことになったのだから。

この後、同じくロッキンfのアルバム・レビューをきっかけに同年5月にはARBのセカンドアルバムBAD NEWSを、9月にはリザードのバビロン・ロッカーを手に入れたところで、パンク・ロックへの流れは決定的になり、翌年6月にリリースされたモッズのFIGHT OR FLIGHTで揺るがないものになったのだろう。





ARBとモッズは所謂パンク・ロックの枠で語られるバンドではないが、明らかにパンク・ロックがなければ誕生しえなかったロック・ミュージックで、そういう意味ではパンク・ロックのフォロワー的バンドと言っていいのかもしれない。そう、自分は70’Sから続くパンク・ロックというよりは、このパンク・ロックのフォロワー的バンド、それも日本のバンドに、より興味を惹かれていたと言っていいだろう。ピストルズに始まりバズコックス、999、イーター、シャム69といった初期パンクのバンド群のアルバムも聴いてはいたが、クラッシュのロンドン・コーリングや、ARB、リザード、モッズほどにのめり込むことはなかったのが事実。

この後、この流れの中で東京ロッカーズ、アナーキー、スターリン、スタークラブ、ルースターズ、ロッカーズ、RCサクセションといった邦楽パンク、邦楽ロックなんかを聴きだすことになるのだが、それらはまたの機会に。


↓最後はやはりこの一曲で


今日はこの後16時からモッズのギタリスト苣木のソロプロジェクトDUDE TONEの札幌初ライブ!このライブも45年近く前のクラッシュとの、パンク・ロックとの出会いがなければ、こうやって出かけることもなかったのだからクラッシュ、パンク・ロックには感謝しかないね。


今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。