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パンクフロイドのブログ

私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

ラピュタ阿佐ヶ谷

祝 瀬川昌治 生誕100年 ごきげん全員集合!! より

 

製作:にっかつ ISMいずみプロダクション

監督:瀬川昌治

脚本:田坂啓

原作:広岡敬一

撮影:米田実

美術:徳田博

出演:奈美悦子 沢井孝子 朝比奈順子 山口小枝 鈴木ヒロミツ

             鈴木ヤスシ 小林稔侍 勝部演之 上野淳 芝三郎 乱孝寿

1984年1月13日公開

 

トルコ風呂のメッカ、ちろりん村こと“雄琴”で働き出して三年になる風俗嬢のアリス(奈美悦子)は、客として知り会ったトラック運転手の本庄(小林稔侍)と結婚して、第二の人生を歩もうとしていました。彼女は仲間の風俗嬢からお姉さんと慕われ、中でも、マヤ(朝比奈順子)とは同じマンションに住んでいることから姉妹の様な交流がありました。

 

ある夜、帰路についたアリスとマヤはひったくりに遭います。ところが犯人の女を掴まえると、それはアリスの妹たまえ(山口小枝)でした。たまえは家出をし、男とも別れて雄琴に流れて来たのでした。アリスはたまえに一万円を渡し、実家に帰るよう追い返します。

 

一方、マヤには自称経営コンサルタントの徳川(鈴木ヒロミツ)というヒモが居ましたが、徳川はマヤとも親しいトルコ嬢のデラ(沢井孝子)を始め、何人もの風俗嬢のヒモになっていました。ところが、デラがマヤたちのマンションに引っ越した際に、徳川が二人のヒモであることが判明します。

 

その頃、風俗街を生野(鈴木ヤスシ)という男がアリスと縁りを戻そうとして、彼女の居場所を尋ね歩いていました。また、実家に戻らずにいたたまえは別れた男と遭遇し、男はたまえと別れる代わりにアリスに金を要求してきます。アリスは妹も男と同じヤク漬けにされていることに気づき、見捨てておけなくなるのですが・・・。

 

本作は広岡敬一の風俗ルポルタージュ「ちろりん村顚末記」をもとに描いたドラマです。雄琴のトルコ嬢を描いた映画では、橋本忍が監督した迷作「幻の湖」がありましたが、風俗嬢の生活感はあまり感じられませんでした。

 

それに比べると、店でのサーヴィスは具体的に描かれ、所々時刻を表示することで、風俗嬢がどんな時間にどんなことをしているかも理解できました。また、かよわい少女が義父に犯されたことをきっかけに、風俗で働くうちにしたたかで逞しく変化を遂げた女を、奈美悦子は説得力を持った芝居で演じていました。

 

この映画に登場する男たちはいずれもロクデナシばかり。未成年の娘を犯す義父、アリスの昔のヒモの生野、たまえを離さないヤクに溺れている男、デラとマヤの二股をかけている徳川と言った具合。その中では鈴木ヒロミツ演じる徳川は、コメディリリーフな役どころもあって可愛げがありました。風俗嬢の周囲にいる男がロクデナシばかりなため、男気のあるトルコ風呂の店長のいい人振りが際立っていました。

 

この映画に一番期待したのは、奈美悦子と小林稔侍の濡れ場の場面でした。ただし、本来前半に見せる筈のシーンを、敢えて観客を焦らすように終盤に持ってきています。濡れ場を終り近くにしたため、その影響でラストに到るまでがやや冗長な感じを与えているのは否めません。おそらく瀬川昌治監督も話がズムーズに進まない弊害は分かっていたでしょう。

 

それでも二人の濡れ場を敢えて回想形式にしたのは、ヒロインの結末をより劇的にしたかったものと思われます。しかも、作り手がアリスの昔のヒモだった男を思わぬ形で巧みに排除した演出だっただけに、ハッピーエンドの流れを断ち切る展開の後味の悪さは絶大。一応、ヒロインが恨みを買う伏線を張ってあるので、後出しジャンケンではないけれど・・・。アリスが来るのを待つ間、琵琶湖に向って水切りをする本庄とその息子の姿が何とも切なかったです。

こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

製作:アメリカ

監督:ミロシュ・フォアマン

脚本・原作:ピーター・シェーファー

撮影:ミロスラフ・オンドリツェク

美術:カレル・サーニー

音楽:ネヴィル・マリナー

出演:F・マーリー・エイブラハム トム・ハルス エリザベス・ベリッジ

1985年2月2日公開

 

1823年11月、ウィーンの街で老人が自殺をはかりました。「モーツァルトを殺したのは私だ」、老人はうわ言を吐きながら精神病院に運ばれます。数週間後、その老人アントニオ・サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)は神父フォーグラー(リチャード・フランク)に、意外な告白を始めました。

 

