盗作事件を調べるうちに見立て殺人に発展していき・・・夕木春央「サロメの断頭台」を読んで | パンクフロイドのブログ

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私たちは何度でも立ち上がってきた。
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コルネリウス・ファン・ロデウィックは、客船で長期旅行をした際、日本にも寄港します。ロデウィックは滞在中に井口家から由緒ある置時計を買い戻そうとしますが、置時計は既に売却された後でした。それでも、ロデウィックは画家の井口朔太に興味を示し、井口からアトリエに案内されます。ロデウィックはアトリエに置いてある絵画のうちの1枚に目を留めます。カリフォルニア州に住んでいた柳瀬の遺品を片づけるのを立ち会った際に、そっくりな作品を見たことを思い出し、写真にも撮ってあったからでした。

 

一方、井口はロデウィックからその写真を見せられ、瓜二つの絵はどこにも発表したことがなかったため困惑します。唯一考えられるのは、井口と妻の紗江子の結婚祝に招待した白鷗会のメンバーが、アトリエに忍び込み盗作した可能性でした。井口は友人の蓮野に協力してもらい、鍵を掛け忘れたアトリエに忍び込んだ人物を特定しようとしますが、絞り込めませんでした。

 

そこで、井口と蓮野は手掛かりを得るため、絵のモデルになった女性と接触を試みます。その女性は女優の岡島あやで、口止めしたにも関わらず、井口が他の人間にばらしたことを知り激怒します。顔を見せずに後ろ姿に描いたのも、身バレを防ぐためでした。また、紗江子の友人であやと同じ女優である浅間光枝が、あやの整形手術を知っていたのも、気分を害する一因でした。

 

二人は後日、あやを手術した笹川医院を訪れ、笹川から絵の件が漏れたのではないことを確認します。また、渡米して亡くなった柳瀬の情報を得るために、白鷗会のパトロンである宮盛耕三にも会いに行きます。そこでは大した収穫はなかったものの、柳瀬の家で女中をしていたたかを教えられます。たかはロデウィックの写した写真を見せられ、竹編のトランクを思い出し、柳瀬が引っ越しの2週間前に誰かが持ってきたことを証言します。しかし、柳瀬はたかに来客を絶対に会わせようとしなかったために、盗作犯は依然として分からず終いでした。

 

そんな折、井口は同じ画家の大月と共に白鷗会のメンバーの五味貫太の元を訪れた際に、宮盛から絵の贋作造りを持ち掛けられ、引き受けたことを聞かされます。そして、贋作造りに関しては白鷗会にも何人か関わっているらしいことを教えられます。また、柳瀬が贋作をやらせられる芸術家を物色し、宮盛が仲介して竹編のトランクで贋作を運んでいたことも判明します。

 

一方、井口の姪にあたる矢苗峯子は、父親が縁談を頼んだ晴海商事の社長に会い、彼から妻の遺品である写真機を手渡されます。峯子は叔父の井口から聞いた造形芸術に秀でた深江龍紅を思い出し、不可解な自殺を遂げた芸術家のアトリエを撮りに行こうとします。彼女はアトリエ近くにあるバラック小屋が気になり、中を覗くと、女が横たわっており、胸元にナイフの柄が飛び出しているのを目に留めます。峯子は無我夢中でシャッターを切り、一目散にその場を離れ、警官を呼びに行きます。ところが、警官と一緒に戻ってみると、ナイフを突き立てた女の姿は跡形も残っていませんでした。

 

その後、二月に一度開かれる白鷗会の例会に、メンバーが料理屋に集合します。午後10時を過ぎた頃、突然女の悲鳴があがり、一同は勝手口に向かいます。そして、掃除用具を仕舞う小屋から「サロメ」のヘロデ王の格好をした宮盛の屍体が発見されます・・・。

 

ここからは感想です。

 

本書は「時計泥棒と悪人たち」に登場した泥棒の蓮野と絵描きの井口のコンビが、再び難事件に挑む長編です。二人が盗作された絵を調べていくうちに、贋作事件が発覚し、贋作事件に関わった人物たちが、オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の登場人物になぞらえて次々と殺されてゆくという、目まぐるしい展開に発展していきます。そして、盗難事件と贋作事件には因果関係があるのか?見立て殺人の犯人は誰なのか?という興味で話を引っ張っていきます。

 

探偵の蓮野は泥棒でありながら、嘘を吐けない特異なキャラクター。しかも、かなりの美貌の持ち主であり、女優の浅間光枝や井口の姪の矢苗峯子は、彼に好意以上のものを向けてきます。そんな彼女らに比べ、岡島あやは蓮野には塩対応をします。当初私なぞは、己の美しさに無自覚な蓮野への羨望と反発が入り交じった感情ゆえに、あやは彼に対し攻撃的になるのかと思っていました。しかし、あやが整形手術をした真の理由が明らかになり、それが美しくなりたいという願望からではなく、より切実なものであったことを知ると、その痛ましさに胸が抉られます。

 

本格ミステリーは往々にして一番怪しくない人物が犯人という鉄則があり、本書も例外ではありません。ただし、犯人を捜査圏外に置いている点が巧妙であると言えますし、ある意味狡いとも思えます。その一方で、犯人が見立て殺人を行なうことによって、特定の人物たちを炙り出す“発想の転換”には感心させられました。そして、その人物たちに制裁を科した方法も、なかなかエゲつなかったです。この点は著者の“イヤミス”の才能の一端が垣間見えました。