恋愛映画と見紛う任侠映画「博奕打ち いのち札」を観て | パンクフロイドのブログ

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池袋 新文芸坐

『仁義なき戦い』だけではない! やくざ映画の楽しみ方 より

 

製作:東映

監督:山下耕作

脚本:笠原和夫

撮影:吉田貞次

美術:吉村晟

音楽:木下忠司

出演:鶴田浩二 安田道代 若山富三郎 水島道太郎 渡瀬恒彦 遠藤辰雄 天本英世

1971年2月13日公開

 

相川清次郎(鶴田浩二)は、東京大森を縄張りとする関東桜田組一家の若衆頭で、旅先の直江津で静江(安田道代)と知り合い深い仲になります。静江は女剣劇一座の座長中村権之助の養女であり、一座の花形でもありました。彼女は病床に臥す父や座長への義理から、土地を離れることが難しい立場にあります。そのため、静江は清次郎が何者であるかも尋ねずこのまま別れる気でいました。しかし、清次郎は別れがたく、父親の面倒を見ることや一座にある程度の金を渡して静江を放免して貰うことを語り、一年後の再会を固く約束し東京へと戻ります。

 

大森では天野良平(天津敏)が率いる新地会がのさばりはじめ、清次郎は新地会との話し合いの場で殺しをしたため、5年の刑に服すことになりました。それから数年後、権之助一座は解散寸前に追いこまれていましたが、岩井一家の組長東五郎(水島道太郎)が一座に救いの手を差しのべます。妻と死別した岩井は、静江を後妻にと望み、静江も清次郎を探す望みを捨てたため、岩井の申し出を受けます。岩井は刑務所に清次郎を訪ねた際、再婚する旨を告げます。清次郎は組長の再婚を喜ぶものの、相手の名を聞き愕然とします。

 

昭和8年、岩井一家は大森海岸の埋立て工事を一手に請け負いましたが、岩井一家の本家・桜田一家総長大竹(内田朝雄)は、本家を差しおいて岩井一家が受注したことに不満を溜めていました。大竹は新地会を操り岩井一家と対立させ、新地会の天野も大竹の指図で殺し屋・金原(天本英世)を雇い、岩井の暗殺を命じます。清次郎が出所する前日、岩井は射殺されてしまいます。一家は静枝をたて、清次郎と彼の弟分で代貸の勘次(若山富三郎)が力を合わせて埋め立て工事を完遂させようとします。しかし、大竹の策略により勘次は清次郎と仲たがいした末に、清次郎は一家を追われてしまいます・・・。

 

『博奕打ち』シリーズはいずれも見応えのある作品ばかりですが、その中でも「いのち札」は「総長賭博」と並び、琴線に触れる点では一際抜きん出ています。殊に本作は、任侠映画と言うよりメロドラマの趣があって、観る者の感情を揺さぶるシーンが多く見られます。任侠映画における鶴田浩二は、ストイックで義理人情に篤く、男が男に惚れるタイプ。この点はこの映画でも従来のイメージを踏襲しています。ただし、安田道代との忍ぶ恋、結ばれぬ恋の設定にしたため、二枚目としての鶴田の魅力が存分に発揮され、任侠映画が苦手な女性にも受け入れられる要素が増しています。

 

また、運命のいたずらによって清次郎と静江が再会し、二人の過去を秘密にしなければならなくなる展開もグッときます。岩井が二人の仲を知ることも然ることながら、岩井が二人の秘密を自分の胸の裡に仕舞っていたことを静江が悟るのを、手拭い1本で表現される点も粋で、山下耕作監督の演出が光ります。また、それまで真っ新だった手拭いが清次郎の落とし前の血で染まる点も、清次郎と静江の運命を暗示するかのようで、一つ一つの描写が意味のあるものになっています。

 

役者に目を転じると、安田道代は大映で女賭博師を演じただけあって、次第に肝が据わってくる姐さん役がサマになっています。水島道太郎の懐の深い親分役が好印象を残す一方で、若山富三郎の勘次は「総長賭博」の役を彷彿とさせます。融通の利かない一本気な性格は自身の演じた松田を、叔父貴に利用される点は名和宏の演じた石戸を再現したかのようで、「総長賭博」を既に観ていると味わい深く映ります。

 

天津敏は安心安定の悪役ぶりで、天津に雇われる殺し屋の天本英世は不気味さを自然に醸し出し、内田朝雄も裏で糸を引く黒幕をいつも通り演じています。天津の手下役に八名信夫、川谷拓三、志賀勝といつもの顔ぶれが揃っている一方で、遠藤辰雄や林彰太郎が善人側に就いているのが新鮮。しかも、遠藤は正司照枝と夫婦漫才のような掛け合いがあり、コメディリリーフを担っています。渡瀬恒彦は先走った挙句、鶴田を苦しめる立場に追い込んでいき、差し詰め「総長賭博」における三上真一郎が演じた音吉を想起させます。

 

様式美に定評のある山下監督にしては、鈴木清順かと見紛う程、ラストはシュール且つ大胆な演出で締めくくります。任侠映画は元々潔く散る点では、アメリカンニューシネマ作品のラストと親和性が高いです。このラストも60年代に隆盛した任侠映画に自ら引導を渡したようにも思え、70年代に咲いた徒花のような映画であることを強く意識させられました。

 

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