サリエリはかつてオーストリア皇帝ヨゼフ二世(ジェフリー・ジョーンズ)に仕えた作曲家でした。ところが、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(トム・ハルス)が彼の前に現れた時から運命が狂い出します。モーツァルトは作曲の才能が比類のない一方、女たらしでもあり、サリエリが思いをよせるオベラ歌手カテリナ・カヴァリエリ(クリスティン・エバソール)に手を出したことから、嫉妬と憎悪が芽生えだしました。

 

モーツァルトは浪費家の上、先進的な作品は時代を先取りしすぎて周囲には理解されず、モーツァルトの新妻コンスタンツェ(エリザベス・ベリッジ)は家計の遣り繰りに苦労していました。そんな折、モーツァルトの父レオポルド(ロイ・ドートリス)がザルツブルグから夫妻の家を訪れ、仮面舞踏会ではしゃぎ回る夫婦に神経を逆撫でされ、妻と舅に軋轢が生じます。

 

一方、天才への嫉妬と復讐心に燃えるサリエリは、ヨゼフ二世が「フィガロの結婚」を喜劇オペラにすることを了承したことに気が気でならず、若きメイドをスパイとしてモーツァルトの家にさし向けます・・・。

 

凡庸な宮廷作曲家のサリエリが天才モーツァルトに対し、一方的に憧れと嫉妬を抱く構図の物語になっていますが、モーツァルトの音楽に関して一番の理解者だったという図式が皮肉で面白いです。凡庸と言っても、父親が音楽に無理解だった環境を考えると、宮廷作曲家にまで昇りつめたのですから、サリエリもそれなりに音楽家としての実力はあったことを意味しています。ただ、類まれな審美眼を持ちながら、創造性が欠如しているところに、サリエリの悲劇があったように思います。

 

天才と凡人の差はどこから生まれるのかを考える上で、なかなか興味深い映画です。サリエリは思いを寄せる女性が居ても手を出すことはせず、音楽に身を捧げるような禁欲的な行動をしています。また、宮廷に仕える外国人として分を弁え、常識の範囲を逸脱しないよう、オーストリア皇帝のヨゼフ二世と接しています。

 

一方、モーツァルトは好色、下品、傍若無人な振る舞いが目立ち、周囲から反感を買うことも少なくありません。それにも関わらず、音楽でねじ伏せてしまうのが天才たる所以と言えます。勿論、生まれつきの才能の為せる技であり、幼少期からの父親のサポートも大きかったでしょうが、音楽に真摯に向き合ってきたことが彼の最大の武器だったように思います。

 

モーツァルトとて社交辞令の作法を知らなかった訳ではありません。無邪気な中にも場合によっては謙虚な振る舞いもしています。しかし、事音楽に関しては一切の妥協はせず、例えヨゼフ二世からの要請や忠告であっても、自分の意に沿わないものであれば抵抗する気概を見せています。この点が唯々諾々と従うサリエリを始めとする御付きの音楽関係者との違いでしょう。モーツァルト一人がロックの精神を持った生き方をしているのが実に痛快。

 

本作は元々ブロードウェイの舞台劇を映像化した作品で、宮廷生活を描いた映像やオペラの場面が華やかに描かれ、舞台でやれなかったことを全面的に盛り込んだ贅沢さが感じられます。また、王族や教会の庇護なしでは食っていけなかった当時の音楽家の生活が生々しく捉えていて、ドラマ部分も見応えがありました。そして、当時を再現した美術に圧倒され、スクリーンでしか味わえない醍醐味もあり、80年代を代表する映画に相応しい一本です。

エディントンへようこそ 公式サイト

 

チラシより

2020年、コロナ禍でロックダウンされたニューメキシコ州の小さな町、エディントン。保安官ジョーは、市長テッドと“マスクをするしない”小競り合いから対立し「俺が市長になる!」と市長選に立候補する。二人の争いは周囲に広がっていき、SNSはフェイクニュースと憎悪で大炎上。同じ頃、ジョーの妻ルイーズは、カルト集団の教祖の過激な動画に心を奪われ、陰謀論にハマっていく。エディントンの選挙戦は、誰もが予想しなかった、観る者すべてを唖然とさせる圧巻のクライマックスになだれ込む。

 

製作:アメリカ

監督・脚本:アリ・アスター

撮影:ダリウス・コンジ

美術:エリオット・ホステッター

音楽:ダニエル・ベンバートン ボビー・クルリック

出演:ホアキン・フェニックス ペドロ・パスカル エマ・ストーン オースティン・バトラー

             ルーク・グライムス ディードル・オコンネル マイケル・ウォード

2025年12月12日公開

 

前作の「ボーはおそれている」は地元のシネコンで公開され、本作も同様に徒歩で行ける距離でアリ・アスターとA24の作品を観られるのはありがたかったです。ただし、他のシネコンで観た「ヘレデタリー」「ミッドサマー」に比べると、「ボーはおそれている」と同じく首を傾げたくなる内容でした。

 

