奴隷に身をやつした歴戦の勇者が新皇帝に復讐する「グラディエーター」を観て | パンクフロイドのブログ

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こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

製作:アメリカ

監督:リドリー・スコット

脚本:デヴィッド・フランゾーニ ジョン・ローガン ウィリアム・ニコルソン

撮影:ジョン・マシーソン

美術:アーサー・マックス

音楽:ハンス・ジマー リサ・ジェラール

出演:ラッセル・クロウ ホアキン・フェニックス リチャード・ハリス オリヴァー・リード

2000年6月17日公開

 

西暦180年。ローマ帝国の治世。将軍マキシマス(ラッセル・クロウ)は歴戦の勇士として名声を馳せていました。彼は元々農民出身で、故郷に妻子を残して長い遠征に出かけています。時の皇帝マルクス・アウレリウス(リチャード・ハリス)からの信頼は篤く、部下からも慕われています。

 

そんな折、遠征先のゲルマニアの地で、マキシマスは皇帝から次期皇帝の座を託したいと要請されます。しかし、マキシマスにローマ帝国を治める野心はなく、かと言って、皇帝の要請を無碍にも断れず、考える猶予を与えて欲しいと返事をします。そうこうするうちに、野心家の皇帝の息子コモドゥス(ホアキン・フェニックス)は、父が息子に皇帝を継がせる気はないと悟ると、衝動的にマルクスを殺してしまいます。

 

コモドゥスは父親の死を病死に装った上で、マキシマスに協力を求めます。しかし、マキシマスがコモドゥスの申し出を拒否したため、処刑を命じられます。マキシマスは処刑人たちを返り討ちにして、妻子の居る故郷に戻ります。ところが、彼の家族はコモドゥスが放った刺客に惨殺されていました。

 

無残な死体になった妻子を目にしたマキシマスは絶望に駆られ、気づけば奴隷商人のプロキシモ(オリヴァー・リード)に買われ捕らわれの身になっていました。彼は闘技場で殺し合う闘士に仕立てられ見世物にされます。マキシマスは持ち前の技量で一躍剣闘士として頭角を現し、観客からは“スペイン人”と呼ばれ大いに支持され、奴隷仲間からも一目置かれる存在になります。

 

やがて、マルクス・アウレリウスの追悼式としてローマのコロシアムで剣闘試合が行われることになり、マキシマスを始めとする奴隷たちも呼ばれます。その見世物ではカルタゴの闘いを再現した趣向になっており、奴隷たちを嚙ませ犬として殺して盛り上げようという意図がありました。ところが、マキシマスの指揮の下、奴隷たちは陣形を作って抵抗し見事に退けてしまいます。コモドゥスは“スペイン人”を祝福しようとしますが、仮面を取った男の正体に気づき愕然とします・・・。

 

果たして、マキシマスの運命や如何に?と言うのが中盤までの流れ。本作はマキシマスの一本筋の通った男気溢れる振る舞いの数々に魅了されます。コモドゥスに妻子を侮辱された際の恐ろしいまでの自制心、止めを刺すことを熱望する観客に対し、対戦相手に慈悲の心を見せ、逆に大衆の心を掴んでしまうなど、胸アツになるシーンが多いです。

 

ただし今回の鑑賞では、主人公よりもコモドゥスの拗らせ具合に目が向いてしまいました。何しろマキシマスに対する劣等感の塊のような人物で、父親や姉ルッシラ(コニー・ニールセン)が、マキシマスに愛情を注いでいるのに激しく嫉妬しています。特にルッシラに対しては、性的な願望もあるようで完全に人間性が歪んでいます。承認欲求が異常に強いのも、父親の殺害の要因のひとつになっています。

 

また、ローマ市民からの愛され願望も強く、悪い意味で大衆に迎合する姿をしばしば見せます。元老院による腐敗政治を糾弾し、ローマ市民による政治を取り戻す発言は、一見正論に聞こえますが、本音は合議制を排して、自分の思い通りにしたい底意が透けて見え、プーチンや習近平と同じ穴の狢であることを証明しています。最後のマキシマスとのタイマン勝負にしても、大衆に気づかれぬような姑息な手段で勝とうとして、ダメンズ好きには堪らないキャラクターになっていました。

 

また、端役ながらコモドゥスの側近も新たに注目しました。この人物は戦場で戦況を見守るというマキシマスに近い立場にいたにも関わらず、コモドゥスが新皇帝になるや、マキシマスの処刑に手を貸し、身内にいる敵を炙り出すのにコモドゥスに知恵を授けています。そうかと思うと、コロシアムの対決でコモドゥスに観客の支持が得られないと見るや、彼が助けを求めているのに、部下に求めに応じない命令を下す非情さを見せます。

 

こうした権謀術策に長け、風を読む人物を加えることで、人間模様にも厚みが出て、物語を面白くさせていました。封切り時に観たきりなので、大まかな筋を憶えてはいるものの、断片的に記憶が抜け落ちている箇所が結構ありましたね。鑑賞中もそう言えばこんな場面あったなぁと思うことがあり、その意味では新作同様に新鮮な気分で観ることができました。