コロナ禍を背景に情緒に訴えてくる本格ミステリー 有栖川有栖 「捜査線上の夕映え」を読んで | パンクフロイドのブログ

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犯罪社会学者の火村英生とミステリー作家の有栖川有栖は、布施署に設置された捜査本部で、鮫山刑事から29歳の元ホストの奥本英仁が殺された事件に関して、レクチャーを受けていました。死亡推定時刻は8月24日から26日の間。死体は一旦浴室に置かれた後、スーツケースに詰められ、寝室のクローゼットの中に押し込められていました。凶器はリビングに飾られていた龍の置物で、頭部に加えられた打撃が致命傷になりました。

 

第一発見者は歌島冴香30歳。彼女はホスト時代の奥本と知り合ったのをきっかけに、彼と付き合っていました。歌島の証言によれば、8月25日午後4時頃に奥山の部屋にスーツケースを返しにきた際、彼からLINEを介して部屋の外に置いて帰ってと指示があったため、顔も見ずに玄関に置いて立ち去ったと言います。歌島はスーツケースを返した後で、叔母と二人で奈良方面に小旅行をしており裏は取れていました。

 

スーツケースを返却しに行った際の犯行も考えられましたが、防犯カメラから僅かな時間しか滞在していないことが証明され、クローゼットの中に死体を置くまでは不可能と判断されます。奥本のスマホの履歴からも単独の犯行は難しく、共犯者がいない限りは無理でした。

 

また、25日の午後3時まで被害者の部屋にいたという女性も見つかっていました。その人物は黛美浪31歳。奥本の勤めるホストクラブで歌島と意気投合し、彼女とも友人関係にありました。ところが、奥本は黛にも粉をかけてきたため、彼の真意を糺そうと部屋を訪ねたと言います。

 

死体が詰められたスーツケースは、黛が部屋を出た後で、歌島によって持ち込まれたことにより犯行に及べないと判断。また、26日の午前中にも、長田駅と深江橋駅の防犯カメラに黛らしき人物が映っており、犯行現場から歌島のスマホにLINEのメッセージを送れないため、とりあえず容疑者から外れます。

 

一方、現場に残された借用書から、奥本に300万円を借りている久馬大輝が浮かび上がります。しかし、彼には25日の夜から福岡県にいたアリバイが証明されます。決め手を欠いたまま、火村と有栖川は歌島と久馬に聞き込みをしたものの、取調室でレクチャーを受けた以上の情報を得られませんでした。

 

そんな折、奥本と黛が一緒に歩いていた際に、男が二人を尾行していたという目撃情報がもたらされます。やがて、警察の捜査によって男が通販会社の契約社員をしている吉水蒼太30歳だったことが判明します。彼は黛と幼馴染だったこと、彼女が看護師をしていた時に病人として再会し、黛がホステスの仕事に移ってからは勤め先の社長に彼女のいた店を紹介したことを話しますが、尾行したことは否定しました。

 

また、黛も吉水がストーカー行為をするような男ではないと証言します。吉水は25日の朝から和歌山方面に二泊三日の旅行をしており、ほぼアリバイが成立します。更に、アリバイを崩せたとしても、奥本のマンションの防犯カメラに彼の姿が映っていないことも謎として残りました。

 

その一方で、火村と有栖川が同席した事情聴取の席で、吉水の残した指紋を秘かに採取すると、スーツケース内のバンドの遺留指紋と一致したため、益々謎は深まっていきます。火村と有栖川は事件の手掛かりを掴むため、黛と吉水の出身地である仲島へ調査に向かいます。すると、意外な事実が浮かび上がってきます・・・。

 

ここからは感想です。

 

火村&有栖川のコンビが手掛けるにしては、地味でありふれた殺人事件のように思えます。ただし、容疑者を絞れても決定的な証拠を掴むまでには至らず、しかも容疑者にはそれぞれ強固なアリバイがあることから、なかなか突破口を見出せません。アリバイ崩しの観点から、本書は鮎川哲也の鬼貫警部ものと親和性があり、本格ミステリーに社会派推理小説の要素を加えた味わいがあります。

 

本書は火村と有栖川が論理的に推理を構築し、刑事たちが足を使って裏取りしながら、事件の真相に迫っていきます。二人が黛と吉水の出身地へ調査に出向いてからは、島で起きた過去の“事故”が大きく関わっていることが明らかになると同時に、意外な人物との繋がりも判ってきます。

 

また、コロナ禍を反映するように、人々の生活が一変したことも、この作品から伝わってきます。防犯カメラひとつ取っても、マスク越しの顔からはなかなか判別しにくくなっているため捜査は難航し、警察は苦戦を強いられます。この辺りも現在進行形の現実と重なり、親近感を覚えるでしょう。

 

著者はあとがきで「余剰が残るエモーショナルな本格ミステリーが書きたい」と記しており、火村と有栖川が事件関係者の過去を洗い出すために訪れる仲島でのエピソードによって成果が表れます。その結果、エラリー・クィーンの「災厄の町」の読後感に似た余韻を味わえました。