映画の予告編を観る限りでは、コロナ禍にマスクの着用を巡って分断が起き、市長選が繰り広げられる中、そこに陰謀論者たちが絡むイメージを抱いていました。本編を観るとそのイメージはあながち間違いではありませんが、途中から流行り病の件はどうでもよくなって、どんどん焦点がズレていった挙句、収まりがつかないように映りました。

 

保安官のジョーはマスク着用を厳格に強要する市長のテッドに反発し、市長選に立候補します。ジョー自身が喘息持ちであることから、杓子定規に法律を適用されては生活に支障をきたす者が出てくることを憂うあまりの行動でした。加えて、彼の妻のルイーズは昔テッドと付き合っていたことがあり、嫉妬心も絡んできます。

 

映画ではマスク着用が義務付けられ、店舗への入場が制限されていて、アメリカはもっと規制がユルいと思っていただけに、その点は意外でした。尤も州ごとに法律は異なるので、ニューメキシコ州はとりわけ厳しかったのかもしれません。知らんけど。

 

一方、警察官の暴力で黒人男性が亡くなったことに対し、エディントンでも抗議デモが起きており、今にも暴動に発展しそうな気配があり、ジョーを悩ませます。ブラック・ライヴズ・マター、アンティファに加え、ルイーズがカルト教祖のヴァーノンに傾倒するエピソードを持ってきた辺りから、次第に映画も収拾がつかなくなったように思えました。

 

途中、ジョーがある罪を犯し、その隠蔽工作にも破綻をきたして、罪が暴かれるサスペンスの方向に向かうかと思いきや、銃撃戦まで用意されていて、益々混沌とした展開になっていきます。

 

観終わってみると、人は結局のところ自分の信じたいものしか信じないと言う身もふたもない結論に達します。マスクの着用の是非も、ジョーが罪を犯すきっかけとなる根も葉もない噂もそうですし、抗議デモに関しても流行りに乗っかっているようで人種問題をきちんと理解しているとは思えません。それにしても観終わった後で、これほどポカーンと置き去りにされる映画も珍しかったです(笑)。

 

ズートピア2 公式サイト

 

チラシより

ここは、動物たちが人間のように暮らす夢の都市“ズートピア”。頑張り屋なウサギ初の警官・ジュディと、皮肉屋だけど根はやさしいキツネの相棒・ニックは、憧れだった捜査官のバディとして事件に挑んでいた。ある日、ズートピアにいないはずのヘビ・ゲイリーが現れたことをきっかけに、ズートピア誕生の裏に隠された《驚くべき秘密》が明らかになっていく・・・。なぜ、この街には哺乳類しかいないのか?そして、ヘビたちがズートピアから姿を消した理由とは?ズートピア最大の謎を前に、何もかも正反対のジュディとニックの絆が試される---。

 

製作:アメリカ

監督:ジャレド・ブッシュ バイロン・ハワード

脚本:ジャレド・ブッシュ

音楽:マイケル・ジアッチーノ

出演(声):上戸彩 森川智之 下野鉱 江口のりこ 山田涼介 三宅健太 高橋茂雄

2025年12月5日公開

 

「インサイド・ヘッド」同様、こちらも前作とはかなり時間を経て公開されたパート2作品。正直、前作の内容をほとんど忘れてしまっていて、序盤に軽く前作のお浚いがあったので、ジュディが市長の悪事を暴いたことで、警官として認められたことをぼんやりと思い出しました。

 

今回はニックも警官となっていて、ジュディと相棒を組んで二人が活躍する展開になっています。ただし、ジュディが功を焦るあまり、密輸を摘発しようとして派手な大立ち回りをした挙句、二人はボコ署長から謹慎処分を食らいます。しかし、ジュディは密輸したものがズートピアには存在しない爬虫類の形跡があったことから、手掛かりを求めてパーティー会場に潜入します。そこで蛇が現れて大騒動となり、それをきっかけにズートピアに隠された秘密も徐々に明らかになっていくという話の流れ。

 

優等生のディズニーらしく、作品の根底には互いを尊重しながら暮らしていく“多文化共生”がテーマになっています。また、先住民を排除する構図は、米国の建国の歴史と重ね合わせたくなるキャンセル・カルチャーの要素も含まれています。哺乳類や爬虫類を擬人化したファンタジーですから、まだ綺麗ごとも流せますが、実写だったらラスト近くのニックの台詞などは説教臭くて鼻についたかもしれません。

 

絵のクォリティに関しては流石ディズニーと思う反面、大人の鑑賞に耐え得る作品だったかと問われると、やや疑問符のつく作品でした。9年前の前作は記事では結構褒めていましたが、日本でも移民や観光公害による弊害を知った現在の目で観るとどうでしょう?ディズニーは“多文化共生”の理想を語りますが、そこに潜む危険性に触れないからイマイチ信用できないのよね。

 

 

家族 葉真中顕

 

