精神を病んだ女が言葉を喋らない青年を閉じ込める「雨にぬれた舗道」を観て | パンクフロイドのブログ

パンクフロイドのブログ

私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

高田馬場 早稲田松竹

ロバート・アルトマン傑作選 公式サイト

 

製作:アメリカ

監督:ロバート・アルトマン

脚本:ギリアン・フリーマン

原作:リチャード・マイルズ

撮影:ラズロ・コヴァックス

美術:レオン・エリックセン

音楽:ジョニー・マンデル

出演:サンディ・デニス マイケル・バーンズ スザンヌ・ベントン

1970年2月28日公開

 

肌寒い季節のバンクーバー。30歳の独身女性フランシス(サンディ・デニス)は、週に何度か訪れるお手伝いを除けば、たった一人で高級アパートに住み優雅に暮らしています。そんな彼女は寒空の下、薄着のまま公園のベンチで雨に打たれている青年(マイケル・バーンズ)を見捨てておけず、自分のアパートに連れ帰り、濡れた服を脱がせて風呂に入らせ食事まで与えます。

 

無言のままの青年に、フランシスはてっきり彼が喋れないと思い、甲斐甲斐しく世話を焼き、彼を客室に泊めてあげます。ところが、青年は夜中に部屋を抜け出し、姉ニーナ(スザンヌ・ベントン)やその恋人ニック(ジョン・ガーフィールド・ジュニア)と会ったばかりか、二人と会話までします。

 

ふしだらな生活に明け暮れる彼は実家に居場所がなく、姉の焼いたクッキーを手土産に再び居心地の良い部屋に戻ってきます。そんな折、フランシスは産婦人科医院から帰ると、その晩、青年の枕もとで抱いて欲しいと呟きます。ところが、ベッドはもぬけの殻。彼女は青年が戻ったのを見計らって、彼を監禁しようとするのですが・・・。

 

本作は見ず知らずの青年を家に招き入れる設定に既視感があり、学生の頃に原作を読んだことがあるかもと思う一方で、こんな話の展開でこういう結末だったっけ?と記憶が怪しくなってきました。

 

ヒロイン役のサンディ・デニスは、ジャンヌ・モローと中野良子を足して2で割ったような顔立ちをしていながら、表面上は二人の女優程気の強い面を見せずに、親切そうな女性を装っています。彼女はずぶ濡れのままベンチに座ったままの青年を気の毒に思い、自宅の会食に招待した俗臭ぷんぷんのジジババを帰した後、家の中に入れてあげます。

 

ただ、女性一人しか居ない家に、見知らぬ男を招き入れる無防備さには驚かされます。物を盗まれるばかりか、身体を奪われる危険もあることを考えれば、フランシスが普通の神経の持ち主でないことを窺わせます。フランシスはしきりに青年に話しかけるものの、彼は黙したままのため、彼女が一方的に喋ることになります。

 

後にこの青年は喋れることが判明しますが、負の感情に陥ると長時間口を閉ざす癖があるため、フランシスに誤解を与えたまま居候として彼女の家で暮らし始めます。フランシスは夜になると青年の部屋に鍵をかけ、外に出られないようにしているため、一応自分の身に危険が及ばないように用心していると思わせます。その一方で、短時間彼女が留守にしている間は、彼が自由にできるような不用心な状況にしているため、フランシスの真意が判らなくなってきます。

 

ところで、この映画を観ていて謎と思える箇所が出てきます。フランシスが産婦人科の医院で妊娠検査を受ける場面がそれにあたります。彼女は知り合いの老医師から言い寄られてはいるものの、加齢臭を嫌い指一本触れさせようとはしません。また、青年も知り合ったばかりで妊娠の相手ではなく、フランシスと青年が深い関係にないことを当人の口から語っています。

 

そうなると、観客に知らされていない男性との子供なのか、単に彼女の妄想に過ぎないのか、判断がつかなくなってきます。この辺りから性的抑圧から狂気に到るフランシスの病んだ部分が露わとなって、眠る間に青年を部屋に閉じ込めたのも、自分の身を護るより、彼を逃がさないのが目的だったように思えてきます。

 

彼女は身内が亡くなり、天涯孤独の身であると同時に、働かなくても十分暮らしていけるだけの裕福な生活を送れています。この点はウィリアム・ワイラーの「コレクター」における若い女性を監禁する蝶の収集家との共通性があります。また、男に執着し繋ぎ止めようとする点では、クリント・イーストウッドの「恐怖のメロディ」のストーカー女と同じ匂いもします。或いは、男が女に囚われる単純な構図としては、安部公房の「砂の女」と相通ずるものがあります。

 

最後はショッキングな描写で幕を閉じ、病んだ女が思い詰めるとどれだけ怖いかを思い知らされます。心理的な怖さを狙った映画なのかと思いつつ、けったいな映画を観たと言うのが正直な感想でした。