こうのすシネマ
午前十時の映画祭 より
製作:アメリカ
監督:ジェリー・シャッツバーグ
脚本:ギャリー・マイケル・ホワイト
撮影:ヴィルモス・ジグモンド
音楽:フレッド・マイロー
出演:ジーン・ハックマン アル・パチーノ リチャード・リンチ ドロシー・トリスタン
1973年9月22日公開
マックス(ジーン・ハックマン)は6年の刑期を終え、洗車屋を始めるためにピッツバーグへ向かおうとしていました。彼がヒッチハイクをしている時、ライオン(アル・パチーノ)も車を拾おうとしており、二人は意気投合して道中を共にします。ライオンは5年ぶりに船員生活から足を洗って、デトロイトに置き去りにしたままの妻アニー(ペニー・アレン)に会いに行くところでした。
旅の途中、二人はデンバーに立ち寄って、マックスのたったひとりの肉親である妹コリー(ドロシー・トリスタン)を訪ねます。そこでコリーと一緒に商売をしていたフレンチー(アン・ウェッジワース)にマックスはすっかりのぼせ上がり、ライオンもコリーを気に入ります。
ところが、マックスがピッツバーグの銀行に預けてある預金を引き出しに行く前夜、盛大なパーティーが開かれ、そこで二人は喧嘩沙汰を起こしたことで、30日間の強制労働を課せられます。その期間、ライオンはジャック・ライリー(リチャード・リンチ)から暴行を受け、マックスが友の仇を討ったことで、一時仲違いをしていた二人の友情が更に深まります。そして、強制労働を終えると、2人は連れ立って目的地へ向かいます。
デトロイトに着くと、ライオンは公衆電話からアニーに電話をします。しかし、勝手に家出した夫に対し妻は冷たく応じ、既に再婚していることを告げた上に、ある事をライオンに吹き込みます。アニーの言葉を信じたライオンは絶望のあまり・・・。
今回の午前十時の映画祭では、「アルゴ探検隊の大冒険」「地球防衛軍」「ボルサリーノ」と共に、楽しみにしていたのがこの「スケアクロウ」でした。それと言うのも、都内の名画座では戦前や40年代、50年代のクラシック映画を観る機会はあっても、70年代の海外の娯楽作品は意外と劇場で観る機会に恵まれていないからです。
本作は40年以上前に観たきりで、テレビ放映だったのか、名画座だったのか、記憶が定かではありません。したがって、憶えているのもほんの数箇所に過ぎませんでした。それでも改めて観ると、70年代を代表するロードムービーらしく叙情が感じられましたし、新たな発見もありました。
マックスがフレンチーと一緒に踊る場面では、キャロル・キングの「Natural Woman」がバックに流れ、ライオンが公衆電話から妻のアニーに電話をかけた際に、彼女の家ではラジオからケイシー・ケイスンの番組「アメリカン・トップ40」が聴こえてくるなど、40年経たないと気づけない部分が散見されました。
また、マックスが厚着をするのは、他人を警戒するあまり己の本心を見せたくない用心深さから来ているのではないかと察せられました。マックスが再び乱闘騒ぎを起こしかけるのに呆れたライオンが、彼を見放そうとする場面では、マックスが次々と服を脱ぎ出します。この描写は以前の自分とは変わったことを示すと同時に、ライオンに対して全てを曝け出すという意味も込められているのではないでしょうか。
この映画には胸に沁みる場面がいくつも散りばめられていますが、その中でも白眉と言えるのは、ライオンがアニーに電話をかけて妻からあることを告げられた後、見知らぬ子供を抱えながら噴水に入って行くまでの流れ。ここで切なさが一気に頂点に達し、最後は温かい気持ちにさせられて終わります。
マックスがライオンを決して見捨てないことを“往復” の航空券の購入によって仄めかすのが巧いですし、彼が就寝時に奇妙な行動をとっていたのがここで判るくだりも粋です。出所したマックスが洗車屋を開業するのも、今までの彼の人生を洗い流すという意味が込められているのかもしれません。開業のために貯めた金を友情のために使おうとすることを想うと、猶更彼の下した判断に男気が感じられ胸が熱くなります。おかしみがありつつも、人生の哀歓を浮かび上がらせるジェリー・シャッツバーグの秀作です。