文藝春秋BOOKSサイトより

2011年11月3日、裸の女性が交番に駆け込み、「事件」が発覚した。奥平美乃(おくだいら・みの)と名乗るその女性は、半年と少し前、「妹夫婦がおかしな女にお金をとられている」と交番に相談に来ていたが、「民事不介入」を理由に事件化を断られていた。奥平美乃の保護を契機として、表に出た「死」「死」「死」…… 彼女を監禁していた「おかしな女」こと夜戸瑠璃子(やべ・るりこ)は、自らのまわりに疑似家族を作り出し、その中で「躾け」と称して監禁、暴行を主導。何十年も警察に尻尾を摑まれることなく、結果的に十三人もの変死に関わっていた。出会ってはならない女と出会い、運命の糸に絡めとられて命を落としていく人々。 瑠璃子にとって「家族」とはなんだったのか。そして、「愛」とは。「民事不介入」に潜む欠陥を日本中に突きつけた「尼崎連続変死事件」をモチーフとした、戦慄のクライムエンターテイメント!

 

本書は2011年に発覚した尼崎連続変死事件をモチーフにしたフィクションです。主犯の容疑者が獄死したため、謎とされる部分が多く、著者はあくまで想像の範囲で真相を描いています。実際の事件では容疑者が亡くなっているため、物語もまだ事件が終わっていないことを仄めかせ幕を閉じていて、モヤモヤした気分にさせられます。それにしても、複数の家族を乗っ取り服従させる描写は不快にさせられます。主犯の夜戸瑠璃子は恐怖で赤の他人を支配することに長け、特に“躾け”と称し家族を互いに暴力を振るわせる行為は、“総括”と言ってリンチをした連合赤軍を連想させました。登場人物の一人がいみじくも言ったように、「追い詰められた人間に究極の選択はない。ただ状況に服従するだけ」は実に的を射ていました。被害者は警察に駆け込む場合もあるのですが、民事不介入を盾に連れ戻されるのが痛ましいです。登場人物の多い群像劇で、巻末の人物相関図を見ながら読むのは面倒臭く、時間軸がバラバラなため厄介な面はありつつも、洗脳と服従の心理はどのように生じるのかを考えさせる点でも興味深い一作でした。

 

ライアーハウスの殺人 織守きょうや

 

集英社サイトより

お嬢様・彩莉は転がり込んできた莫大な遺産で孤島にギミックつきの館を建設し、かつて自分の書いた小説を馬鹿にした相手を殺害しようと企てる。「おまえらがバカにした私の考えたトリックで死ね」嵐の気配が近づく中、ターゲットのミステリ愛好者たち(ショーゴ、詩音)、医療関係者(みくに)、刑事(矢頭)、霊能者(真波)、噓で雇われたメイド(アリカ)が館に集められ、金にものを言わせた自前のクローズドサークルが完成。有能メイド・葵の鬼のダメ出しの末、綿密に練られた復讐劇は、成功間違いなしと思われた。しかし、一夜明けると、彩莉が殺した覚えのない死体が転がっていた……。

 

本書は莫大な祖父の遺産を受け継いだお嬢様が、孤島の洋館を改装してクローズドサークルの状況にした上で、かつて恥を掻かされた者に復讐を遂げようとするミステリーです。このお嬢様、はっきり言ってバカです(笑)。彼女が立てた計画はあまりにも杜撰ですし、協力者のメイドからは一々指導を受ける始末。こんな穴のある計画にしっかり者のメイドが乗るので、報酬以外に何か含むものがあるのでは?と疑いながら途中まで読んでいました。第一と第二の殺人は殺される対象は計画通り実行されたのに、お嬢様本人が直接手を下すことは叶わなかったり、偽装殺人の筈が本物の殺人が起きたり、思いもよらぬ事態が起きます。その結果、計画者のお嬢様はその都度取り繕わねばならなくなります。第二の殺人が起きた時点で、消去法から自ずと犯人は絞られていくので、犯人の意外性は然程ありません。その代わり、犯人が明らかになった後に、そうだったのか!という驚きがありました。

 

地上の楽園 月村了衛

 

版元ドットコムより

取り返しがつかない。何もかも。北朝鮮に来たときから――。在日朝鮮人帰還事業。1959年に始まったそれは、人類史上最悪の「大量殺戮」への序章だった。大阪に暮らす二人の若者、孔仁学と玄勇太が経験する「地獄」を通して、日本人の差別感情と、政府・マスコミらが犯した大罪に迫る。

 

