坊主嫌いの教師が一念発起して寺を再建しようとするが・・・「競輪上人行状記」を観て | パンクフロイドのブログ

パンクフロイドのブログ

私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

ラピュタ阿佐ヶ谷

日活映画を支えたバイプレイヤーたち より

 

製作:日活

監督:西村昭五郎

脚本:大西信行 今村昌平

原作:寺内大吉

撮影:永塚一栄

美術:大鶴泰弘

音楽:黛敏郎

出演:小沢昭一 南田洋子 伊藤アイコ 加藤嘉 高橋昌也

       松本典子 高原駿雄 小山田宗徳 加藤武 渡辺美佐子

1963年10月13日公開

 

奥多摩の中学で教師をしている伴春道(小沢昭一)は教え子のサチ子(伊藤アイ子)が家出したため、上野駅で彼女を青梅の家に連れ戻そうとしていました。近所のブラック婆(武智豊子)がたまたま通りかかり、春道の兄玄道(河合健二)が亡くなったことを彼に報せます。春道の実家は宝寺院という寺で、彼は坊主になるのが嫌で、父親の玄海(加藤嘉)にさからって家を飛び出し教職に就いていました。春道はとりあえずサチ子を彼女の叔母に預け、実家に向かいます。

 

春道は兄嫁のみの(南田洋子)を秘かに想っていましたが、本堂再建の資金を捻出するために、彼女が犬の葬式を引受けているのには眉を顰めていました。夏休みで帰省している春道は資金集めに奔走しますが、思うように金が集まりません。ある日、春道は松戸競輪で試しに車券を買ったところ大穴が当り、それ以来彼は競輪の虜となります。

 

一方、玄海は息子に未亡人のみのと一緒になって寺を継がないかと話を持ちかけます。その上で、春道に無断で息子の退職願を中学校に提出して退路を断とうとするのです。春道は同僚の教師から、学校を辞める話を聞かされ、父親のしたことに激怒します。彼は怒りに任せて、父親が本堂を再建するために貯めた貯金を全て引き出し、競輪につぎ込んだ末にスッカラカンになります。

 

ところが、父親の突然の死によって、春道は後悔の念に襲われます。彼は心を入れ替えて京都大本山で修業し、正式に住職の資格を得ます。彼はみのに求婚して寺を再建しようとしますが、彼女は驚きの告白をして春道の怒りを買います。春道はみののことが赦せず、彼女と幼い息子を実家に帰らせてしまいます。

 

更に、葬儀屋の色川(加藤武)からノミ屋を紹介されたことで、再び競輪に明け暮れる生活に拍車がかかります。やがて手持ちの金は底を尽き、借金取りが寺にくるようになり、最後には寺を売る判を押させられます。春道は土地売却と借金の差額で得た30万円を元手に、競輪で最後の大勝負に賭けるのですが・・・。

 

※ネタバレを含んでいますので、ご注意ください

 

日活作品では中平康監督の「牛乳屋フランキー」、前田満州男監督の「人間に賭けるな」など、都内の名画座で比較的よく上映されながら、観たい、観たいと思いつつ縁のなかった映画があります。「競輪上人行状記」もそのひとつで、今回ようやく観ることができました。脚本に今村昌平が一枚噛んでいることもあり、人間の業の深さを思い知らされるドラマになっています。

 

春道は理想主義者なところがあり、宗教が金儲けや政治の道具にされていることが嫌で、寺を継ごうとせず教職に就いた経緯があります。何しろお布施を受け取ることにも嫌悪感があるくらい徹底しています。こういう人物は現実から乖離する行動を取るので、周囲にとっては少々傍迷惑な存在になっています。

 

生徒が妊娠していることを知った春道は、担任の教師の鏡味(小山田宗徳)と共に彼女の親に報告に行きます。その帰りに、鏡味からサチ子が義父と関係のあることを匂わされます。鏡味は他校に転校させる案を示すのですが、春道は大いに憤慨するのみで具体的な案を示せません。鏡味は観ているこちらとしてもあまり良い印象を持てないのですが、一応学校や生徒への対応策を考えています。それに対して春道は批判するばかりで代替案を示しません。日本の左派野党と同じで、すり合わせができないのですね。

 

また、彼は義姉のみのが犬の葬式を引き受けているのにも我慢がなりません。みのは檀家からの献金が滞っている中、少しでも寺の再建費用に充てようとしているのに、春道は彼女の苦労を理解しようとしません。父親の玄海は息子に現状を思い知らせるために、檀家回りをさせるのですが、なまじ競輪で一発当てたために、地道に頭を下げて金を貰いに行くのが馬鹿馬鹿しくなります。特に遊び慣れていない者が、ビギナーズラックで当ててしまうと、勝負の引き際を知らない分、のめり込むようになります。

 

そして、理想主義者は現実と折り合いをつけるのが難しいだけに、自暴自棄になりやすくもあります。父親が勝手に中学校に春道の退職願を出したこと、兄嫁に求婚した際に彼女から衝撃の告白を受けたことにより、春道は我を失い競輪で憂さを晴らそうとします。それでも、玄海は寺の再建に充てた金を全て競輪でスッた息子を責めず、今わの際にはみのを通して寺は自分の好きにしてもいいとまで伝えています。

 

みのの告白にしても、黙っていればバレずに済むのに、敢えて明かした点に彼女の誠実さが窺えます。寝ずの番をしていた際に、みのは夫から鞭打たれる幻覚を見るのですが、夫に子種がなかったことと、後継者を作る必要に迫られていたことを突き合わせれば、あぁ、そういう事だったのかと腑に落ちてきます。更に、みのから春道のことが好きだったと言われるに及んで、理想主義と潔癖性から僧侶の道に進もうとしなかった己の皮肉な顛末に憐みさえ覚えてきます。

 

春道はみのとその子供を寺から追い出した末、檀家からも見放され、ノミ屋の溜まったツケが払えなく寺を手放さざるを得なくなります。そして、春道は地代とツケの差額で手に入れた金を競輪に全てつぎ込み、最後の大勝負に賭けます。この競輪場で、隣の席に座るのが渡辺美佐子。同じ寺内大吉原作の映画化の「人間に賭けるな」のヒロインの渡辺を登場させたことに、何かの因縁も感じさせます。この映画の渡辺を見て、「人間に賭けるな」のヒロインとして起用したのかもしれませんが・・・。

 

坊主になりたくなかった男の転落人生を描く一方で、メロドラマの要素も濃い映画でもあります。兄嫁への秘かな思慕と彼女の“裏切り”に対する仕打ち、その反省からの最後の誠意と言った具合に、春道とみのとの恋愛話は表沙汰にはなりませんが結構重要。また、義父との関係で妊娠したサチ子と一緒に人生を歩む春道の姿はみのへの償いのようにも思え、踏みつけられてもなお再生を願う男の物語として相応しい結末でした。ラストに繰り広げられる辻説法まがいの予想屋の口上も、小沢昭二の芸達者の本領発揮と言えます。西村昭五郎はロマンポルノの印象が強い監督ですが、デビュー作とは思えぬほど、新人らしからぬ老成した演出を堪能した1本でした。