大学生の亀谷壮弥は、東京グランドアリーナで開催されるアニメコンベンションに入場し、オリジナルグッズ入手の列に並んでいました。壮弥がトイレに行くため列を離れ、用を済ませて戻ろうとした直後、事件は起きました。カートを押していた男が、入場待ちの列に火炎瓶を投げ込み、逃げ惑う人々にも追いかけながら油を浴びせて火を点けたのです。男と距離を置いていた壮弥は、とっさにスマートフォンを取り出して、眼前の惨事を動画で撮影し始めます。やがて、男は瓶を二本取り出し、中の液体を頭から浴び火を点けて、男の体は火だるまとなりました。
この事件はニュースとなって忽ち世間に知られ、大手銀行に勤める安達周も知ることとなります。安達は斎木均という犯人の名前に聞き覚えがあり、調べてみると同じ小学校に通っていた人物に間違いないと確信します。安達はつまらない見栄から斎木に苛めのきっかけを与えてしまい、苛めがエスカレートした挙句、斎木は不登校になった過去がありました。安達は小学校時代の苛めが原因となって、大惨事を引き起こしたかもしれないと怖くなり、当時斎木を直接苛めていた真壁友紀にフェイスブックを通じて連絡を取ります。しかし、真壁の反応は素っ気なく、妻の美春に打ち明けても心が晴れず、次第に体調を崩し始めます。
一方、安達から連絡を受けた真壁も心穏やかではいられませんでした。丁度その頃に、息子の大牙からクラスメートが苛めを受けていると相談があり、他人事とは思えなかったからです。安達の症状は悪化し、混み合った通勤電車に乗れなくなり、会議中にも息苦しくなって席を立たざるを得なくなります。医師からはパニック障害と診断され、安達は斎木の件と向き合わない限り、病気を治すことはできないと悟ります。その結果、休職を決断し、仕事を休んでいる間に斎木のことを調べ始めます。彼は斎木の母親や、斎木が以前勤めていたファミリーレストランのパートタイマーの女性荒井と会って、話を聞いて行きます。荒井の話から、斎木には好きな女性がいた可能性が浮上します。
その頃、壮弥は斎木の事件の動画をSNSにアップしたことで、ちょっとした有名人になっていました。同じ大学の西山果南は、事件当時アニコンに行っていたことで壮弥に興味を抱きます。二人はアニメ好きなのもあり、次第に親しくなります。普段の果南は地味な存在ですが、趣味のコスプレイヤーに変身すると見違えるようになります。壮弥は彼女の気を惹くため、1年先輩の沢渡の情報に触発され、斎木が通っていたキャバクラに潜入し、斎木が入れ揚げていたと思われるキャバ嬢に接触し盗撮します。壮弥はもったいをつけるため、駅から店に辿り着くまでの動画を公開しますが、果南の逆鱗に触れます。壮弥は相手のキャバ嬢がどのような害を被るかまで想像できなかったことを果南に指摘され、やむなく動画を削除します。
削除される前に壮弥の動画を知った安達は、目当てのキャバ嬢を特定できないまま店に行きます。しかし、店側の極度の警戒態勢により不発に終わります。手掛かりが潰えた上に、安達は斎木を苛めていた人物はAと書き込まれたブログを見つけ恐怖を抱きます。ブログの書き手を見つけるのは個人では困難と判断し、探偵事務所に依頼しようと思っていたところ、外から安達の自宅の様子を窺う女性を目に留めます。安達はその女性の正体を知ろうと尾行しますが、交番に駆け込まれたため追跡を断念します。
江成厚子は斎木が起こした事件により、家族の中で唯一の話し相手だった娘の仁美を焼き殺されて途方に暮れていました。彼女は斎木が勤めていたファミリーレストランに行き、当てもなくハーブティを飲みながら、無為な時間を過ごす毎日を送っていました。そんな折、厚子は安達と女性店員の会話を耳にして、安達が斎木の出身学校と同じ人物であることに気づきます。更に彼女は、カフェで安達と荒井の話を盗み聞きし、恨みを向ける相手は安達しかいないように思い込みます。彼女は安達を尾行し彼の自宅を突き止めます。後日、厚子は夫の勝幸と共に、被害者遺族の会に出席します。その会では犯人家族に億単位の損害賠償を請求することで一致しかけますが、遺族の一人である米倉咲恵から異議申し立てが出ます。