本書は三部構成で北朝鮮への帰国運動の実態、地上の楽園と喧伝された北朝鮮における実態、帰国運動を推進しながら一切責任を取らなかった者たちへの落とし前に模索する様が描かれています。第一部では善意から同胞の帰国運動に協力したにも関わらず、北朝鮮と朝鮮総聯の実態を知らされ、己の罪深さに苦悩する孔仁学の視点で話が進んでいきます。第二部では幼馴染の孔仁学から帰国を勧められた末に祖国で塗炭の苦しみを味わう玄勇太の視点で描かれます。終幕ではこの二人が対峙し、歩んできた過去に如何に決着をつけるかに焦点が当てられます。終幕は第二部の昭和40年代から一気に平成14年に飛ぶのがミソ。平成14年は日韓ワールドカップが共同開催されたと同時に、日朝首脳会談によって拉致被害者5人が日本への帰国を果たした年でもあります。在日朝鮮人の帰還事業に中心的役割を果たした政治家が小泉純也で、彼の息子・純一郎が総理として日本人拉致被害者5名を取り戻したことを考えると、歴史の皮肉を感じさせます。北朝鮮や朝鮮総聯がとんでもないことをしてきたのは言わずもがなですが、同胞の帰国を頑なに拒んだ韓国政府や、帰還事業を礼賛しながら実態が暴かれた途端口を噤んだ日本の政治家、有識者、メディアにも責任があるのは自明の理。うまい話には裏があることを思い知らされる受難劇でした。

 

WEAPONS ウェポンズ 公式サイト

 

映画.comより

舞台は静かな郊外の町。ある水曜日の深夜2時17分、子どもたち17人が突然ベッドを抜け出し、暗闇の中へ走り出したまま姿を消す。消息を絶ったのは、ある学校の教室の生徒たちだけだった。なぜ彼らは、同じ時刻に突如として姿を消したのか。疑いの目が向けられた担任教師ジャスティンは、残された手がかりをもとに集団失踪事件の真相に迫ろうとするが、この日を境に不可解な事件が町で相次ぎ、やがて町全体が狂気に包まれていく。

 

製作:アメリカ

監督・脚本:ザック・クレッガー

撮影:ラーキン・サイプル

美術:トム・ハモック

音楽:ライアン・ホラデイ ヘイズ・ホラデイ ザック・クレッガー

出演:ジョシュ・ブローリン ジュリア・ガーナー オールデン・エアエンライク

             オースティン・エイブラムス エイミー・マディガン

2025年11月28日公開

 

本作は児童たちの集団失踪という衝撃的な出来事に対して、複数の人物による視点で謎とされた部分が解明されていきます。そして、一人の視点では分からなかった謎が多角的に明かされていくことで、全体像が徐々に見えてくると言った群像劇を伴ったホラーになっています。

 

序盤は一人の児童を除いて、クラス全員が真夜中に一斉に行方知れずになるという状況が示され、大いにそそられる出だしです。やがて、父兄から担任教師のジャスティンに問題があると糾弾され、彼女にとっては“魔女狩り”のような辛い状況に追い込まれます。ただし、ジャスティンは不倫、酒気帯び運転など色々やらかす問題のある女性でもあり、教え子の親からすると不信感を抱かせる要素が多々見受けられます。

 

このジャスティンを皮切りに、行方不明の子供の父親のアーチャー、ジャスティンの不倫相手の警官ポール、ホームレスのジェームズ、小学校校長のマーカスなど、様々な人物の視点から物語が語られていきます。ただし、物語がなかなか真相の核心に迫っていかないため、どのような方向に向かうのか予測しにくくなっています。

 

それでも、ジャスティンの車に書かれた文字から勘の鋭い人ならばピンとくるでしょうし、一人取り残された児童アレックスの大叔母と称するグラディスが登場する辺りからは、事件の真相が徐々に見えだしてきます。そして、タイトルの“兵器”の意味も腑に落ちて来ます。

 

ジャスティンを演じたジュリア・ガーナーは「アシスタント」「ロイヤルホテル」にも出演していて、巻き込まれ型の受難劇が良く似合う女優で、今回も多少自業自得なところはあるとは言え災難を引き寄せる女性に相応しい役割でした。

 

彼女を糾弾する急先鋒のアーチャー役はジョシュ・ブローリンが演じていて、先日リバイバル上映された「ジャグラー ニューヨーク25時」で主役だったジェームズ・ブローリンの息子であることを思うと、同じ子供を探す父親役を演じていることに不思議な縁を感じました。

 

また、ドギツい化粧のグラディス役がエイミー・マディガンなのも、「ストリート・オブ・ファイア」の女兵士マッコイ、「フィールド・オブ・ドリームス」でケヴィン・コスナーの奥さんを演じていたことを思い出すと、感慨深いものがありました。

 

子供が集団で異常事態になる映画は過去にも「光る眼」「ザ・チャイルド」「チルドレン・オブ・ザ・コーン」など色々ありました。本作はホラー映画の割には然程怖くはありません。その代わり、結構グロい描写があるので、その手の映画が苦手な人には要注意かもしれませんね。

ジャグラー ニューヨーク25時 公式サイト

 

チラシより

70年代の終わり。まだ危険で猥雑だった頃のニューヨーク。それはいつもと変わらない平凡な朝の風景のはずだった。シングルファーザーの元警官ボイドは、学校に送る途中の娘キャシーを、富豪の娘と人違いしたサイコな誘拐犯に連れ去られてしまった。警察はアテにならないばかりか、ボイドに恨みを持つ元同僚のイカれた巡査部長バーンズからは逆に追われるハメになる・・・。タクシー運転手、ポルノショップの女、不良グループ、動物登録所の娘・・・。都会に生きる様々な人々が入り乱れ、ノンストップの奪還劇が始まった!

 

製作:アメリカ

監督:ロバート・バトラー

脚本:ビル・ノートン・シニア リック・ナトキン

原作:ウィリアム・P・マッギヴァーン

撮影:ヴィクター・J・ケンパー

美術:スチュワート・ワーツェル

音楽:アーティ・ケーン

出演:ジェームズ・ブローリン クリフ・ゴーマン リチャード・S・カステラーノ

             ダン・ヘダヤ ジェリー・カーメン アビー・ブルーストーン

1980年6月7日公開

 

この映画を初めて観たのは、テアトル新宿がまだ二本立ての名画座だった頃。併映は確かアル・パチーノ主演の「ジャスティス」だったと記憶しています。あれから45年経って一度も観る機会がなかったのですが、4K修復版となって再び劇場鑑賞できました。改めて観ると、あの頃のニューヨークの治安の悪さとは裏腹に、街全体が熱気に溢れ、街の点景となっている人物でも一人一人が個性豊かなことに驚かされました。

 

かなり忘れた箇所があり、冒頭の誘拐犯のガス・ソルティックのダイナーでの食事場面もそのひとつ。掴みとしては結構印象に残りそうなのにね。それでも、元警官のボイドがガスに娘のキャシーを攫われて追いかける序盤から一気に引き込まれます。

 

ゲリラ撮影かと思う程、ニューヨークの雑踏が生々しく捉えられていて、(良い意味で)混乱をきたすカーチェイスは目が釘付けされます。ボイドに恨みを抱くバーンズ巡査部長が人の行き交う街中にも関わらず、ショットガンをぶっ放す場面などは笑ってしまうほどで、陰湿で執念深いキャラクターと相まって楽しくなってきます。

 

ガスが何故富豪の娘と元警官の娘を間違えたか、肝心なことを失念していましたが、今回再見して着ている服が同じだけという杜撰さに笑ってしまいました。ガスは一事が万事この調子で、ボイドから逃げる途中で誘拐したキャシーが目的の娘でないことに気づいても良さそうなのに、そこはスルーしてしまいます。挙句の果てに、最後のほうは間違いに気づいても、キャシーに恋愛感情を抱き、身代金を持って二人で逃亡しようとまでします。

 

ガスがサイコパスらしき人物なので、整合性が取れていなくても良しと見做してもいいのですが・・・。また、キャシーが攫われた娘の割には、誘拐犯に対して従順過ぎるのも如何なものか。太ることを気にしてダイエット中の彼女に、そんなに痩せなくてもいいよと言うガスにほだされたとも言えますが・・・。事程左様に、かなり細部は破綻した物語になっているのに面白いのは、全編ニューヨークロケと派手なアクションで強引にねじ伏せているのが大きいです。

 

また、俳優も「カプリコン1」などで絶頂期に居たジェームズ・ブローリンに加え、ガス役のクリフ・ゴーマンと汚職刑事を演じたダン・ヘダヤのイカれ具合が最高でした。キャシー役のアビー・ブルーストーンも話が進むにつれ可愛く見えてきて、終盤、ボイドと行動を共にするマリア役のジュリー・カーメンも美しさが際立っていました。そして、トネリ警部補を演じたリチャード・S・カステラーノ。「ゴッドファーザー」でドン・コルレオーネの側近の一人・クレメンザ役を演じていたことを思うと、シャレがキツいかも。

 

ガスの誘拐の動機が移民に関わる点も興味深く映りました。元々彼の父親は不動産業を営んでいて、ガスもかつては裕福な暮らしをしていました。ところが、移民が所有する住宅に住んだことで治安が悪化し、それにつれて不動産価値も下落し、同じ不動産業者に買い叩かれた末に落ちぶれた経緯がありました。劇中の停まっている車から品物を盗む少年たちやボイドに因縁を吹っ掛けてくるギャング団が移民かどうかは定かではありませんが、白人のガスには異質な人々を大量に受け入れたことによって、貧しくなったという想いが根底にあり、犯罪の動機に繋がったとも映ります。この点に関しては45年前より現在のほうが、日本人として身近に感じられるのではないでしょうか。

シネマヴェーラ渋谷

帰ってきた!新東宝のディープな世界 より

 

製作:新東宝

監督:渡邊邦男

脚本:三村伸太郎

原作:長谷川伸

撮影:友成達雄

美術:梶由造

音楽:松井八郎

出演:島田正吾 辰巳柳太郎 河村憲一郎 水原真知子 宇治みさ子

             花柳小菊 石山健二郎 秋月正夫 清水彰 野村清一郎 二木テルミ

1955年11月22日公開

 

旅鴉の彌太郎(島田正吾)は甲州街道の菲崎の宿で、女歌舞伎市川喜久之助(花岡菊子)一座の楽屋を覗き、気安い仲の扇昇(花柳小菊)から、土地の顔役の岩村の磯五郎(郡司八郎)の評判を訊きました。