犯人の親が全額払える訳でもなく、犯人の動機を明らかにすることもできないと言うのが彼女の言い分であり、厚子は秘かに咲恵に同意します。やがて、長男の隆章から復讐の方法として安達の名前をネットで晒すことを提案されます。厚子は苛めの証拠が掴めないことを理由に、返事を先延ばしします。その後、2回目の被害者遺族の会合がもたれ、裁判に反対の厚子と咲恵は席を蹴って退出します。二人は駅前のコーヒーショップに入って話をし、咲恵の「私は犯人だけを憎んでいたい。自分の憎しみを広げたくない」という言葉に胸を衝かれます。厚子は安達に自宅を張り込みしていることを気づかれたのを機に、復讐するのをやめることを隆章に告げます。
一方、安達は探偵事務所を使って、斎木が好意を抱いていたと思われるキャバ嬢の熊谷妃菜の居場所を見つけ出します。彼は妃菜のアパートに行き、自分の身分を明かした上で、話をしてもらうよう説得します。妃菜は誠実な振る舞いをする安達を信用し、彼の話に応じます。そして、彼女の口から斎木に関して意外な真相が判明します・・・。
本書は大量殺人を引き起こした犯人が自ら命を絶ったため、様々な波紋を広げる物語です。犯人の死によって遺族は怒りをぶつける相手を失い、子供時代にいじめの原因を作った人物や、いじめに直接関わった人物は、殺人の動機は自分にあったのではないかと怯えなければならなくなります。安達や真壁は自分に害が及んでも仕方ないとあきらめても、家族が巻き込まれるのだけは避けたいと思っています。幸いな事にどちらの妻も夫の過ちには寛容であり、気丈に事実を受け止めます。
苛めのきっかけとなった人物と実行犯を比べれば、一般的には圧倒的に後者のほうが罪は重いでしょうが、事件が起きる前に過去の罪を重く受け止めていたのは、真壁だったことが明らかになります。犯人の姓名と年齢が判明した時点で、安達が記憶の片隅を刺激したに過ぎなかったのに対し、真壁は即座に反応しています。また、息子から苛めの相談を受けた際も、昔の恥を曝け出した上で、息子に火の粉が及んだら全力で守るとまで言い切ります。罪を償う時が来るかもしれないと思っていたからこそ、その覚悟も決めており、パニック障害になった安達とは対照的でした。その安達も病気を克服するには、己の恥部と向き合うしかないと腹を括り、斎木が犯行に到った動機を調べ始めます。
一方、被害者遺族の厚子は恨みをぶつける先がなくなり、普段から会話の無い夫や長男にも苦悩を告げられず、心が腐っていくのを感じとります。そんな折、斎木をいじめていたと思われる安達が目の前に現れたのですから、彼女の怒りの矛先は加害者の犯行動機となる人物に向けられます。厚子は確証を得るため安達に密着するものの、被害者遺族の会での違和感をきっかけに、断罪する相手は安達でいいのかと疑問が生じます。
他方、壮弥は事件現場を偶然目撃し、撮影した動画をネットにあげたことで、フォロワー数が激増し舞い上がります。更に、趣味が同じの果南と知り合い、彼女の気を惹こうと危険な領域に踏み込みます。しかし、斎木が付き合おうとしたキャバ嬢と接触したことが果南にバレて、彼女に愛想を尽かされてしまいます。
当事者である安達、真壁、厚子は、いずれも自分自身で相手の立場から物を考えることの大切さに気づけたのに対し、傍観者に過ぎなかった壮弥は果南に指摘されるまでその事に気づけず、気づいた時には後の祭りとなります。壮弥に限らず、当事者である筈の被害者遺族の会に出席した人々も、厚子と咲恵を除いて壮弥と思考回路が同じで、相手の立場になったらどんな気持ちになるのか?という視点に欠けています。このことはネットにおける誹謗中傷も同様で、自分たちが匿名という安全地帯にいることによって(被害者遺族で言えば世間に同情してもらえる安全地帯にいる)、何をやっても構わないという意識から出ているように感じられます。
ミステリーとして読めば、犯人がどの時点で、どんなきっかけによって犯行に及んだのかに興味が惹かれますが、本書は許しがたい罪を犯した人物とその家族に対して、社会がどのように対処していくかが問われる小説だったように思います。