 

その頃、五十両の賞金が賭けられた磯五郎を狙って、箱田の森介(河村憲一郎)が小料理「あけがらす」に斬り込みます。しかし、磯五郎を斬ったのは後から来た彌太郎でした。先を越された森介は街道で彌太郎に追いつき、分け前を迫りますが、彌太郎は相手にしませんでした。

 

ところが、茶店で休んだとき、幼い娘をつれた和吉(石山健二郎)に胴巻きに隠した五十両を盗まれてしまいます。その後、彌太郎は和吉を捕まえ五十両を取り戻します。しかし、和吉は彌太郎に手紙を預け、旅篭の沢井屋まで娘のお小夜(二木テルミ)を送り届けるよう頼むと、崖から飛び降り海の藻屑となります。彌太郎は和吉を止めようとした拍子に、預かった手紙を海に落としてしまいます。

 

やがて、彌太郎はお小夜を連れ沢井屋に行き、主人の金兵衛(秋月正夫)と倅の銀太郎に、彼女を暫くの間預かってくれと頼みます。金兵衛はお小夜に行方知れずの孫娘の面影を見て、彌太郎の頼みを引き受けます。彌太郎は預かり賃の五十両を添えて名も告げずに去りました。

 

それから数年後、笹川の繁蔵(辰巳柳太郎)のもとに草鞋を脱いだ彌太郎は、清滝の佐吉(野村清一郎)の家で助っ人にきた森介と再会するのですが・・・。

 

「関の彌太ッペ」は何度か映画化されているらしいですが、私は山下耕作監督、中村錦之助主演の東映作品しか観たことがありません。今回、新東宝版の「関の彌太ッペ」が上映されると知って、久しぶりに渋谷まで足を運びました。

 

話の流れは概ね同じの一方、いくつか違いが見られます。ひとつは主人公の性格。同じ彌太郎を演じても、島田正吾のほうは威勢が良くせっかちなキャラクターになっています。お小夜を見失った彌太郎が、次々に小さい女の子の顔を覗くたび、些か邪険に扱ったことで女の子が泣き出す場面は笑いを誘います。

 

また、新東宝版では女旅芸人一座という設定があり、旅鴉の彌太郎と共に各地を渡り歩いています。更に一座の中に彌太郎を好く女芸人が居て、二人の間に腐れ縁の雰囲気を醸し出しています。

 

他にも大人になったお小夜(宇治みさ子が美しい!)に彌太郎の名を騙って言い寄る森助は、狡猾と言うより思慮の足りないアホにしか見えません。彌太郎にしつこく分け前をよこせと迫った割には、草鞋を脱いだ親分の肝いりで兄弟分の盃を交わします。

 

そうかと思ったら、お小夜との婚姻を阻止しようとする彌太郎に再び刃を向け、最後にはちゃっかり彌太郎を兄貴分のように慕い、ちょっと憎めないところがあります。メトロノーム玉〇と揶揄されるどこかの党首と同じくらいブレ幅が著しいことに笑ってしまいました。

 

このように情趣溢れる山下耕作版に比べると、渡邊邦男が手掛けた「関の彌太ッペ」は明朗な任侠時代劇になっている。どちらにもそれぞれ良さが感じられ、新東宝の「関の彌太ッペ」では、彌太郎が手紙を紛失したことと自責の念に駆られたことが重なって、幼いお小夜を沢井屋へ送り届けるまでのくだりに、東映版より説得力を持たせていました。

 

今回観た渡邊邦男の「関の彌太ッペ」も面白かったですが、やはり沈黙の中に美を感じさせる山下耕作の「関の彌太ッペ」には敵わないかな。

 

 

ナイトフラワー 公式サイト

 

チラシより

借金取りに追われ、二人の子供を抱えて東京へ逃げてきた夏希は、昼夜を問わず必死に働きながらも、明日食べるものにさえ困る生活を送っていた。ある日、夜の街で偶然ドラッグの密売現場に遭遇し、子供たちのために自らもドラッグの売人になることを決意する。そんな夏希の前に現れたのは、孤独を抱える格闘家・多摩恵。夜の街のルールを何も知らない夏希を見かね、「守ってやるよ」とボディーガード役を買って出る。タッグを組み、夜の街でドラッグを売り捌いていく二人。ところがある女子大生の死をきっかけに、二人の運命は思わぬ方向へ狂い出す---。

 

製作:「ナイトフラワー」製作委員会

配給:松竹

監督・脚本・原案:内田英治

撮影:山田弘樹

美術:佐々木理恵

音楽:小林洋平

出演:北川景子 森田望智 佐久間大介 渋谷龍太 渡瀬結美

             加藤侑大 渋川清彦 池内博之 田中麗奈 光石研

2025年11月28日公開

 

※酷評と若干ネタバレをしていますのでご注意ください

 

生活苦に陥ったシングルマザーが女性格闘家と手を組み、犯罪に手を染めていく内容にも関わらず、各エピソードの掘り下げが浅いため不幸や不運の羅列にしか見えず、その結果、重苦しさが感じられずサスペンスの足りない犯罪映画になっていました。

 

夏希(北川景子)が気絶した売人からドラッグをくすねた末に売ろうとすること自体無謀であり、彼女のボディーガード役となる多摩恵(森田望智)もデリヘル嬢のバイト時にラブホテルで清掃をする夏希を見かけ、彼女が倒れているところを自宅まで送るだけでは相棒となる動機も些か弱いです。

 

また、クスリ漬けにされた挙句事故死した娘の母親の星崎みゆき(田中麗奈)のサイドストーリーもツッコミどころ満載。夏希や多摩恵を逆恨みするのは良しとして、元刑事の私立探偵・岩倉(渋川清彦)に拳銃を調達してもらうに到っては頭を抱えたくなります。しかも、岩倉はみゆきに「変なことを考えていないでしょうね?」と念を押すのですから失笑してしまいます。あんたはダチョウ倶楽部か。

 

また、ラスト近くに多摩恵や夏希の娘・小春(渡瀬結美)に起きる出来事も、如何にも悲劇と思わせて実は・・・という一夜限りの花・月下美人にひっかけた“奇跡”演出も、内田英治監督のドヤ顔が浮かんできて、逆にヒロインの願望に過ぎない夢オチと解釈したくなります。

 

小春のヴァイオリンの才能に纏わる話を極力抑え、息子の小太郎(加藤侑大)の保育園の傷害事件を削除して(結局賠償の件は放りっぱなしのまま終わります)、犯罪行為によるサスペンスに特化したほうが話として締まったように思います。エピソードを広げ過ぎた挙句、薄味になってしまったのが惜しまれます。

兄を持ち運べるサイズに 公式サイト

 

チラシより

作家の理子は、突如警察から、兄の急死を知らされる。兄が住んでいた東北へと向かいながら、理子は兄との苦い思い出を振り返っていた。警察署で7年ぶりに兄の元嫁・加奈子と娘の満里奈、息子の良一と再会、兄を荼毘に付す。そして、兄たちが住んでいたゴミ屋敷と化しているアパートを片付けていた3人が目にしたのは、壁に貼られた家族写真の数々。子供時代の兄と理子が写ったもの、兄・加奈子・良一が笑いあうもの・・・兄の後始末をしながら悪口を言いつづける理子に、加奈子は言う。「もしかしたら、理子ちゃんには、あの人の知らないところがあるのかな」もう一度、家族を想いなおす、4人のてんてこまいな4日間が始まった---。

 

製作:「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会

監督・脚本:中野量太

原作:村井理子

撮影:岩永洋

美術:大原清孝

音楽:世武裕子

出演:柴咲コウ オダギリジョー 満島ひかり 青山姫乃 味元耀大 斉藤陽一郎

             岩瀬亮 浦井のりひろ 足立智充 村川絵梨 不破万作 吹越満

2025年11月28日公開

 

地元のシネコンではたまにおひとり様鑑賞する時がありましたが、ここ最近はどんなに少なくても一桁の観客は居ました。独占して鑑賞できたのは10年ぶりかもしれません。土曜日の朝一の回にも関わらず、この集客では今後の観客動員も危ぶまれすし、他のシネコンの状況はどうなのでしょうか。

 

それはともかく、映画の内容は悪くはありませんでした。ダメンズ好きとしては、オダギリジョーの愚兄ぶりが憎めないキャラクターもあって上々でしたし、彼に振り回される妹の理子や元女房の加奈子のしょうがないと思いつつも、ダメ男を突き放せない優しさが仄かに滲み出ていて、家族ドラマとしてホッコリさせられました。

 

理子(柴咲コウ)は兄の助けを求めるメールを無視したこと、加奈子(満島ひかり)は良一を別れた夫に預けたことを負い目に感じ、長男の良一(味元耀大)は父親の死に際に寄り道をしていたことで罪悪感を抱いています。映画は葬儀や遺品整理をすることで、各自がどのように喪失感と向き合っていくかが焦点になっています。

 

原作は未読ですが、主人公の名前が原作者であることから、自伝的要素が濃いと思われます。理子も葬儀に喪服を用意してこないなど、兄に負けず劣らず若干ポンコツな面が見られました。映画の題名はなかなか洒落ていて、確かに故人の骨は持ち運べます。でも、お骨をお裾分けする発想はありませんでした(笑)。

 

理子は兄の知らなかった面を発見し、忘れていた過去を思い出すことで、徐々に心の整理がつき始め、施設に一時預けられた良一の選択も明らかになります。この時点でサッと切り上げて終われば良かったと思いますが、その後も話が続きやや冗長に感じられました。いずれにせよ、オダギリジョーの剽軽なキャラクターが、喜劇に巧く作用した家族映画でした。